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アメリカン・ビューティーを見て思ったこと

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今日、映画『アメリカン・ビューティー』を見た。この映画の名前は前から知っていた。というか、昔、『アメリカン・ビューティー』がすごく好きなんだ!とか能天気に言っていた。それから、しばらくして、俺の言っていた『アメリカン・ビューティー』というのは、実は『デンジャラス・ビューティー』という映画だったということを知って赤面した。で、今日気がついたのだが、『デンジャラス・ビューティー』と『アメリカン・ビューティー』って、小学生と大学生ぐらい内容のレベルが違ったんだね。もちろん小学生レベルが『デンジャラス・ビューティー』ね。『アメリカン・ビューティー』ってのは、恋愛映画だと勝手に信じ込んでいたのだが、こういう社会問題を扱った重くて深い内容の映画だったとはねー。。。やっぱ、俺は『デンジャラス・ビューティー』の方が好きかなー。『アメリカン・ビューティー』は理解できないからねー。

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なので本当は『デンジャラス・ビューティー』について語りたいたいのだが、今日は『アメリカン・ビューティー』について書きたいと思う。と言っても、実は書くことがあまりない。というか、ほとんど理解できていないのだ。まあ、「ええの~。ええの~。若い娘の乳は、ええの~。ぐへへへへ、じゅるじゅるじゅる」と、よだれ垂らしながら、美人チアリーダーのアンジェラの胸について一時間ぐらい熱く(というか、むさ苦しく)語っていてもいいのだが、俺も若くはないし、そういうヘンタイチックなことを書いて俺のブログの品位を下げるのは、よくないということに、最近気がついたので、今日はやめておこう。

で、話を戻すのだが、もともと社会問題をテーマにした、こういう映画は得意ではない。美人チアリーダーが実は萌え系の見習い魔法使いだったとか、隣に引っ越してきた青年が実は吸血鬼だったとかいう展開だったら、俄然面白さが倍増されると思うのだが、そういう展開を望むこと自体、俺の映画評論のレベルの低さを端的に表しているのだろうと思う。ということで、まあ、先に言っておくと、今回のレビューはほとんど意味のない戯言である。そんなもん書くな!とか言われると、ちょっとつらいのだが、実は『アメリカン・ビューティー』を見終わって、「何かブログにレビュー書くんでしょ?」って一緒に見ていた彼女に言われてしまい、ほとんど理解できていないとは言ったものの、まさか本当に、ほとんど理解できていなかったなどということがばれると、映画オタク人類学者としての俺の立場がなくなってしまうので、ここは無理してでも何かを書かなくてというプレッシャーをひしひしと感じながら、何も考えずに書き始めたわけだ。

で、英語が理解できていない部分とかがあったので、内容を誤解していて変なコメントとかすると恥ずかしいから、とりあえずネットであらすじを確認してみた。なんだ、皆、いろいろ書いてるじゃん。というか、アマゾンレビューとかを読んでいたら、この映画を見て感動した人もいるみたいだ。それにしても、この映画で感動って。。。。。。俺には理解できん。『空の境界』の橙子さんの心境だよ。

荒谷、何を感動する?

荒谷、どこに感動する?

荒谷、なぜ感動する?

みたいな。。。とにかく、こういう映画で感動できる人の気持ちは、俺にはよくわからない。たしかに、俺もアンジェラの胸が見えたときには、ある意味、感動したから、そういう感動なのかな(ちがうわい!)。とりあえず、一つはっきりしたことは、他の人のレビューはよく書けているということ。感動した人は気持ちも入っているだろう。そこ行くと、アンジェラの胸ぐらいしか印象に残っていない俺のレビューじゃ、ちょっとレベルが違うのさ。まあ、そういうことなので、あんまり期待しないでください。

で、今回、俺はこの映画で何を書きたいのかというと、この映画のテーマについてである。そのぐらいしか書くことがないので(笑)。では、何がテーマかというと、ようするに「家庭崩壊」ということになるだろう。誰が見てもそうなると思う(笑)。「家庭崩壊」がテーマの映画って、他にもいろいろあったと思う。特に90年代に、いろいろ作られたような気がするし、俺も何本か見たような気がする。のだが、ほとんど思い出せない。ただ90年代以降アメリカ映画の大きなテーマの一つが家族を取り扱った社会問題系であったのは確かであろう。そういう映画って、大体において、もともと幸せだった家族が、いつしか崩壊していく様子や、崩壊した後に元に戻るという物語が語られているような気がする。

さて、このような映画で面白いのはアメリカの典型的な中流階級の家族に焦点が当てられていることである。この中流階級の家族の「家庭崩壊」というのが興味深い理由は、ブログで紹介したように、偶然にも昨日『ミドルトン一家 ニューヨークに行く』というドラマを見ていたからだ。能天気な笑みが絶えないミドルトン一家には家庭崩壊などという単語は無縁である。明るい夢のような中流階級の家族像が描かれている。それが半世紀経って作られた映画に登場する中流階級の家族は「家庭崩壊」に悩んでいる。そのあたりのギャップが俺的には興味深かった。

