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映画 『The Thirteenth Floor』

13F コレクターズ・エディション13F コレクターズ・エディション
(2000/07/13)
クレイグ・ビアーコアーミン・ミューラー=スタール

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テレビで映画『13th froor』が放映されていた。1999年に作られたSF映画だ。テーマが仮想空間で、マトリックスと同時期に作られたため、この映画が脚光を浴びることはなかった。アクションシーンがほとんど無いこの映画は、エンターテイメントとして見たら、確かにマトリックスより数段劣ってしまっている。ただマトリックスとは違った意味で、よく出来ていると思う。というか大衆受けするアクションシーンなどに頼らず話の筋で勝負したこの映画の方が、正統派SFの王道をいっている作品だと評価することができるかもしれない。

さて、今回、この古い映画を取り上げたのは、この映画を見て懐かしかったということもあるのだが、実は、前に見ていたときには気がつかなかった部分が今日見えてきて、この映画はやっぱり面白いと思ったからだ。そういうことなので、ここでは、俺が面白いと思った2つの点について書きたいと思う。

一点目は、現実の世界の人間が、仮想空間の人物を好きになってしまうというシーンについてだ。このシーンで、告白された仮想空間の人物は、「幻を好きになれるはずがない!」みたいなことを言って、現実世界の人が仮想空間の人を好きになるなんてことはありえないと否定する。なんで、このシーンがおもしろいかというと、このような感情ってキャラ萌えとか二次元キャラに恋したとかいう感情と同じだからだ。そして、このような感情はアイドルを好きになるという感情と大差ないと、大塚英志は述べている。つまり、現実の接触がほとんどないアイドルを好きになるという行為は、アニメのキャラクターを好きになるという行為とほとんど同じであり、コストのかからない究極のアイドルとはCGで作り出されたヴァーチャルアイドルということになる。こういう議論は日本では1990年ぐらいに盛んだったようだ。ヴァーチャル・アイドルがテーマになっていたアニメや漫画も、その頃に、いくつか作られていたような気がする。

俺が興味を持っているのは、それではアメリカ人も仮想アイドルを好きになるのだろうかということだ。アメリカでも実在するアイドルの人気は高いのだし、アイドルの本質が日本とアメリカで同じだとするなら、アメリカでもヴァーチャルなアイドルというものや、二次元キャラクターというものに愛情を感じる人が現れてもおかしくないように思われる。ただ、アメリカの文化を考えたとき、そのような流れがないような気もする。まだどちらなのかはわからない。

オタク文化は確かにアメリカ人に好意的に受け入れられた。日本語のクラスでアニメファンのアメリカ人を何人も見てきた。ただし彼らが日本人のキャラ萌えと同じ仕方でアニメを消費しているのかどうかは、はっきりしない。ちゃんと聞いたわけではないのだが、俺のもっている印象としては、アメリカ人のなかでは、リアルな恋愛というものだけが求められているような気がする。そして、アメリカ人のオタクたちも、そのような傾向が強いような気がする。もしもそうならばキャラ萌えというものがアメリカでは根付かないということになる。ただ、今のところはどういう風になっていくのかわからない。

もしかしたら、アメリカでも、すでにキャラ萌えが存在しているのかもしれない。しかし、もしまだ存在していないとしたら、それはなぜないのかということが次の課題になってくる。文化の違いで、そもそもキャラ萌えというものが生じないのか、それともこの先10年ほどしたらアメリカ人もキャラ萌えというものを受け入れていくのか、そのあたり興味深いところだ。今回特筆すべきことは、この映画で、すでにそのようなヴァーチャルなキャラクターへの愛情というものが表現されていたということだ。将来、アメリカでもキャラ萌えが流行ったとしたら、その萌芽はこの映画にまで遡れるといえるのではないかと思う。

この映画を面白いと思った二点目は、この映画では、仮想空間を生きる人たちが、我々現実世界に生きる人間たちと同じだと見なされていることだ。科学の発達と共に、倫理的問題がクローズアップされてきたことは良く知られている。たとえば、クローン人間の研究などがそれにあたる。その根底を流れる思想は、もちろん神への冒涜としてのキリスト教観であるが、それ以外にも人間の尊厳を踏みにじってはいけないというヒューマニズムであろうと思う。クローン人間にも人権があるという議論は、SF世界ではアンドロイドやロボットの権利を取り扱った映画などで表現されてきた。ブレードランナーなどが有名だろう(ただオリエンタリズムだしまくってるブレードランナーは個人的には嫌いなのだが。。。)

ただ、こういうSFですら人工知能の権利というものはあまり取り扱われてこなかったように思う。それは現実の世界においてもそうだ。倫理に反するから人工知能の研究をしてはいけないという議論は聞いたことがない。その理由は人工知能が、まだ人間の知能に比して問題にならないほど機械的であるからだと思う。加えて、実際に人工知能が生み出されたとしても、研究に使われているコンピューターのモニターを見ている限りでは、おそらく自我をもった実在する「何か」を見ることも想像することもないからではないかと思う。後者の理由から、将来的にも人工知能研究が倫理的問題を引き起こす可能性は低いような気がする。

ただ良く考えると、このあたりは議論の余地が残されているのではないだろうか?我々はいまだに魂というものが無いということを証明できたわけではない。そして体と魂の二つがあるとしたら、そもそも人の権利とはどちらに求められるべきなのか?体だとしたら、将来、体を機械に置き換えていくサイボーグの技術が究極まで進んだとき、人を人として認めることが出来なくなってしまう。反対に、体ではなく、魂だとするならば、もともと体などを持っていなかった人工知能やコンピューターで作り出されたキャラクターにも、人としての権利を与えるべきであろう。むしろ、人工知能の研究や自我をもったキャラクターを作り出すこと自体、本質的にクローン技術と同じであるわけだし、そのような命を弄ぶような研究は禁止するべきだという議論になるのかもしれない。そのあたりの問題を、実際に仮想空間に入って、その中のキャラクターたちと交流するという設定でうまく表現してみせてくれたこの映画は、マトリックスのような単純なエンターテイメントとしてではなく、仮想空間や人工知能のもっと本質的な何かを示しているように思われる。


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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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