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シャーマンの話

この前、ドラマ「トリック」の劇場版がテレビで放映されていた。「トリック」は10年ほど前、深夜番組枠で放送されていたらしいのだが、私がこのドラマの存在を知ったのは去年のことだ。去年、お気に入りのブログで「トリック」が紹介されていて面白そうだったので第一期を見た。そしたらベタベタなノリが私のツボにはまってしまい、一気に全話見てしまった。ちなみに、いつもだったらここで、深夜番組つながりから、深夜番組のドラマといえば特命係長もおすすめだ。特命係長には日本的な美徳や正義、ヒロイズムなど日本文化のエッセンスがつまっているのである!とかなんとか、くだらない話をはじめて、どんどん論点がずれていき収拾がつかなくなって、前置きにならないような前置きをだらだらと書いているうちに、何を書きたかったのかすら自分でもよくわからなくなってきて、思考能力が低下して、最後にやけになってエイっとばかりにブログに公開したあとに後悔する(←あ、ここダジャレね)というのが、私のブログのいつものお約束パターンだった。しかーし、こんな悪習は断ち切らねばならない!。。。少なくとも今日だけでも断ち切りたい(←ちょっと弱気)。ということで、今日は、余計なことは書かずに、直球ど真ん中で「トリック」の話を続けたいと思います。

といっても、「トリック」の内容を取り上げるわけではない。「トリック」から連想される話、つまりシャーマンについて今日は書きたいと思う。なんで、こういう話をするかというと、実は半年ほど前にシャーマンのことについて書いたのだが、次回に続くとか調子のいいことを言いながら、続きを書いていなかったんだなー、これがまた。まあ、私のブログでは、よくあることなので、誰も気にしていないと思うのだが、一応、これでも自分的には約束を先延ばししてしまっていることに少しだけ罪悪感を覚えていたのです。「書く書く詐欺」みたいだからね。まあシャーマンねた以外にも、私のブログには続きを書くといって書いていないネタがごろごろしているわけだけど、一日一善、ローマの道は一日にして成らず、千里の道も一歩から、一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がる~ってね(つーか、あいかわらず、うっとうしいね、俺の文章)・・・。まあ、ようするに、とりあえず、一つ一つこつこつと消化していこうと考えていたわけで、そんなときに、「トリック」のドラマを見たので、今回はシャーマンねたを終わらせちゃおうとドラマを見ながら、急に菅さん並みにやる気を出したわけであります。ということで、今日はシャーマンネタをしゃべらせていただきます。ちなみに「トリック」ねたも、以前、軽く書いたことがあるので、そちらも読んでもらえると嬉しいです。その時書いたことは、超常現象を科学的に解明する科学的思考法と解釈学の違いについてみたいなことを書きました。リンクは関連エントリーに載せてあります。

さて、そういうことでシャーマンなのだが、まずはこの「トリック」のあらすじを紹介したい。と言っても、あらすじを書くのは苦手なので、今回もウィキペディア先生にご登場願おう。ただ今回はドラマの内容についていろいろ書くわけではないので、どういう話かということだけサラっと読んで貰えればいいかなと思います。

ある日、上田を山奥の万練村(まんねりむら)に暮らす中森翔平という青年が訪ねてくる。万練村には「カミハエーリ」と呼ばれる霊能力者が村を治める 掟があるのだが、その選定には全国から募集した霊能力者同士を競い合わせる、いわば「霊能力者バトルロイヤル」ともいうべき大会が行われ、最後に勝ち残っ た者がカミハエーリとされるという。そして最近、翔平の祖母である先代カミハエーリが亡くなったため、村では大会が催されようとしていた。参加者の一人で もある翔平から、この因習を止めさせるため、本物の霊能力など無いことを証明して欲しいと頼み込まれた上田は、万練村へ赴くことにする。
一人では心細い上田は、奈緒子を騙して連れて行こうとするも、体よく断られてしまう。実は奈緒子もまた、クビになったステージの興行主から、偶然カ ミハエーリ選びの大会参加を勧められており、優勝者に与えられる村人からの貢ぎ物や隠された財宝を狙って、大会に参加する事に決めていたのだ。
それぞれ別の目的で万練村を訪れるも、結局は鉢合わせしてしまった奈緒子と上田。お互いが知り合いだと知られては困る2人は、財宝を手に入れるために結託し、大会を勝ち抜こうと画策する。
やがて大会が始まり、参加者達は各々が持つ霊能力を披露、自分こそが本物の霊能力者だと主張する。だが一人の参加者・鈴木玲一郎により、大会は凄惨な命の奪い合いへと進展する。

(ウィキペディア)



ということで、村を治める次期霊媒師を選ぶために全国から我こそはという霊媒師に来てもらって一番強い霊媒師を選ぶという話だったのだが、このドラマの中の霊媒師が村を治めるという設定が興味深く、しかも以前のエントリーにつながる内容だったので、そのあたりについて述べてみたい。

まず、このドラマの霊媒師はどのような設定になっていたのかということを確認すると、次のような感じだ。

  1. 妖術で村を守ることによって村人の信頼を得た霊媒師が村を統治してきた。
  2. 霊媒師の妖術のほとんどは偽物のトリックだった。
  3. 霊媒師を世襲制にしてしまうと能力のないものが村を統治してしまう危険があるので、霊媒師を選ぶときは毎回全国から能力のある霊媒師を探してきていた。

