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タイムトラベルSF映画を簡単にまとめてみた

今日、東浩紀(著)『クォンタム・ファミリーズ』の書評が朝日新聞に載っていた。
http://book.asahi.com/review/TKY201002230201.html

この本は確か12月か1月ぐらいに出た本だと思う。もっと早くチェックしたかったのだが、いろいろあって内容はチェックできなかった。アマゾンのレビューだけチェックしたけど、家族がテーマということで、あまり興味がわかなくなっていて。。。どっちにしても古本屋に出てくるまでは、買えないだろうし。と思っていたのだが、この書評を読んだら、今すぐ、この小説を読みたいという気にさせられた。それだけ、上手い書評だった。

さて、俺は量子力学の勉強は挫折したので、ほとんど理解できていないし、だから多世界社会などと言われてもぴんとこないのだが、まあパラレルワールド自体は好きだ。だから、そこらへんで興味がわいてくる。もともと東さんは『ゲーム的リアリズムの誕生』とかでマルチエンディングのパラレルワールドの文学的意味などを考察していた。その延長線上にこのような小説を書いたとしても不思議ではない。さてパラレルワールドといえば、『ゲーム的リアリズムの誕生』では『All you need is kill』や『ひぐらしのなく頃に』、『九十九十九」などが取り上げられている。そういうこともあって、俺は数週間前に、今更ながら、アニメ『ひぐらしのなく頃に』を見て、『ひぐらし』の世界にのめりこんでいた。

『ひぐらしのなく頃に』は山村の田舎町を舞台に、そこで起こった連続怪死事件に巻き込まれた若者たちの話である。この物語が面白いのは、全50話ほどあるのだが、第4話で主人公(らしき人物)が殺されてしまうのだ。で、第5話では主人公が殺される数週間まえに戻って、似たような展開の物語が始まる。で、4話ぐらいでまた皆殺される。まあ、そういう感じで、事件が起きる昭和58年の6月が何度も繰り返され、そのたびに、異なった展開の話だが、悲劇の結末はほとんど同じという物語が続いていく。ただ4つほど似たような悲劇の物語が語られた後、なぜ同じ時間をいったりきたりするのかということが明らかになり、そしてこの連続怪死事件の本当の犯人は誰なのかということも明らかになる。

 まあ、ようするに『ひぐらしのなく頃に』は、あるキャラクターが昭和58年6月のこの町を舞台にしたパラレルワールドの間を飛び超えて色々な世界をいくつも体験する話なのだ。簡単にいったら、マルチエンディングのゲームであるサウンドノベルというアドベンチャーゲームの様々なシナリオをプレイしているようなものである。この『ひぐらし』とか、さっきいった『All You』など、マルチエンディングのゲームの基本は分岐点で選択肢の一つを選ぶことによって異なったシナリオに進むことができるという点だ(『ひぐらし』のゲームは分岐点が、ほとんどないらしいが)。そのような分岐によってパラレルワールドが生じるというのは、タイムトラベルのパラレルワールドと同じではないのかという疑問がわいてくる。そこに違いはあるのだろうか?ということで、これから数日は、このネタでがんばってみたい。まずは、タイムトラベルについて考えてみたい。

