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復讐は悪いことなのか?

 今週も『鋼の錬金術師』を見ました。いやー、よかった!前回に続きマスタング大佐という、とても強い人が、親友の仇のホムンクルスと呼ばれる魔物を追い詰めていくんだけど、この大佐がめちゃくちゃ強い。このホムンクルスも、この前まですごく強かったはずなのに、マスタング大佐が相手だと大人と子供の喧嘩みたいになってしまって、まったく太刀打ちできないんだから驚きだ。マスタング大佐って、こんなに強かったっけ?というぐらいに強くて驚いてます。なんか大佐がこんなに強いんだったら、彼一人いれば十分なんじゃないか。

 で、まあ、マスタング大佐がかっこいいというのが鋼の錬金術師第54話のポイントなのだが、実はもう一つ考えさせられたことがあった。それは、復讐ってそんなに悪いことなのかということだ。実はマスタング大佐が、あと一撃で仇のホムンクルスを殺せるという段階になったときに、大佐は仲間に止められる。復讐というか怒りに任せてホムンクルスを殺してしまったら、今までの大佐ではいられなくなってしまうというのだ。で、殺すとか殺さないとかのやりとりがあって、大佐も冷静さを取り戻し、結局殺さずに終わるという感じなんだけど、ここら辺、すごく考えさせられるんだよね。

 この復讐の鬼になって、そのあと仲間に復讐はよくないと止められるっていう展開は、漫画やアニメではお馴染みの展開だ。別に日本だけの話ではなくて、ハリウッド映画やアメリカのテレビドラマなどにも見られる。例えば俺の大好きな『バフィー・ザ・バンパイア・スレイヤー』でも、恋人を殺されて最強最悪の黒魔法使いになってしまったウィローが、恋人を殺した相手を追い詰めて復讐していくんだけど、それをバフィーたち仲間が必死に止めるという話がある。最後の方は、友情とか出てきてちょっとくさいんだけど、まあ親友たちの思いが通じてウィローは元に戻るという展開だ。まあ今まで繰り返し作られてきた展開だと思う。さて、そういう展開に慣れてしまった我々にしてみれば、不思議とは思わないだろうが、よく考えると、一つ重要な論点が隠されているのではないかと思うのだ。それは、そもそも復讐ってそんなにいけないことなのか?ということだ。なんでこんなことを考えたかというと、数年前『End of the Spear』という映画を見て、そのあとに俺の祖母が亡くなって、なんとなく死について考えさせられたからだ。

End of the SpearEnd of the Spear
(2005/12/05)
Steve Saint

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 この『End of the Spear』というのは、映画と、もう一つドキュメンタリーじたてのドラマの二つがあるんだけど、簡単にいうと、1960年ごろアマゾンの奥地にいる「未開部族」にキリスト教を伝えようとした宣教師の実話に基づいた話だ。そのころは、まだアマゾンの奥地には西洋文明と直接接触したことのない部族がいたらしいんだけど、そういうアマゾンの奥地のジャングルの上を飛行機でぐるぐる回って、村っぽいところがあったら、着陸して彼らとコンタクトをとってキリスト教に改宗させるということを5、6人の宣教師たちがやっていた。ある日、彼らは新しい部族を見つけてそこに行く。で、主人公の少年のお父さんってのは飛行機のパイロットを兼ねていたので、宣教師たちを乗せて、その未開部族の村の近くの川岸に着陸し、そこにキャンプをはる。そこで生活しながら、村の人たちとコンタクトをとり始めて、最初は結構うまくいってある程度仲良くなっていくんだけど、ある日、妬みを含んだ誤解が原因(だったと思う)で、村の一部の男たちが宣教師たちを襲い、全員殺してしまう。それから時がたち、主人公の少年は成長して結婚し子供ができるんだけど、彼らが同じ村に戻ってきて(そのころは村には既にキリスト教が入っていたと思う)、一緒に生活し、仲良くなるみたいな話だ。