なぜこのような霊媒師の設定に着目したかというと、シャーマンがどのように村の指導者になっていったのかということが、このドラマの設定に反映されているように見えたからだ。たぶん、このドラマの霊媒師の設定を聞くと、昔の社会ではこういう霊媒師のような人たちがいてムラとか国家を支配していたんじゃないかなって考えている人が多いと思う。つまり漠然とこのドラマの霊媒師にシャーマン像を重ね合わせ、過去にはこのようなシャーマンがムラや国家を統治していたのだろうと考えたと思うのだ。特に日本では女性シャーマンが村を統治するという設定は馴染み深いだろう。なぜなら卑弥呼の存在を歴史の授業で学ぶからだ。邪馬台国の女王卑弥呼は鬼道を使って邪馬台国を治めていたといわれる。邪馬台国や卑弥呼が実在していたのかどうかも、まだ議論の余地があるわけだが、もし魏志倭人伝の記述が正しかったとするならば、卑弥呼はシャーマンとか聖職者のような存在だったと考えるのが自然だろう。宗教と政治のかかわりは日本だけではない。例えば西洋中世の王国などはキリスト教会の後ろ盾が必要だったわけだし、世界中のいたるところで政治と宗教は切っても切れない関係にあった。まあ、普通に考えれば、科学が発達する以前においては呪術や妖術などを使うものが特別な力を有していたと見なされており、そのような特別な力で国家を統治していたと考えても不思議ではない。

宗教と政治の関連で言えば、呪術研究の第一人者のジェームズ・フレイザーは呪術から宗教に発展して科学になったと想定したわけだが、彼は国家の発達初期に現れた政治的リーダーはシャーマンのような呪術師だったと考えた。これら呪術士たちは呪術を使っていたわけだが、フレイザーによると呪術とは「間違った因果律」を想定した疑似科学に近いものであった。フレイザーの呪術研究は有名なのだが、呪術は大きく分けて、類感呪術と感染呪術に大別できる。どちらの呪術も科学的な根拠はない。つまり科学的には因果関係のない二つの事象に、間違った因果関係を想定して、呪術の効果があるとしているのだ。フレイザーによると、このような呪術を行使する者たちは意図的に民衆を欺いてあたかも呪術に効果があったとしていたので、詐欺師に近い存在であったという。そういう詐欺師に似た呪術師たちが社会を統治していたのだ。

で、それが宗教団体になって・・・(と思ったんだけど、この宗教団体の部分はほとんど思い出せないので飛ばします)、最終的に科学が宗教に置き換わったという進化論的発展仮説をフレイザーは立てたのだ。つまり呪術や宗教と政治は古くから深く関連していたわけである。フレイザーは19世紀後半の近代主義の思想家であり、理性や科学に絶対の信頼を置いていた。19世紀の思想家のほとんどは進化論者であり、キリスト教を完全に排除して人間の理性の究極の形である科学によって素晴らしい社会が創造できると信じていた素朴な近代主義者たちだったので、フレイザーもその路線で呪術⇒キリスト教⇒科学という発展段階説をとっていたわけだ。

まあ19世紀の文化進化論というのは今はすこぶる評判はよくないわけだが、ただ宗教が政治と密接に関わっていたというのは確かだろう。実際、宗教人類学では祭祀王や神権政治などが議論されている。つまり国家形成の初期には(国家以前の首長制社会や部族社会でもそうだが)、神との契約や宗教的な力が王権の正統性を担保していたわけで、そこに宗教や聖職者が深く関わっていたのは確かだと思う。

ただ司祭とか聖職者というのは、シャーマンとは異なる存在である。それは沖縄のノロとユタの違いに見られるという。その違いを研究しているのがシャーマニズム研究の第一人者(だと思う)の佐々木宏幹先生だ(先生と勝手に呼んでいるが面識はない)。佐々木先生によると沖縄の王朝と関係の深かったのはノロという聖職者集団なのだが、その聖職者とは別にムラにはシャーマンが存在していた。それがユタと呼ばれる女性たちだ。面白いことにユタは反権力の存在なのだという。だから権力側には組み込まれなかった。このシャーマンの反権力という特徴はほかの地域でも見られるようだ。だから国家形成の初期においてもシャーマンが権力に組み込まれる可能性は低かったと考えられる。つまりシャーマンが祭祀王になったというシナリオは実は無理があるのだ。なぜシャーマンは反権力の傾向にあるのか。なぜシャーマンは権力側の聖職者集団と対立してしまうのか。そのあたりの話が結構面白いので、ここで一気に結論まで紹介したかったのだが、時間が遅くなってしまったので、次回に続く。

関連エントリー
シャーマン

ドラマ「トリック」に関連したエントリー
「説明」と「解釈」



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シャーマン

 人類学というのは、結構いろいろ面白い事柄がでてくるんだけど、宗教人類学ほど、わくわくしながら勉強できる分野はないんじゃないかな。なぜならシャーマン、呪術、妖術、邪術、黒魔術に白魔術、秘密結社などなど。RPGゲームやマンガに出てきそうな単語が連発するからだ。俺もシャーマンという単語を本で見かけたときにはどきどきした。

 シャーマンというのはもともとシベリア東部とかに住んでいるツングース系の人達の社会の宗教職能者の名前だったのだが、人類学者が世界中の社会をよく観察してみたら、似たような宗教職能者は他の地地域にもいたので、これらを総称してシャーマンと呼ぶようになった。だから、シャーマンと言っても地域によって呼び名は異なるし、タイプもいろいろある。

