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表現の自由とポルノ規制

MIAU Presents ネットの羅針盤『大激論! 都条例改正案に賛成? 反対?』①

動画は①から⑤まであるので、続きはニコニコ動画のほうに行って見てください。

 この動画は面白い。もともと俺は都条例改正案には反対ではなかった。それなのに、この動画を見たら、考えを180度変えてしまった。それだけ説得力のある討論だったのだと思う。ちなみに、この都条例改正案とは、アニメや漫画など二次元コンテンツのポルノ的描写などを規制するものだ。あまり興味がなかったので、詳しいことは、よく知らない。なんでも児童ポルノなどに対する規制の一環として、18歳未満に見えるキャラクターのポルノ的描写などが厳しく取り締まられるらしい。

 簡単に言えば、この騒動は、「表現の自由」と「ポルノ規制」という、昔から何度と無く繰り返されてきた対立軸に起因する問題だ。ちなみに俺はポルノは嫌いではない。というか普通に好きだ。別に目を血走らせてエロ動画を見るわけではないのだが、昔は好きだったし、別に今でも嫌いではない。だからポルノなんて汚らわしいなんてことを言うつもりはないし、思春期過ぎた青年がエロ本読んだり、エロサイト見てたりしてもいいと思う。まあ、隠れて見て欲しいものではあるけれど。。。

 ただ小学生以下のことを考えると話は違う。もし俺に子どもが生まれたら、ネットでアダルトサイトを見て欲しくないし、街中で女性の裸などは見て欲しくない。そういう性表現が氾濫しているのは好ましくない。思春期の中学生も別に堂々とそういう画像を見たほうがいいとは思っていない。中学生以上の子どもには、大人たちがひたすら隠そうとしている「この世の真実」を思春期のエロパワーで解明して欲しいだけだ。それが青春ってもんだろう。何ヶ月も何年も神秘のベールに覆われた真実にやっとの思いで到達してこそ、一人前になるわけで、言ってみれば現代の通過儀礼みたいなものだと俺は思う。だからこそ、軽々しく「真実の門」を見せてはいけないのだ!ネットで検索したら一発で動画が出てきたなんてのは、人間の思考を退化させるのだと思うのさ。だから、性表現なんて隠しとけばいいわけよ。

 ここまでを簡単にまとめると、俺がいいたいのは、小学生の子どもが世の中にはたくさんいるのだから、アダルトコンテンツはネットや町の目立つところには置くべきではないってことだ。「言論・表現の自由」と言えばなんでも許されるなか、ポルノ表現が町に氾濫し、外国人が日本に来るたびに驚く始末。こんな状況になったのは、おそらく80年代から90年代に入ってからだと思う。そして、その原因はおそらくフェミニズムやポストモダン思想を都合よく曲解して日本に広めた日本人知識人やマスコミだったと思う。まあ、そういうことで、俺は長い間、個人的に「言論・表現の自由」というものに懐疑的だったし、ポルノ規制賛成派だったのだ。だから、今回の都条例改正案の件でも、あまり深く考えずに漠然とアニメ・漫画のポルノ規制もありかなぐらいに思っていた。

 で、この動画を見たのだが、はっきり言って俺の考えは浅はかだったと思い知らされた。規制反対派が5人出ていたのだが、最初の30分ぐらい見ただけで、早くも規制反対派の意見に賛成したくなった。というか、規制することがなぜ問題なのかということを教えられた。まあ、俺が反対派の意見を代弁してもしょうがないので、とりあえずポルノ規制賛成派も反対派も、ぜひ動画の方を見てください。

 俺がこの動画を見ていて面白かったのは、その説得力のある討論だけではない。もっと面白いと思ったのは二つの点についてだ。まず一点目として保守主義とポストモダン系リベラルの違いである。俺の頭の中では、保守主義(アメリカ型の新保守主義ではない)は自分の文化を大事にし、だからこそ他人の文化も尊重する思想だと思っている。つまり文化相対主義に立脚し、多様な価値観を認め合うポストモダンと親和性が高いのが保守主義なのだ。よく誤解されるようだが、保守主義は自分の文化を絶対視しているエスノセントリズムや人種差別主義ではない。むしろ人権とか平和を絶対的な価値観だとしているサヨク系の人たちの方が、日本文化など非西洋文化を認めていない点でポストモダンではないのだ。まあ、そのあたりはいいとして、要するに保守主義はポストモダンにおける多様な価値観を尊重する考えなのだが、実は日本の間で広まっている間違った「サヨク思想」ではなく、欧米における本当の「左翼思想」ではポストモダンやリベラルは、もちろん左翼思想と親和性が高い。で、日本でもしっかりした考えの思想家は、そのあたりが理解できていると俺は信じている。そのような思想家の一人が東浩紀という人だ。それを知ったのは、彼のブログ上で、「歴史修正主義」に関する彼の主張を読んだときだった。東さんに言わせると、ポストモダン系リベラルは他人の価値観を尊重する。だからはっきりとした証拠を提示せずに、他者の歴史認識を「歴史修正主義」と非難することは出来ないと述べている。つまり日本のサヨク系メディアや知識人たちが主張するように歴史修正主義だとか右傾化だとかレッテル貼りをして、自分たちと違う主張をするものたちの言論を封殺しようとする人たちはポストモダン系リベラルとはいえないのだ。ポストモダン系リベラルはリベラル的言説の前に、まず多様な価値観を認め合うポストモダンという思想的バックボーンが基本なのである。
 