 タイムトラベルといえば、やはりSF映画が真っ先に思い浮かぶ。昔から結構いろいろなタイムトラベルものの映画があって、俺も小さい頃はタイムパラドックスを考えながら、硬派なSFタイムトラベル(またはタイムスリップ)ものの映画を捜し求めていた。例えば、『ファイナルカウントダウン』はアメリカの空母ニミッツが日本の帝国海軍が真珠湾攻撃をする直前の太平洋海域にタイムスリップしてしまい、真珠湾を奇襲するゼロ戦編隊にF14がスクランブル~みたいな。まあ、でも、歴史を変えずに現代の真珠湾に戻ってくるという話だ。『ファイナルカウントダウン』は子供のころに見て感激したのだが、数年前に見たら、日本軍の描き方などがひどくてがっかりした。映画の話じたいも大したことないし。タイムパラドックスには注意しているがそれだけの映画だったかな。一つだけ見どころがあるとすれば、過去に取り残されてしまったニミッツ乗組員が主人公をニミッツに乗せた大富豪だったとわかり、一見落着(というような話だったような気がする)。とりあえず、過去に取り残された男が過去と現在を繋ぐ鍵になっていて、そういう話だけだと大して感動はないのだが、タイムトラベルもののSFはそういう過去と現在を矛盾なく繋ぐ鍵が、話に深みを与える重要な要素になっているのだ。といっても、勇ましい音楽とともにゼロ戦を追い掛け回して撃墜するF-14の姿を見ていると、こっちが恥ずかしくなってしまうのだが、80年代ではこういう子供だましもありだったのかな。。。

 タイムトラベルもののSFで俺のお気に入りは『フィラデルフィア・エクスペリメント』だ。こっちはよく出来ていると思う(これも大学の頃に見たっきりなので、今、見たら俺の感想は変わるかもしれないけど)。ただタイムパラドックスなどはしっかりしていたような気がする。この映画のあらすじは、第二次世界大戦のときに米海軍はステルス実験をフィラデルフィアで行った。で、駆逐艦を使用した実験だったんだけど、実験は失敗し、駆逐艦は乗組員を乗せてどこかに消えてしまった。で駆逐艦が再度現れたときには、乗組員はすごいことになってしまっていたという実験らしいんだけど、それをモチーフにした映画で、主人公とその友達が時空を超えて現代(80年代?のアメリカ)に来てしまう。そのころ、アメリカでは時空が歪んである町がまるまるひとつ時空のゆがみに飲み込まれてしまいそうになっていて、その原因がフィラデルフィアエクスペリメントにあるとふんだ責任者の科学者が、主人公に過去に戻って船の動力を停止させるかなにかしてくれと頼む。で、世界を救うために主人公は過去に戻った。というわけで、まあ、あらすじは単純なのだが、この映画を面白いと思ったのは、タイムパラドックスの辻褄を合わせ、なんとタイムトラベルのすべてを知り尽くした俺様(←誇張です)を納得させた映画だったからだ。というか、何が納得できたかというと、主人公と共に現代にタイムスリップしてしまった主人公の相棒はちょっとだけ現代の世界をさまようわけだが、何かが起こって過去に戻ってしまう。で、主人公はその後、その過去に戻った相棒の家を訪ね、年老いた相棒と再会する(もしかしたら相棒の家族に会うのかもしれない)。そして、その相棒が過去に戻って現代の話をしたが誰にも相手にされなかったことなどを聞かされる。そのあたり、結構、泣ける。さらに、その相棒が言うには、主人公がもう一度船(時空をさまよっている)に戻ってきたという。その時点では、主人公はまだ時空をさまよっている船には戻っていないわけだが、その話を聞かされていたので、映画の最後に主人公がその船に戻ってスイッチを切ってくれと頼まれたときに、自分は行くことが決まっているはずだから、行くと答えて、時空の狭間に飛び込んでいく。そういうことで、この映画の面白さの鍵になる部分は、この過去に戻ってしまった主人公の相棒ということになる。彼を通して、過去と現在と時空の裂け目がすべて繋がるのだ。