 シャーマンとは簡単に言ってしまえば霊と交渉するスペシャリストなのだが、霊と交渉するためにはいくつかの方法が考えられる。シャーマニズム研究で有名な宗教人類学者の佐々木宏幹先生(先生といっても私は面識ないのだが)によると、シャーマニズムは浮遊型と憑依型に大きく分けられる(←またもや資料が手元にないので、このページの記述には間違いがあるかも)。浮遊型はシャーマンが幽体離脱し死後の世界などに飛んでいって霊と交渉する。憑依型とは霊を憑依させるタイプで2つのサブタイプに分かれる。自分の体に憑依させるタイプと、依り代(よりしろ)に憑依させるタイプだ。

 日本では恐山のイタコが有名だが、彼女達は憑依型である。沖縄のユタも確か憑依型だったと思う。一方、アメリカ先住民の社会には幽体離脱して異界に飛んでいくタイプのシャーマンがいる。あと佐々木先生の本によると、中間型とかもあるって言ってたっけかなー。まあ、とりあえず、いろいろいるわけだ(笑)。

 そういうことでシャーマンというものを勉強したければ宗教人類学の本を読むのをお勧めしたいのだが、もちろん学問だから、読み始めると、ちょっと眠くなるのも事実。特にシャーマンの分類などは、あまり面白くないし、ましてや見知らぬ土地のシャーマンの話を延々とされても、だんだん眠くなってきてしまう。漫画「孔雀王」みたいに絶えず悪霊と戦ってる話とかだったら面白いんだけど、シャーマンの説明読んでもあまりというかほとんど勇ましい話は出てこないし。。。

 ただ、シャーマンの話で私が一番面白いと思ったのは祭祀王の話だ。宗教と政治が古来密接に結びついていたことはよく知られている。例えば日本では邪馬台国の卑弥呼などがいい例であろう。高校生のころ夢枕獏の大ファンだった私は卑弥呼が使ったという「鬼道」という単語を聞いただけで興奮したものだ。

 さて、卑弥呼がシャーマンで政治的リーダーだとことから、漠然とシャーマンが政治的リーダーに簡単になれるものなのだろうと考える人がいるかもしれない。また女性と男性の役割分担から、シャーマンは女性で、政治的リーダーはその旦那さんになると考える人もいるかもしれない。このようなシャーマンなど宗教職能者が、その特別な力で人民を統治したという理論は珍しくなく、実際、昔からそのように考えられてきた。例えば、呪術などの原始宗教を研究し『金枝篇』を著した有名な人類学者のジェームズ・フレーザーは呪術→宗教→科学と考えた。そして原始社会では、似非科学としての呪術が人民を統治していたとした。しかし、実際には呪術を使うシャーマンと体系化された宗教の担い手である司祭などの聖職者とは大きく異なる。シャーマンがいつのまにか司祭になってしまったわけではないのだ。どうしてそういうことが言えるのか?そして祭祀王とはどのようにして生まれてくるのかということを研究していたのが佐々木先生だ。そのあたりの話が私はシャーマン研究で一番興味深いのではないかと思っている。ということで、次回そのことについて簡単に紹介したい。


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「悪口まつり」と、プチ宗教人類学

 栃木県足利市で大岩昆沙門天(最勝寺)で、年末の大晦日に悪口(あくたい)まつりという奇祭が行われるという。るるぶ.com情報によると、次のように紹介されている。

一年間に蓄積された鬱憤を晴らし、さっぱりとした気分で新年を迎えようというまつり。初詣の人々が、除夜の鐘が鳴り終わるまで悪口を言い合う。新年を迎えると本堂で僧侶が信者の頭上から酒を注ぐ「滝流しの式」が行われる。

るるぶ.com情報



 この奇祭は江戸時代に始まったということなので、宗教的側面というよりも、むしろ祭りとしての側面が強いのかもしれない。しかし除夜の鐘が鳴っている旧年と新年の間の特別な時間に、いつもは言ってはいけないことを言うという、日常の逆転現象が行われているのを見ると、へネップの通過儀礼やビクター・ターナーのリミナリティなど宗教人類学の理論を想起せずにはいられない。

 通過儀礼というのは、人生の節目に行われる儀礼行為であり、クリスマスやお盆のように毎年来る祭りや祝い事とは区別される。例えば成人式とは、20歳になった若者が大人になったことを社会の他の成員が認知・承認する儀礼行為である(今は単なる馬鹿騒ぎの祭りに見えるが)。。。他の通過儀礼の例としては結婚(独身から家庭を持つ状態になる)や葬式(生者から死者になる)などがあげられる。人間は人生を生きていく中でいくつかの段階を経ていく。そしてそれらの段階に移ったことを社会に承認してもらうということが必要になってくる。だからすべての社会で何らかの通過儀礼が見られる。

 フランスの人類学者アルノルト・ファン・ヘネップは通過儀礼を3段階に分けた。それが分離期(分離)、過渡期(移行)、統合期(再統合)である。どういうことかというと、通過儀礼とは定義に従えば、ある段階から次の段階に移行するときの儀礼である。例えば成人式では、通過儀礼が始まる前は「子供」という集団に属していた者が、通過儀礼が終わると、「大人」という集団に属するようになる。それでは通過儀礼の間は、当事者は子供だろうか?それとも大人だろうか?実は、通過儀礼の間はどちらにも属さない存在になるのである。どちらにも属さないということはどういうことか?それは、社会の成員ではない存在であると解釈される。

 つまり通過儀礼とは、当事者を社会から一度分離し、儀礼行為を執り行って(移行)、もう一度社会に統合する。通過儀礼が終わったときには、新しい段階の存在として生まれ変わっているのだ。すなわち通過儀礼とは、儀礼的な死も意味しているし、また通過儀礼の最中は社会に属さない存在として危険な存在という解釈をされることもある。