 俺がこの動画を見て感動したのは、そのような価値観に立脚して、「表現の自由」を認めようとしていることである。この動画では「ポストモダン系リベラル」という考えが前面に出ているわけではない。ただ東さんの言葉にはそのような考えが背景にあると思う。そして、そのようなポストモダン系リベラルを考えていたら、保守主義との違いについて少し考えさせられた。

 俺の個人的な考えだと、ポストモダン系リベラルも保守主義も外部への視線は同じだと思う。どちらも多様な価値観を尊重しているわけで、外国からの人が来た場合、ポストモダン系リベラルも保守主義も共に彼らの文化や価値観を尊重する。なぜならそこには絶対的な価値観が無いからだ。ちなみに、ここで絶対的な価値観(例えば平和とか人権とか民主主義など西洋近代が発明した概念)に基づいて、すべての価値観を評価するサヨク系の人たちやモダン思想の持ち主は、外国の人に対しても、彼らが西洋文化にどれだけ近いかという基準で評価してしまう。ある意味、西洋人を頂点とする人種差別的思考法なのであり、植民地根性に近い。サヨク系の人たちは日本国内に向かっても、同じような視線で日本を評価している。日本文化や日本人の多くは遅れた人たちで、自分たち西洋文化を熟知している日本人のエリート層や知識人とは異なる、野蛮な種族だという感じだ。まあ、そういうことで、サヨク思想なるものは、思想的にまったく幼稚な「僕ちゃん西洋大好き」思想でしかないので、ここではこれ以上取り上げない。

 で、話を戻すと、ポストモダン系リベラルと保守主義は外部に対する視線は同じだった。ただ違いは日本国内など社会内部に視線が移ったときではないかと思う。もともと文化に優劣はないというのは文化相対主義という思想で人類学では20世紀初頭から主張されてきた考えだ。しかし、人類学ではその後長い間「国民性研究」などがなされてきた。つまり社会内部においては一つの文化が占めていると想定されてきたのだ。ポストモダンでは集団内部の多様性も注目された。その影響もあって、人類学でも社会内部の逸脱者や逸脱行為など「個人」が注目されるようになったし、文化内部の多様性などが研究対象になってきたのだ。ポストモダン系リベラルでは、そのような多様な価値観を社会内部にも認める。もちろん、極端に自由を認めてしまっては、社会が成り立たないので、ポストモダン系リベラルも際限なく自由を認めるわけではないはずだが、少なくとも問題ない限り「自由」を重視するのだと思う。一方、保守主義では社会内部においては「価値観の共有」を重視する。こちらも価値観を共有するように強制するような極端な保守主義者は滅多にいないと思う。「自由」という概念の重要さもわかっているだろう。ただ価値観が共有されていないと、社会の紐帯が弱くなるし、共同体として機能しなくなる危険性があるため、どちらかというと「価値観の共有」という点を重視するのだと思う。

 このように見てくると、ポストモダン系リベラルも保守主義も外国人への人種差別などは起こりえない。保守主義とは外国の価値観を認め合う思想であり、サヨク思想のように(西洋近代の価値観など)一つの価値観を絶対視することはないからである。ただ、ポストモダン系リベラルと保守主義は共同体内部に対する見方が若干異なる。保守主義では社会の慣習など「価値観の共有」を重視するのに対し、ポストモダン系リベラルでは「自由」を重視する。ただ、際限なく「自由」を認めてしまうのであれば、法などで社会の秩序を保たなければいけなくなるだろう。日本のように価値観が一定であり、譲り合うことができるような社会では、法などに訴えることなく、お互いに譲り合うという価値観を共有することのほうがストレスがたまらなくていいような気がする。そのような価値観の共有は決して強制ではない。日本に来た外国人が日本語を話さないといけないように、外国から来た人たちはある程度日本の社会に溶け込む努力は必要であろう。頑なに自国の言語を話していても日本人は対処できない。同様に自分たちの価値観を押し付けることは軋轢を生み出すだけなのだ。同じことは日本人が外国に行ったときにも言える事だ。「郷に入らば郷に従え」というのは正論なのだ。このようなことから、「価値観を共有」する保守主義の考えも一理あるのではないかと思う。もちろん「自由」やマイノリティも認め合う社会であるというのが前提にあるべきだ。ただ多様な価値観が乱雑に入り込んでいて、何を基準にするべきかわからないような社会では、秩序が保てない。日本では英語も韓国語も中国語も標識には使われているが、一番の基本は日本語だというのが問題にならないのと同じように、日本文化の価値観がどのようなものなのかということの標準はあってしかるべきなのだ。

 ということで、今日はポストモダン系リベラルと保守主義の違いについて若干考えてみた。ちょっとポストモダン系リベラルを批判したような文章になってしまったが、実はそんなことはない。個人的にはポストモダンは好きだし、多様な価値観を尊重するポストモダン系リベラルには敬意を表したい。さらに、この動画での反対派の主張は充分説得力があったし。。。

 で、この動画を見ていて面白かったもう一つの点に関しては今度書きたいと思う。それは漫画・アニメの特徴に関してである。東さんは「日本のアニメ漫画文化の本質は、すべてをポルノ的に読み替えていく運動にあるんですよね。」(『大激論! 都条例改正案に賛成? 反対?』④の26分26秒付近)と言っている。俺はこのあたりがすごく面白いと思ったんだよね。なので、今度、このことについて何か書きます。いつかはわからないけど。

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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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