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「説明」と「解釈」

 お気に入りのブログで『トリック』というドラマが何度か取り上げられていた。なんでも『トリック』はメタフィクション性を感じさせるドラマらしい。メタフィクションと聞いて興味がわいたので、一昨日からトリックを見はじめた。違う意味でおもしろかった。まだメタフィクション性とかは、はっきりと出ていないが、確かに普通のドラマとは若干異なる雰囲気を醸し出している。どことなくアニメや漫画的という感じか。ウィキで調べたら2000年初めごろの作品らしいが、今でも十分通用する作品だと思う。まあ、今更、そんなことを言う必要もないかも知れないが。

 もう少し見ないと、漫画的なメタフィクション性という部分を語ることはできないようだが、今までの部分でおもしろい部分と言えば、超常現象をいかに説明するかということがテーマの一つになっているという点だ。簡単に言ったら、「X-file」と「ガリレオ」という二つのドラマを足して2で割ったような作りだろう。もちろんコメディ要素をふんだんに盛り込んでいる部分も、このドラマを特異な存在にしている重要な要素ではあるわけだが、今回はコメディの部分はスルーしておく。

 さて「ガリレオ」と「X-file」というドラマについて若干説明しておきたい。「ガリレオ」というドラマは天才物理学者のガリレオ先生が怪奇事件を次々に解決していくというドラマだ。ガリレオ先生は超常現象を信じていない。すべての事象には原因があり、論理的に考えていけば、物理現象として説明可能な現象しか、この世には存在しないと考えている。

 一方、「X-file」は超常現象がからんだ怪奇事件を捜査するFBI捜査官の物語なのだが、その主人公であるモルダー捜査官は超常現象の存在を信じている。つまり科学では説明不可能なものの存在を認めているのだ。その上で、モルダー捜査官は超常現象を理解しようとする。今の科学では解明できないことでも、実は将来解明できるのであると信じている。例えばまだ解明されていない高度な科学法則によって解明できる場合もあるだろうし、宇宙人や新種の生物のように未だ発見はされてはいないが、その存在を仮定したらすべての謎が解明されるという場合もあるだろう。つまり今の科学力や情報では超常現象に見えるのだが、実はそれは説明が不可能な事象ではないということでなる。単に人間の科学技術がすべての現象を説明できるレベルに達していないだけなのだ。

 この『トリック』のドラマは、今のところ『ガリレオ』に近い感じだ。犯人は毎回、自分こそが本当の霊能力者だというのだが、結局、主人公の女性マジシャンにトリックを見破られる。ただ、ドラマでは何度となく、本物の霊能力者がいるということを言っているので、ドラマの最後では本物の霊能力者が現れるのかもしれない。もしそうならば『X-file』に近い展開になっていくだろう。ただ、ここで注目してほしいのは、どちらの展開になるにせよ、理解不能な事象をすべて理解しようとする、もしくは、説明することを要請している点では同じなのである。

 実は『ガリレオ』と『X-file』そして『トリック』はすべて同じ地平にたっている。どういうことかというと、すべての現象を説明しようと試みているのである。これはすべて科学的思考法である。なぜなら科学の目的は「説明」することだからだ。「ガリレオ」は科学者だが、モルダー捜査官はオカルト信者だから科学を信じていないと考えるのは誤りだ。モルダー捜査官も十分科学者的なのである。そして『トリック』も今のところ科学的思考法のドラマでしかない。

 なぜこのようなことを考えているかというと、この数年、理系と文系の対立というのが、理系人間の無知から生じている可能性が高いということに気がついたからだ。(ただ、科学を理解できていないだけなのに、科学などまったく必要ないと言ってはばからない、文系人間の負け惜しみの言説を支持するわけではない)。つまり理系から見ると、文系の理論は客観的ではなく、故に科学的ではない。『ガリレオ』的ではなく、『X-file』的なのである。つまり「科学」と「オカルト」と対比してしまっている。しかし、文系の思考法というのは、決して「オカルト」的ではないのだ。

 科学は事象を「説明」しようとする。何かを理解するためには、説明できなければいけないと考える。このような考えは一般的だと思うのだが、実は何かを理解するために「解釈」するという方法論も存在する。それが人文系や芸術系が採用している文系の研究法なのだ。ただ科学系や社会科学系の研究者は「理解」=「説明」だと思い込んでしまっている。さらに学校教育のせいで、一般の人も科学的思考法に慣れ親しんでしまっているために、何かを理解することは説明することなのだと信じこんでしまっている。なぜなら、学校教育では、「なぜそうなるのか」とか「なぜそれが起きたのか」ということばかりが問題になる。そして、そのような問いには必ず答えが容易されている。だから、何かを理解するということは、答えを提示して説明することだと勘違いしてしまっている。だからこそ、ドラマでも『トリック』や『ガリレオ』『X-file』といったように、「説明」してくれるようなドラマを見ると何か満足感を得ることができるのだと思う。もちろん、その説明は科学的である必要はない。超常現象オチでもいいわけだ。だからミステリーやSFだけではなくて、ホラーも「説明」してくれる物語に入るだろう。

 ただ、そのような思考法だけでいいのだろうか?と最近思う。そもそも単純な答えを与えられなくてもいいのではないか。むしろ、考えることに意味があるのではないかと思うのだ。そして、「解釈」を提示し共有したり批判したりする態度というのは、単純な説明や答えを与えられる行為よりもはるかに高度な知的作業ではないかと思う。もしそうならば、そのような思考法こそ、小学校から学んでいくべきことではないだろうか。世の中には、簡単には説明できない事象が数多くある。例えば、何かに感動した時に、その感動を科学的に説明しても意味がない(もちろん、まったく意味がないわけではないが)。むしろ感動を分かち合うことにこそに意味があると思う。もちろん、そのような感動の仕方は一つではない。だから答えは一つではない。科学的思考法では、そのような感動を理解することはできない。それが科学の限界であるように思う。科学のように新しい現象を解明することではなく、むしろ様々な解釈や価値観を共有する事によって、今まで見てきたものを新しい視点から見れるようになる。そのような自己内部の変化こそが本当の成長なのではないか。そのように思う。そして、それが理系と文系の違いなのだろうと思う。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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