 象徴人類学などを研究していたヴィクター・ターナーはこの特異な状態(過渡期)に注目し、リミナリティやコミュニタスを提唱した。リミナリティとは境界と訳される。そもそも境界とは特殊な空間である。境界と言っても、アニメ『空の境界』の話をしているわけではない。そうではなくて、世界の分節の仕方と、その境界線の話をしているのだ。

 これは人間が、どのように世界を認知しているかという問題と深くかかわってくる。そもそも世界とは何か?実は連続した世界には厳とした区別など存在しないことが多い。構造主義などによると、われわれ人間は、そのような連続した世界に境界線を引いて世界を分節している。例えば、よく引き合いに出される話が、イヌイット(以前はエスキモーと呼ばれていた人たち)の話だ。彼らは何種類もの雪を区別している。日本人も北国の人なら、さらさら雪とか何とか雪とか雪の種類を区別しているかもしれない。一方、他の地域の人たちから見たら、それらはすべて、ただの雪である。これはどういうことかというと、もともと雪というものに本質的な違いは存在していないということだ。つまり客観的に誰もが納得する違いが雪にあるわけではない。そうではなくて、雪をいくつかに分類し(世界を分節し)、それぞれに名前を付与することによって、連続的で混沌とした世界(この場合は雪というものの集合)に秩序を与え理解可能なものにしているのだ。イヌイットや北国の人達は雪という漠然としたものではなく、細分化した分類が生活に必要だったため、そのように世界を分節した。しかし、雪があまり降らない地域では、そこまで細分化する必要がない。だから、雪という単語だけで十分になる。

 ここで重要なのは、世界が本質的に、もとから分類されているわけではないという点だ。そうではなくて、連続した世界を分節し秩序を与えているのは人間の側であり、そのため、文節の仕方は社会・文化によって恣意的になっている。つまり、どの分節の仕方が正しいということはいえないのだ。さて、今回は文化相対主義の話をしたいわけではないので、社会によって分節の仕方が異なるという話はこの辺でやめておこう。そちらに深追いするのではなくて、世界の分節の仕方には正解はないというところに戻りたい。

 連続した世界に恣意的な境界線を引いて、世界を分節していくとするならば、その境界線というものも世界に本来備わっている本質的な性質のものではなく、境界線を引いている人間側の幻想でしかないということになる。このようなことは、実は昔からすべての社会の人間は気がついていた。だから、ことさら境界というものに注意を払ってきた。例えば村境には同祖神の像が置かれ、村の内と外の境界線を示したりしている。恣意的であるが故に、人間が境界線をきちんと作り出し再確認していく必要があるのだ。

 境界線を設定することで境の内側と外側という区別は容易につく。しかし問題が完全に解消されたわけではない。曖昧な部分が残されている。それが境界線の上である。境界線の上は外側なのか内側なのかがはっきりしない。境界線というものも恣意的だから、どちらかに属すると約束事を決めてしまえば話は簡単なのだが、ほとんどの社会では境界線というものがどちらにも属さない領域であると解釈している。そして、その曖昧さゆえに、この領域は特別な領域だと考えられている。

 例えば「逢魔時」は特別な状態の時間だとされている。それは昼と夜の境だからだ。極めて単純化してしまえば、昼は人間の世界、夜は人間でないものの世界だと考えられるだろう。すなわち昼も夜もなんらかの秩序が存在している。一方、逢魔時はどちらの秩序にも属さない極めて不安定な状態であるが故に危険なのだ。

 他の例としては亀や蛙などの存在が挙げられるだろう。生き物を陸と水中に住む生物に分類したときに問題となってくるのが亀や蛙など、どちらにも属する生き物だ。これらは陸生の生物と水中の生物の境界線上に位置する生き物であり、それゆえに特別な力を持っていると解釈されることが多い。このような、どっちつかずの生物は霊性や魔性が付与され、普通の生き物と区別される。

 象徴人類学者のヴィクター・ターナーはこのような境界をリミナリティと呼んだ。リミナリティとはネットのヤフー辞書では次のように説明されている。

「日常生活の規範から逸脱し、境界状態にある人間の不確定な状況をさす言葉。道化・トリックスター・シャーマン・修行者などの位置・状況をさすのに用いる」



 つまり境界の不安定性から、その状態は神聖視されたり、危険視されたりし、そのような境界という不安定な状態に属する人間たちは道化や漂白民など、どちらの状態にも属さずに、どちらにも属するという両義性から特別な存在として差別され同時に崇められてきた。

 さて、この境界線は、内側の世界とも外側の世界とも関係していない。すなわち、どちらの世界の秩序にも属していない、独特の空間であるというのは今述べたとおりだ。しかし、その境界線というものは、人間が恣意的に設定した線であるため、社会の成員に理解してもらうためには、ことさら、その境界線を強調することが必要だということも述べた。通過儀礼などでも、これは同じことだ。儀礼行為を見ていても、境界線がはっきりと認識できなくては、意味がない。そこで、境界線上では、既存の秩序(日常またはケ)をことさらに否定するということが行われる。逆転現象だ。

 例えば、日常生活において社会の内部には様々な決まりごとがあるし、はっきりとした上下関係が存在している。それらの否定とはすなわち無秩序な状態や極めて平等な人間関係ということになるはずだ。そのような日常を否定し非日常(ハレ)を演出するために作り出された平等な人間関係の状態を、ヴィクター・ターナーはコミュニタスと呼んだ。コミュニタスの定義はもっと複雑だが、基本はこのような通過儀礼における平等な状態を指していたと思われる。