 もう一つ、昔はあまり気にならなかったのだが、最近になって気になりだした映画が『戦国自衛隊』だ(ちなみに1979年に作られた千葉真一主演の『戦国自衛隊』です)。子供の頃に見たときは、さっきの『ファイナルカウントダウン』のパクリか何かかと思っていた(実はパクリではないし、戦国自衛隊のほうがよっぽどしっかりしたつくりです)。当時はアメリカ軍の方がかっこよく見えてしまうし、戦国時代にタイムスリップするなんて、真珠湾攻撃前夜にタイムスリップする『ファイナルカウントダウン』と比べると見劣りしてしまっていたのかもしれない。俺が『戦国自衛隊』で、一番納得できなかったというか、一番理解できなかった部分は、千葉真一演じる自衛隊の伊庭三等陸尉が映画の最後で織田信長になるという部分だった。中学生か高校生の頃に初めてこの映画を見たのだが、当時でも確かにこの映画の設定というか言いたいことはわかった。自衛隊が飛んだ先には、歴史の上ではいるとされていた織田信長たちがいなかったりと、われわれが知っている歴史と大きく異なっている世界だった。それがいつの間にか、自衛隊が歴史に関与して、歴史が修正され、最後は我々の知っている歴史になったという話の流れは理解できた。ただ、納得できなかったのは、彼らが飛んだ先になぜ織田信長がいなかったかということだ。我々の知っている歴史以外のパラレルワールドに飛んでいってしまう理由がわからなかった。なぜ、そのように考えたかというと、俺は当時歴史には真実があると信じていたからだ。だから歴史の真実である「織田信長」の存在を無視した時代設定というだけで、俺の中ではNGだった。最後に辻褄さえあえばなんでもいいのか!と言いたかった。それが俺の無知から来ていたとは知らなかった。ここ何年も人文系の学問などを勉強してきて学んだことは、歴史に真実はないということだ。我々が知ることができるのは、ありそうな事実であり、様々な資料と矛盾しない合理的な解釈から導き出された仮説に過ぎない。だから、もしも織田信長がいない世界があったとしても驚いてはいけないのだ。だって誰も織田信長本人にあったことなどないのだから。俺たちが知っているのは、彼が存在したと仮定した場合、他の資料と矛盾しないというだけだ。織田信長に似た人物が織田信長のように振舞っていたとしても、それはそれでありなのだ。だから戦国時代に自衛隊がタイムスリップしたということを否定することは出来ないともいえる。いつか、どこかで自衛隊の部隊が消える事件が起きるかもしれない。そして、彼らは過去に飛んでいくかもしれない(まあ、実際は、戦車やヘリコプターなどが過去に使用されたら、その情報が民話などに残ってしまうはずだけどね)。ただ、そういうことで、『戦国自衛隊』はセンセーショナルな荒唐無稽の物語で、最後に辻褄だけ合わせた二流のタイムトラベルSF小説が原作だと思われるかもしれないが、実はもっと歴史哲学に関係するような設定だったと思うのだ。つまり歴史の真実とは何かとかがテーマって事。そう考えると、この映画はとっても考え込まれた映画なのでもう一度見たくなる。

 さて、タイムトラベルの映画というと、たいていの人は『バック・トゥー・ザ・フューチャー』3部作はどうしたという人がいると思うのだが、俺はあまり好きではなかったので一言だけ。タイムパラドックスを完全に無視した映画なので論外です。まあ、でも、今は俺も大人の寛大さが出てきたので、この映画もただの娯楽映画として見れば楽しめるという感想を抱けるようになったのは確かだ。大学生ぐらいまでは、パラレルワールドになっちゃったですべてを終わらせるその安直な設定が本気で許せなかったけどね(笑)。ただ、最近、もう一つ興味深いことを発見した。それが、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』はタイムトラベルとしてみるのではなく、むしろ『ひぐらし』などのゲーム的リアリズムの物語に近い感覚なのだということがわかったからだ。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』自体は、ただの娯楽映画として作れられただけなのだろうけど、結果的には、最近の日本で流行っているパラレルワールドと同じつくりになってるのは興味深い。

 本当はもう少しいろいろ映画を紹介したいのだが、長々と書いてもしょうがないので、明日と明後日続きを書きます。おそらく明日は『歴史にifはあるか』ということを中心に、『ロストメモリーズ』と『ジバング』について比較したいと思います。あとパラレルワールドとしてのタイムトラベルの物語として、ハルヒの『エンドレスエイト』、『ひぐらし』、『バタフライ・エフェクト』、『バック・トゥー・ザ・ヒューチャー』とかについて書きたいと思っています。


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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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