 まあ、全体的には、いい話なんだけど、ドキュメンタリードラマの最後の方に村の人たちをアメリカに呼んであげるシーンがでてきる。で、彼らアマゾンの人たちが、アメリカの生活にびっくりするみたいな映像をながしているんだけど、そこは、ちょっと首を傾げてしまうというか見ていて不快かな。例えば、スーパーに連れて行ってクレジットカードで支払いをするシーンを見せた後に、アマゾンの人がアメリカ社会に驚くシーンがある。彼にしてみれば、狩りに行かず、お金というか対価になる品物を何も払わずに、食料とお金までくれる(アメリカではカードで支払ったときにお金を引き落とせる)ことが、とても不思議だったらしい。彼は、カードがどのように機能しているかは理解できていない。ただ、何もせずにご飯が貰えると思ったらしい。だから、カードでご飯を貰えてしまうんだから便利なものだ、みたいなことを言っている。こういうシーンが必要なのかどうかいまいち理解できない。というよりも、「未開部族」の人を連れてきて、アメリカの優位性を示したかったのだろう。日本のテレビでも、そういう「いやらしい」番組をよく見かけるけど、なんか嫌なんだよね。まあ、そういうことなので、この映画は「未開社会」が出てくるけど、別に人類学的に褒められた映画ではないので、そういう方向では期待はしないでください。そういう異文化理解とか多文化共生などは、この映画のテーマではなくて、むしろグローバル化におけるキリスト教の役割みたいなのがテーマだと思う。「未開社会」の人たちを、いかに近代人にしてあげたか、いかに理性的個人にしてあげたか!みたいな感じ。まあ、そこまで上から目線にはなっていないし、嫌味ではないんだけど、これを見てキリスト教の布教が世界平和とか近代化に貢献しているんですよというメッセージみたいなのは伝わってくると思うんだ。ちゃんとは確認していないけど、おそらく、この映画は教会かどっかがスポンサーになっていると思う。確かに宣教師たちも危険を顧みず頑張っているから、結構大変だよねという感じるし、だから、この映画のプロパガンダ性を否定はしない。ただ無邪気にグローバル化や西洋近代化してあげたことに満足している姿を見ていると、典型的なアメリカ人だなーみたいなものは感じてしまう。

 さて、論点はそこじゃないので話を戻そう。ここでは、この映画のテーマについて考えてみたい。さっきも言ったように、この物語のテーマはずばり「復讐」だ。この『End of the Spear』というタイトルも、何を示しているかというと、槍が復讐のメタファーになっているのだ。実はこのアマゾンの部族は長いこと「復讐の連鎖」のなかで生きてきて、絶えず近隣部族と戦争というか諍いが絶えない社会だった。その理由は、例えば、ここにAとBの部族があったとして、Aの部族がある日、急にBの村を攻めてきてBの村の男たちを殺す。その子供たちは命からがら逃げる。で、子供たちはすぐには復讐は出来ないんだけど、成長して一人前の戦士になると、復讐のためにAの部族を攻撃する。その過程で、Aの部族の男たちが殺されて、その子供たちが命からがら逃げて、その子供たちが成長して、復讐のために、Bの村を攻撃して、子供たちが逃げてという感じで復讐のループに入っていたわけ。で、復讐する時に使う武器が槍だったので、槍=復讐という感じになっていた。西洋人宣教師がやってきて、かれらに「復讐の連鎖」は何も生み出さないということを教えて、やっと復讐のない平和な世界になったというのがこの映画の一番重要な所だろう。つまり『end of the spaer』なのだ。この復讐を放棄したのは、もちろん彼らだけではなくて、主人公を含む宣教師家族たちもそうだ。誤解から親を殺されてしまった主人公のアメリカ人は、最終的に親を殺した張本人を許すというのが、この映画の物語のクライマックスになっている。

 さて、この映画を見ていると、まあキリスト教の人たちはすごいねという感想を持つんだけど、それと同時に、もっと根本的な問題として、「復讐」って悪いことなの?という疑問がわいてくる。そもそも復讐ってのは、人の死と深く関わっていると俺は思う。愛する家族とか友人が死んでしまったとき、とても悲しくなるんだけど、それを癒すために宗教が発達した。でも、宗教だけでは悲しみをどうすることも出来ないんだよね。もおしも、その愛する人の死に何か原因があるならば、つまり悲しみを怒りに変える対象があるならば、それは悲しみを乗り越える一つの有効な手段になると思うんだ。