 ここまでをまとめると、通過儀礼というものは、ある状態から次の状態に移るための儀礼行為であり、その儀礼には3つの段階が存在する。前の状態から分離される段階、移行する段階、そして次の状態に再統合される段階である。通過儀礼全般が、二つの状態の境界線にあたるわけだが、詳細に見ていくと、分離される段階とは前の状態の死を意味し、再統合の段階とは次の状態に生まれ変わることを意味している。その二つの段階の境界(移行段階)こそが、通過儀礼のキモであり、もっとも不安定な状態を意味している。なぜなら、前の状態にも次の状態にも属していない段階だからだ。それは既存の秩序が否定され、聖と魔の両義的な状態であるとも言える。

 さて、それでは、栃木県の悪口まつりの話に戻りたい。悪口まつりが行われるのは、大晦日の晩である。まさしく旧年と新年の境界線上の特別な時間だ。その時に、日常の生活では、口にしてはいけない、悪口が叫ばれる。日常の秩序(ケ)を否定することによって、境界線を強調し、非日常(ハレ)を演出している。これによって、古い年が死に、新しい年に生まれ変わることができる。江戸自体に始まった儀礼なので、もっと世俗的なものであるのかもしれないが、それでもリミナリティなどの概念で解釈することもあながち間違いではないと思う。


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経済人類学序説3 ポトラッチ

 アメリカ先住民というと、荒野の遠くにそびえ立つ岩のてっぺんに馬にのってこっちを見ている勇者みたいな人を思い浮かべるのではないだろうか。あれは草原インディアンといって、スー族やアパッチ族などが有名なのだが、実はアメリカ先住民というのは彼らだけではない。北米大陸には農耕社会から狩猟採集社会まで様々な社会が存在していた。だいたい5つぐらいの大きな文化圏にわかれていたのだが、オレゴン州北部から、ワシントン州、カナダ、アラスカの南部までの海岸部には北西海岸インディアンと区分される人たちが住んでいた。この地域の中には、非常に多くの部族が乱立していて、文化や言語も異なっていたので一概にこれが北米海岸の社会だということは言えないのだが、産卵のため川を登ってくる鮭に依存し、狩猟採集社会でありながら高度に階層化が進んだ社会という共通点も見られた。

 彼らの文化には二つの有名な文化的特徴がある。一つはトーテムポールだ。シアトルやバンクーバーに行くとトーテムポールが立っているが、あれはこの地域の部族のシンボルマークみたいなもんだからだ。だから北米の他の地域でトーテムポールを見かけたら、「ひぐらしの鳴くころ」の竜宮レナのように「嘘だ!」と叫んでいいと思う。まあ他の地域でトーテムポールを見ることはないとは思うが。。。で、この地域の、もう一つの特徴こそが、今回のテーマであるポトラッチという饗宴だ。ポトラッチの方は一般にはあまり知られていないかもしれないが、人類学では一年生の教科書にも出てくるほど有名な風習だ。20世紀初頭まではホットなトピックだったので、人類学者だけでなく、社会思想家や哲学者なども長い間ポトラッチという風習に注目していた。

 なぜポトラッチがそこまで注目を集めていたかというと、その饗宴が普通の宴会とはまったく異なる原理で行われていたからだ。ここにAとBという集団があったとする。まずAの集団がBの集団を呼んで宴会を催す。Bの集団は料理を腹一杯食べて、ついでにお土産も山ほどもらって帰ってくる。貧乏人の俺なんかは、有難うという感謝の気持ちだけを返して、はい終了!なのだが、普通の人は、それじゃ終わらせられない。お返しをしないといけないからだ。だから、しばらくすると、Bという集団はお返しをするために、Aの集団をよんで宴会を催すのであるが、ここでAの宴会よりも大きな宴会を催すのだ。しばらくして、AはBをよんで、さらに大きな宴会を開き、それよりもさらに大きな宴会をBが開いてAを招待する。結局、宴会の規模はどんどんどんどん大きくなっていき、最終的には、どちらかが破産するまで宴会が続けられていく。まったく大人げない。俺みたいに貧乏人だと、貰うだけでお返ししないから、こういう悲劇は起きないんだけどね。。。人類学の教科書によると、饗宴の応酬がヒートアップしてくると、自分たちの奴隷を殺したり、とても高価な銅製品をすべて川に捨てたり、自分の家に火をつけてすべて焼いてしまったりと、ようするに自分の財産をなげうってしまうらしい。そこで、ポトラッチの「財の蕩尽」に、人間の本質を見ようとした思想家なども出現した。バタイユが一番有名だろう。俺はバタイユは名前しか知らないのだが、蕩尽によって消費することこそが人間の本質であり、それによって意味のない戦いが回避されるとかなんとか言っているようだ。

 さて、このポトラッチだが、なぜ自分の財を使い果たしてしまうのだろうか?実は、その背後には交換行動で生じた「負い目」というものが隠れている。前にも言ったように、我々は何かを受け取ると、お返しをしないといけないという感情を持つ。裏を返せば、お返しができないというのは、とても恥ずべき事態なのだ。そして、そこから、もう一歩発展させると、相手がお返しを出来なければ、恥をかかすことが出来るということにもなる。そういうくだらない見栄を克服しちゃっている俺みたいな貧乏人は、ある意味、無敵なんだけどね。まあ、普通の人は恥を感じちゃう。というか、恥を感じろよ>俺。。。まあ、いいや。。。ということで、要するに、ポトラッチとは擬似戦争みたいなものだ。相手を打ち負かすことが自己目的化してしまっているのだ。だから、すべてをなげうって、名声は得たが、すっからかんになってしまったというような、よかったのか悪かったのか分からない結末を迎えた部族もいたらしい。この破産しちゃった部族の話は、確か祖父江さんというすごく有名な人類学者の「文化人類学入門」という中公新書の本かなんかに、おもしろおかしく紹介されていたと思うんだけど、俺の個人的な感想だと、ちょっと怪しいような気がする。よく知らないけどね。