さて、この「家庭崩壊」というテーマと共に「日常」と「非日常」の違いというテーマも『アメリカン・ビューティー』では語られているような気がする。現代社会の家庭に潜む「非日常」への誘惑が、この映画の大きなテーマであり、それによって「家庭崩壊」が引き起こされるのである。さらに「平凡」と「特別」の違いも関連してくるように思う。例えば美人チアリーダーのアンジェラが「特別」でありたいと言うシーンがあるが、このような「特別」でありたいという願いは、多くの「近代人」に共通する感情であるのではないだろうか?つまり「平凡」な「日常」を脱して「特別」な「非日常」に飛翔していきたいという願望こそが近代人の願いなのである。ちなみに、昨日読んでいた佐々木敦(著)『ニッポンの思想』によると、この「特別」でありたいという衝動は近代人の特徴だと、蓮實 重彦(はすみ しげひこ)という人が言っているそうだ。

・・・蓮實はそもそもこのような「変えているつもりが似てしまう」こと、すなわち「特殊であろうとすることがそのまま凡庸さである」という逆説を「近代(人)」の特徴だと考えています。人とは違うこと、他者との差異を強調しようとすればするほど、それは他者(たち)と同様の「凡庸」な欲望に突き動かされていることになってしまうわけです。(『ニッポンの思想』佐々木敦(著) 113ページ)



まあ、ここらへんはどうでもいいのだが(←なら書くな、俺!)、ようするに『アメリカン・ビューティー』では「日常」と「非日常」がテーマになっている。で、「日常」と「非日常」と来たら、最近、はまっていたアニメ『空の境界』を挙げたくなるわけだ。

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『空の境界』では登場人物のほとんどが「非日常」に属している。だから「非日常」が、あたかも「日常」であるような錯覚を覚えていく。同時に、リアルな世界では平凡な「日常」を過ごしている我々からみると「非日常」を生きる彼らがまぶしく見えてしまう。しかし、『空の境界』では、「日常」を評価している。登場人物が「非日常」に逃避していく『アメリカン・ビューティー』と違い、『空の境界』では能力的には「非日常」に属しているはずの主人公が「非日常」ではなく「日常」を選択するのだ。第7話の最後で述べられているように、『空の境界』とは「日常」を選んだ主人公「両儀式」の物語なのである。このように『空の境界』では視聴者に「非日常」を魅了させておきながら、最後に、「日常」を選択させるという話の流れを作り出している。『アメリカン・ビューティー』とは正反対の結末ではないかと思う。もちろん、この二つを単純に比較することには無理があるのかもしれない。デフォルメされているとはいえ、日常生活の闇を描いている『アメリカン・ビューティー』と、魔術師やゾンビが登場するファンタジーアニメの『空の境界』を比較すること自体、無意味だろう。ただ『アメリカン・ビューティー』に似た展開で「非日常」を描いた作品として、『トゥルーライズ』が挙げられると思うので、そちらを見てみたい。

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『トゥルーライズ』のテーマも「家庭崩壊」なのであるが、『アメリカン・ビューティー』との違いは『トゥルーライズ』ではスパイという非日常の世界だということだ。シュワルツネッガー演じる主人公のハリーは腕利きのスパイなのだが、家族には普通のセールスマンだと嘘をついているところから話が始まる。平凡でつまらないハリーに、妻も娘も愛想をつかしていた。しかし妻の浮気などをはさんで、ハリーがスパイだということを妻も娘も知ることになり、物語の最後では家族全員がスパイになって家族全員が仲良くなるというところで物語が終わる。つまり、家族が「非日常」を選んで終わるということだ。ここには『空の境界』と正反対の選択がなされていることは明らかであろう。

さて「日常」とか「非日常」という言葉は実は人類学者が喜ぶ単語である。ということで、ちょっとだけ、そっち方面を書いてみたい。そもそも近代人はなぜ「非日常」に憧れるのだろうか?『アメリカン・ビューティー』の家族はなぜ「日常」で満足できていなかったのか?そのあたりに近代の問題点があるように思う。そして、それは「日常」がすべて「非日常」に置き換わってしまったことによる。

つまり「日常」が退屈なのではないのである。毎日が「非日常」を生きている我々には「非日常」であるはずの「日常」が物足りなくなってしまっているのだ。古来、人間社会はどこでも「日常」と「非日常」を周期的に変えて生活に変化を与えてきた。日本では「ハレ」と「ケ」と呼ばれたりもするのだが、祭りや儀礼行為など日常とは異なる空間を演出してきた。そのような変化を経て、人々はまた「日常」に戻ることが出来たのだ。

近代の問題点は、そのような日常と非日常の違いが明確ではなくなってきたことである。つまり『アメリカン・ビューティー』で示されている問題点は、アメリカ人がどうのとか、浮気がどうのという問題ではなく、もっと大きな視点で、現代社会の「非日常」の喪失が問題なのだと思う。「日常」を有意義に過ごすために「非日常」を取り戻さなくてはいけない。そのためには変化に富んで非日常化してしまっている「日常」をなるべく単調にし、日常と非日常の差異を強調して、生活に変化をもたせていくことが必要なのだろうと思う。

と、書きながら、自分で何が言いたいのかわからなくなってきたので、ここら辺でやめておこう。


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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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