 なお、先に言っておきたいんだけど、これを読んでいる方に、もしかしたら事件に巻き込まれて親しい人を亡くされた方とかがいらっしゃるかもしれない。俺はそういう被害にあわれた方達の悲しみは理解できるはずもないし、俺の想像をはるかに越えた苦しみを背負われていると思う。俺はこれから、ここで自然死よりも復讐する相手がいるという議論をしたいんだけど、別に被害にあわれた方達の気分を害したいとは思っていないし、加害者保護や死刑廃止などを軽々しく訴える人たちのような主張をするつもりもない。被害者保護が第一だし、被害にあわれた方が一番の不幸だと思っている。ただ、俺がここで言いたいことは、被害にあった方がいいとか、誰かに親しい人を傷つけられたらいいというようなことを言っているのではないということだけは理解してください。そうじゃなくて、天災や事故、病気などで不意に愛する人に先立たれてしまって、その悲しみも怒りもぶつける対象がいないという感情を、俺は祖母を亡くしたときに感じで、そのとき思ったのが、もしも怒りの対象がいたら少しは救われたのではないかということなのだ。それが根底にあって、このようなことを考えたということだけ理解して欲しいと思います。

 で、話を戻すと、つまり愛する人が誰かに殺されて復讐する相手がいる人ってのは、もしかしたら愛する人が病気などで死んでしまうよりも、怒りの矛先を向けられるのではないかと思ったわけ。もちろん、復讐ができなくてはいけないので、現代社会では被害者の方は深い悲しみしか感じられないと思う。怒りを抑えないといけないんだから、一番辛い立場に置かれてしまうと思う。ただ、現代社会ではなくて、もっともっと原始的な社会と考えた時、復讐のある世界と復讐が禁止されている(抑圧されている)世界のどちらがいいのかというのは簡単に結論は出せないんじゃないかと思うのだ。復讐というのは、生きるエネルギーを与えてくれたのかもしれないし、それは親しい身内が自然死によっていなくなるよりも、悲しみを怒りに変えることが出来るぶんだけ、気分的に救われているのではないかと思ったわけ。だからこそ、病気などで死んでしまっても、魔術や妖術をかけられたと考えて悲しみを怒りにかえ、その仕返しに魔術や妖術をかけ直すという「復讐」をすることで満足する。そのように考えると妖術なども理にかなった行為になってくるのだろうと思う。このように考えてみると、復讐というのは自然な行為であるし、ある意味、残されたものの悲しみを和らげる機能があったのではないかと思うわけだ。つまりアマゾンの部族の社会が「復讐の連鎖」に陥ってしまっていたのは、別に地獄のような日々ではなく、むしろ生きる希望(それは復讐することなのだが)を持ってエネルギッシュに生きることの出来る社会だったという考えも出来るのではないかというのが、当時、この『End of the Spear』を見終わって感じたことだった。そして、今回、鋼の錬金術師を見て、同じようなことを考えてしまったのだ。

 そもそも復讐が悪と決めつけた理由がよくわからない。被害者が復讐する権利を放棄して、国家がそれに代わって裁くことにより、復讐の連鎖を抑える。それが法治国家として必要だということは理解できるし、俺みたいな喧嘩に強くない普通の人間にはありがたいことなんだけど、それでも本当に復讐は悪いことなのかどうかと聞かれると、そこまで自明ではないと思う。昔、『必殺仕事人』というドラマとか『ブラックエンジェルズ』という漫画が流行っていたけど、そういう復讐したいという感情ってやっぱりあると思うんだ。そして、そういう復讐したいという気持ちを理解できると同時に、それを容認できない法治国家という存在も理解できる。つまり国民感情としては復讐は容認できても、国家としては容認してはいけない。復讐の是非じゃないけど、似たような個人と国家の感情のずれみたいなのは、『忠臣蔵』でも表されている。そういうことを考えると、復讐=悪という国家が要請するイデオロギーを国民が共有することは大事なことなんだけど、アニメとかでは、もう少しいろいろな見方を提供してもいいんじゃないかと思うわけ。別に復讐=善と言ってるわけじゃないし、鋼の錬金術師に不満があるわけじゃないんだけど。多様な価値観というか、今まで正しいと思われてきたことに疑問を呈したのはニーチェだと思うんだけど、そういうのも入れて、もっとダークな部分を前面に出してもいいと思う。そうなると、アニメ『ブラックラグーン』のように「力がすべて」というようなニーチェ的世界観のアニメとかが俄然面白くなってくるんだよね。そういうわけで、何が言いたいのかわからなくなったから、尻切れとんぼみたいだけど、終わりにします。

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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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