 あと、もう一つ、付け加えておけば、ポトラッチがこんなに過激になったのは西洋人接触後様々な物資が持ち込まれてからだという研究もあるようだ。本来は、そこまで過激な饗宴は行われてこなかったらしい。さらに19世紀当時の西洋人がどの程度正確にポトラッチを記録出来ていたかという点も怪しいんじゃなかったっけかな。その辺は俺はちゃんと調べてはいないので、詳しくは知らない。ただポトラッチという風習があって、その原理は饗宴の競争だったというのは事実だから、ここで話していることがすべて作り話だったということではない。

 さて、ポトラッチの目的は戦争をしないで、相手をうちまかすこと。つまり恥をかかすことなのだが、この饗宴は結果的に二つのものをもたらしてくれると考えられる。もちろん、それが目的だったわけではなくて、結果的にそうなったというだけだ。何が起きたかというと、一つは集団の成員全員に財が分配されたということだ。もともとポトラッチは政治的リーダーの家族や親族など関係者たちが自分たちの財を預ける形で溜め込まれる。そして饗宴において、集められた富を一気に放出するわけだが、その結果、饗宴に参加している人だけでなく、饗宴に参加できなかった彼らの家族(お土産は彼らに分配される)まで、社会の隅々まで富が分配されていく。つまり富が一ヶ所に集められて、放出されるというシステムになっているのだ。このようなシステムを再分配と呼んでいるのだが、再分配は、人間社会の富の移動の一つの重要な形態だ。なお、現代社会では税金というシステムが再分配として機能している。

 もう一つポトラッチの効用としては、ポトラッチによって富の永久的な蓄積が阻害されているということがあげられる。その結果、集団中の富の格差が生じないようになっている。ただし、最初にいったように、この地域の社会は高度に発達した階層化社会を形成しており、平等社会ではなかった。だから、ポトラッチによって富の蓄積が完全に抑えられていたとは思えない。ただこの社会では富の大きさだけが社会的地位を決めるのではなく、むしろ気前のよさが社会的地位を決定する。だから、ポトラッチの方向性というのは、社会的地位をあげようとする動機と財の蕩尽というものは矛盾してはいないのだ。

 ちなみに北西海岸の考古学では階層化社会の発展を説明するモノとして、野心的なリーダーが富を蓄積していったという「蓄財者理論」と呼ばれるモデルが提唱されているのだが、俺はあれは間違いだと思っている。蓄財者理論を信じている人たちは富をため込むのが人間の本質だと勘違いしているが、富をため込むことはそこまで普遍的な行動ではない。例えば常に移動している狩猟採集社会では、所持品は少ないに越したことはない。そして富をため込むということに価値を置いていない社会では、富をため込むという発想自体起こり得ないだろうし、野心的なリーダーはむしろ気前のよさを強化していくはずである。(ちなみに「蓄財者理論」に対する反論は俺のアイデアなので、論文で引用してくれる人は、連絡ください)

 ポトラッチはこのように政治とも深く関わっているのだが、最後に日本との比較をしてみたい。日本では、キリスト教社会と違って、「寄付」という行為が一般的ではないというようなことが、よく言われる。確かにキリスト教社会では「寄付」というものが一般的だが、日本人は寄付というものを大々的にしたがらない。そこから、日本人はまわりの人を助けようとする精神に欠けるからだというようなことを平気で言う人まで現れているようだが、俺は違う考えを持っている。それは日本人は相手に負い目を感じさせたくないから寄付というものをしたがらないのではないかということだ。つまりポトラッチと表裏の関係にあるのではないかと思うのだ。ポトラッチは相手に必要以上のモノをあげて、返済不可能にし、負い目を感じさせることで恥をかかせた。相手に何かをあげるということは、相手に精神的負担を与えかねない。つまり一方的に何かを施したり助けたりすることは、一種の暴力装置として働いてしまうのだ。それが日本で寄付やボランティアが敬遠される理由ではないだろうか。

 日本では何かをあげるときに、「つまらないものですが」とか「お口汚しにどうぞ」とか言うのであるが、これは謙遜という日本の文化ももちろん関係しているだろうが、モノをあげる時の、そのような暴力装置を回避する目的もあったのではないかと俺は考えている。相手の精神的負担を軽減させるためには、贈り物の価値を低くしてしまうことが一つの戦略になるだろう。それでも、受け取る側の精神的負担を考えると、やはりあげづらいかもしれない。何をあげるにしても、あげるという行為自体が、プレゼントをあげる側を、優位な立場にしてしまうからだ。だから貰った方は少なからず負い目を感じてしまう。プレゼントを貰う人になんとか負い目を感じさせたくないという心遣いに似たものを、プレゼントをあげる方は考えなくてはいけないわけで、そのようなことを考えるとなおさらあげづらくなる。つまりプレゼントを貰うほうだけでなく、あげる方も、いろいろな精神的な負担を感じてしまうことになる。

 プレゼントをあげた上に、さらに精神的負担まで感じたら割にあわない。だからかどうかはわからないが、日本とは逆の方向にマナーが発展していった社会がある。アフリカのサン族(以前はブッシュマンと呼ばれていた)だ。彼らの社会では、何かを貰うと、貰った側の人間が、貰ったものを罵るらしい。こんなつまらないものを貰っても、俺はうれしくもなんともないというようなことを言いながら、プレゼントを受け取るのだそうだ。現地の人の解釈だと、プレゼントをあげる人がいい気にならないように、彼らのくれたものをけなすのだと考えられているようだ。ただ俺は違う解釈をしている。俺の勝手な解釈だが、おそらく、プレゼントをけなすことによって、プレゼントをあげる人が、貰う人の心配をして、精神的負担を感じさせないようにするためじゃないかと思うのだ。つまり日本とは逆のケースである。

 この解釈があっているのかどうかはわからない。ただ、ポトラッチと日本とサン族の風習を見ていると、交換行動で感じる負い目というものは同じでも、その負い目という感情をどのように扱うかという点で、様々な変化を見せ、結果的にさまざまな風習になっていったのではないかということがわかる。さて、今までは、絶えず交流のある集団どうしの交換行動を見てきた。次は、言語も文化も異なる二つの社会の間で行われた、沈黙交易の話をしてみたいと思っている。



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経済人類学序説2 クラ交易

 昨日は交換行動に人間関係を維持する機能があるということを紹介した。商売というか市場経済というものは、その真逆に存在する。つまり市場経済においては関係性を生じさせずに交換行動をすることを目的とし、そのために交換をその場で完了してしようとする。

 このような市場経済というのは、別に資本主義や貨幣経済とは直接的には関係がない。昔から境内などでは、市(いち)がたち、多くの人たちが交換行動を行ってきた。もちろん市と市場経済は似て非なるものだ。市自体がいつ頃から始まったのかは分からないが、祭りなどの「ハレ」の日に催される市が非日常的空間であったのは確かだろう。つまり、そのような空間における経済活動は単純な市場経済というよりも、むしろ宗教的行為と深い関係がある。今でも祭りで出店を見ていると、普通の空間とは異なる何かを感じるだろう。またおいしくもない焼きそばやたこ焼きを食べたくなったりする。そこでは、買い物をするというよりも、このような独特の空間にいるという感覚の方が重要になっていると思う。それが市が、単純な市場経済と異なるという意味だ。また旅芸人や商人が異人と見られていたというような議論も経済人類学の重要なテーマであるのだが、それは別の機会に書きたい。ここでは、市という市場経済とは異なるが、不特定多数の人間との交換行動が行われる場(その意味では交換行動よりも市場経済に近い場ではあった)というものが昔から存在していたということを強調しておきたい。そして、もう一つ、非市場経済と市場経済の中間的なシステム、つまり人間関係をある程度維持しながら、そこで金銭のやりとりという市場経済に似た関係を作り上げるようなシステムが存在したのではないかということを確認しておきたい。なんでこんなことを確認しておきたいと言うかというと、実は、今朝、そのような事例を偶然思いついたからだ。だから深い意味はあまりない(笑)。

 オレは子供のころ、お気に入りの薬があったのだが、家では、その薬を富山の薬と呼んでいた。実は、当時(70年代後半から80年代前半だが)、オレの家には富山の薬売りが来ていたのだ。オレの家は神奈川にあるのだが、富山の薬売りの人は、数ヶ月か半年おきぐらい(だと思う)に家を尋ねてきて、薬箱の中をチェックする。で、使った分だけの料金を請求し、新しい薬を補充して、帰っていった。

 どのようにして富山の薬売りがオレの家にくるようになったのか、いつ頃こなくなったのかは知らないが、いつも同じ人がオレの家に来ていたような気がする。つまりオレの家と契約を結んでいたのだと思う。契約といっても契約書があったわけではなく、ただ信用だけで成り立っていたんだと思う。信用で商売のパートナー関係を結んでいたのだ。もちろん、富山の薬売りの人も、誰とでもパートナー関係を結んでいたとは思えない。オレの家は昔からあったし、曾祖母の代は店も開いていたので、薬の代金を払わずに、ある日突然いなくなるというリスクが少ない家だったと思われる。そういう家とだけ関係を結んでいたのではないだろうか。ただ、そうであっても、このシステムの興味深いところは、パートナー関係を結ぶことによって、お金の受け渡しをする商売でありながら、ある程度、人間関係も維持する商売だったという点だ。そこが普通の市場経済とは異なるシステムに見えるのだ。なお、富山の薬売りの存在も、異人やまれびと信仰などと関連付けて解釈することもできるかもしれないが、その話も、また今度に譲りたい。

 さて、このようなパートナーを対象にした商売というものを見ていると、人類学における有名な交易が思い出される。それはクラ交易と呼ばれているものだ。クラ交易とは、メラネシアのトロブリアンド諸島における交易である。いくつかの島が交易網に組み込まれており、その島の男たちはカヌーを使って近隣の島に行き、交易をしてくるのだ。近隣の島といっても、カヌーの航海はもちろん危険が付きまとう命がけの航海である。

 クラ交易で取引されるモノは貝の腕輪と貝のネックレスである。これらの品が人づたいにどんどん島を渡っていくわけだが、島は円形のようなネットワークを形成しており(実際はもっと複雑だけど、とりあえず円形になっていると考えてください)、貝の腕輪は反時計回り、貝のネックレスは時計まわりで受け渡されていく。

 クラ交易に参加する男たちは、近隣の島にクラ交易のパートナーを何人か持っている。そして、そのパートナーが島を訪れてきたり、自分がパートナーの島にいって取引をするわけだが、ネックレスを受け取ったら、返礼に腕輪を返す。腕輪を受け取ったら、ネックレスを返す。これによって、ネックレスと腕輪は逆方向に回っていくわけだ。またクラ交易では、その場で取引を完了するわけではなく、ある一定期間をおいてから返礼する。

 さて、このクラ交易は人類学の教科書には必ず載っているとても有名な交易で、人類学部の一年生でも知っているはずのものなのだが、この交易が注目される理由は、クラ交易が市場経済とは異なった原理で行われているからだ。何が独特かというと、まず値切り交渉がない。というか値切り交渉ができない。相手が返礼として何を返してこようが、こちらは何も言えないし、言ってはいけない。もちろん、現地の人が経済感覚がないわけではない。実はクラ交易とは別に、値切り交渉をする場が用意され、日用品などが交換される。ただ、クラ交易の交換においては値切り交渉をしてはいけないことになっている。このような話を聞くとちょっと変に思うかもしれないが、実は同じような感覚は我々も持っている。友達にお金を借りたときには利子などは請求しないだろう。ご飯をおごってあげたお礼に、友達がご飯をおごってれることになったとき、自分がおごったご飯よりも、100円や200円安いとか高いといったことを考える人はあまりいない。なぜなら、ケチと思われたくないからだ。

 クラ交易の興味深い点の二つ目は、クラ交易で交換されているネックレスや腕輪は誰も所有できないということだ。どんなに価値を認めても、交易のパートナーが来たら手放さないといけない。コレクターのように自分の家の倉庫にしまいこんで、夜な夜なそれを眺めて、にたーっと悦に浸るなんてことは出来ないのだ。ちなみに、今の中学生とか高校生とかはわからないが、所有しないと落ち着かないという感覚は、ある年齢以上の人には共通の感覚だろうと思う。ただ、クラ交易の腕輪やネックレスというのは、実は優勝トロフィーに似た感じだと考えるとわかりやすい。優勝トロフィーも一定期間所持したら、次の大会で手放さなくてはいけなくなる(また優勝すれば別だが)。しかし一定期間持っているということが名誉なことであり、それに喜びを覚えるのだ。

 クラ交易が興味深い三点目としては、そのネックレスと腕輪の価値が、その物の価値だけではないということだ。もちろん素材や形状で価値が高くなることもあるようだが、ネックレスと腕輪には、素材や、そのものの価値以上に、もっと本質的で重要な価値が付与されていく。それは物語だ。クラ交易は極めて危険な航海によって受け渡されていく。その過程で様々な物語が語られる。そのような物語が古くて価値のあるネックレスや腕輪には付与されていくのだ。だから、きらびやかで高価な素材を使った新品ネックレスよりも、多くの人たちの手を渡ってきたネックレスの方が、多くの物語を持っており、それだけ価値が高いと見なされている。これも優勝トロフィーと似たところがあるだろう。優勝トロフィーも様々な物語が付与されているのではないだろうか?素晴らしいプレーや名勝負などの物語が付与されて、トロフィーの価値を高め、それが試合の価値も高める。去年から始まった大会よりも、100年の歴史のある大会の方が価値がある。だから新しい大会の新品のトロフィーは綺麗だが、あまり価値はないのだ。同じように、クラ交易の命がけの航海などの武勇伝は腕輪やネックレスの価値を高め、クラ交易の価値を高め、そして、そのようなものを所持している者は名誉を得る。ちなみに、古代社会では威信財と呼ばれる様々なモノが交換されていたわけだが、クラ交易は、そのような威信財交易がどのように行われていたかというヒントを与えてくれている。

 このようにクラ交易は交換行動の特異性を我々に教えてくれている。人間社会ではこのような交換行動と損得勘定を交えた経済活動の二つのコンビネーションが基本であったと思われる。ただ市のような不特定多数を相手にした経済活動の場が登場してくる以前は、交易パートナーをもち、彼らや彼らの一族と関係性を維持しながら、様々なものを交換していたと思われる。

 構造主義人類学者のレヴィ=ストロースは、交換活動が人間同士の関係性を維持するために役に立っているということに注目し、外部の社会との関係性を維持するために必要だから、近親相姦のタブーが生じたのだと考えた。これが有名な「女性の交換」というアイデアだ。当時のフェミニストは、この女性の交換という考えにヒステリックに反応したわけだが、レヴィ=ストロースは別に女性を物扱いしていたわけではない。ただ、婚姻関係というのは二つの家族や親族の関係を強化することが目的であり、父系制社会では、女性がそのような交換財としての役割をになっているように見えるといっただけである。

 ここで重要なのは、むしろ婚姻関係が交換行動として解釈できるという点だ。結婚という社会活動と交換という経済活動は一見関係のない二つの社会活動に見える。しかし、実はこの二つの活動は重なっており、二つを単純に異なる活動として扱うことは出来ないということなのだ。これは結婚という活動だけではない。例えば供え物という宗教的活動もまた神との交換行動であり、政治においても経済活動が深く関わっているからだ。つまり人間活動というものは、宗教や経済、政治などの活動を厳密に分けることはできない。すべては密接に関わりあっていて、見方によっては宗教的活動に見える活動が、他の視点からみたら経済活動に見えるといったことがあるのだ。だから、経済や政治といったものを取り出してきて研究しても、その活動を理解したことにはならない。社会や人間活動を理解するためには社会活動を分割するのではなく、一個の総体として見るような、ホーリスティックな視点が必要だということなのである。このような視点を与えてくれたのも、「経済人類学」の著者の栗本さんに言わせると、実は経済人類学の成果なのだという。ということで、次回は政治と経済の関わりということで、再分配とポトラッチについて見てみたい。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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