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現代思想を学ぼう!

友人のブログを見ていたら内田樹さんの書籍が紹介されていた。結構、懐かしかった。最近は彼の左翼的言動がどうも好きになれなくて距離を置いていたのだが、今日久しぶりにぱらぱらっと読んでみたら、わかりやすい文章で、やっぱり面白い。それに俺は彼の書籍から現代思想の世界に入ったわけだしね。おかげで俺の人生はガラッと変わってしまったんだけど。

ということで、今日は俺がなぜ現代思想なるものに興味を持ったのかという隠された謎に迫ってみたい!と書きたいところだけど、謎でもなんでもないし、第一、誰も興味ないよね、そんなこと。本当は、内田さんの書籍を紹介したいだけです。まあ、でもせっかくなので、その前にちょっとだけ自分の事を書いときます。

俺は子供の頃から理数系が好きで、もともとは科学者になるつもりだった。大学で生物学を勉強していた頃は、哲学とか文学とか一銭の得にもならないような学問を勉強している文系人間がまったく理解できなかった。どうせ遊ぶために大学に来たんだろうぐらいにしか思っていなかった。オレ的には、科学のみが人間社会に必要な学問だと信じていたからだ。

考古学に転向したあとも、俺は科学一辺倒の思考だった。社会科学は面白いというのはわかったが、人文系の論文なんて小学生の感想文と同じレベルだと思っていた。科学的方法論を用いて人間社会の複雑な現象の背後に潜む隠された「法則」を解き明かすことが俺の夢だった。だから科学的方法論を用いた考古学理論が盛んなアメリカにわたったのだ。本当ならば今でもシュミレーションや空間統計分析などの科学的方法論を用いてバリバリと仮説モデルを作り出しているはずだった。ところが幸か不幸か俺はそこで文化人類学者と出会ってしまった。

彼らと話していると、どうも話がかみ合わない。いくら科学の素晴らしさを説いても、憐れみの目で見られるだけだった。特に文化人類学の社会理論のクラスをとったときが酷かった。スペンサー、タイラー、マルクス、デュルケーム、モース、フロイト、ウェーバーなど、社会理論の古典を勉強するディスカッションクラスだったのだが、科学の素晴らしさをわかってくれないクラスメートや先生をどうしたら説得できるのかということを毎日考えては、俺は一人悶々とした日々を過ごしていた。結局、彼らを説得できずにタームが終わった。クラスの成績は悪くはなかったのだが、それでも自分としては納得できなかった。なぜ科学を馬鹿にするのか。なぜ科学に信頼をおけないのか。長いこと悩んだ結果、科学を理解できない奴らが自己正当化するために科学はいらないといっているだけだという結論に達した。ただ、その頃から徐々に社会理論や現代思想にも少しずつ興味が沸いてきていた。で一人で現代思想の入門書などを読み始めた。その頃、この本と出会って、俺の人生は180度変わった。



現代思想の入門書というのは山のようにある。文系のほとんどの学問が現代思想に多かれ少なかれ関係しているのだから需要は沢山あるわけで、入門書が山のようにあっても別に驚くことではない。ただ沢山あると、どれがいいのかわからなくなってしまう。もちろんどの本もいろんな魅力があるわけで一概にどれが一番いいということはできない。ただ、俺は、まず「現代思想のパフォーマンス」をすすめたい。なぜなら、この本は他の本と違って、現代思想をどうやって利用するかということに焦点をあてているからだ。

現代思想というのは覚えるものではなくて、使うものだという考えから、ソシュール、レヴィ=ストロース、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、エドワード・サイードらを取り上げて、彼らの思想の中心的な概念を説明した後で、映画や本を彼らの理論で読み解いていくというような構成になっている。この実践的な部分がとても面白い。というか、現代思想は大学で単位をとるために勉強するためのものでも、飲み屋で偉そうに単語だけぽんぽん出して頭のいい振りをするための道具でもなくて、要は自分の視野を広げるものだということがわかる。つまり世界を見る目を養うものなのだ。

現代思想を使って映画やマンガなどを批評していくと、とても楽しい。その中で新しい疑問が生じてくるし、そこから新しい視点を身につけていく。批評の仕方に正解があるわけではない。多様な視点で理解することが必要なのだ。だから誰でも批評活動には参加できるのだ。それだけで素晴らしいことだと思う。

もちろん独り善がりな解釈に陥ってしまう危険はあるのだけれど、それでも、勉強するんじゃなくて、いかに使うかということに重点を置いたこの本を読んでいると、自分も何か批評したくなってくる。映画やアニメを見ていると一言何か言いたくなってくる。実は、俺がアマゾンレビューを書き始めたのは、この本の影響だった。映画を見た感想を書くことによって現代思想の考え方を身につけたかったのだ。いざ始めてみるとだいぶ楽しいということがわかった。最近はアマゾンレビューをあまり書いていないのだが、最初の頃は結構気合を入れて書いていた。(ちなみに俺のレビューはこれ→アマゾンレビュー)。特に一番最初に書いた映画「キューブ」のレビューは今でも自信がある。というかキューブのレビューを書きたいがためだけにアマゾンレビューを始めたってのが本当のところなんだけど。



どんなことを書いたかというと、

Cubeはフーコーがいうところの「権力」を表している(と思う)。我々は自由を求めてCube(権力)の外(権力がない世界)に出ようとするが果たしてそれは可能なのか?そして、それは幸せなことなのか?

フーコーの影響を受けた映画といえば「時計仕掛けのオレンジ」という映画が思い浮かぶが、この映画は更に奥が深いように感じられる(ただし私は時計仕掛けのオレンジも理解できてはいないが)。どこまで監督が意図しているのかわからないが、注意深く見てみると一切の無駄を省いて、映像のほとんどすべてに意味があるような気になってくる。

例えば登場人物のメンバーにしても次のようには考えられないだろうか?Cubeを国家権力の象徴と考えるリベラル(女医)、それを政府陰謀説と一笑に付すコンサバ(警官)、Cubeの意味なんて興味がない、ただ脱出することだけに集中する社会の逸脱者(脱獄のプロ)、Cubeの意味よりも、そこに隠された法則の解明に情熱を燃やす科学者(数学科の少女)、Cubeからの脱出などに興味のない無気力な会社員、そして傲慢な「正常者」達によって形成されている「社会」から排除されている精神障害の青年。

会社員は言う。Cubeは誰が何の目的で造ったのかなんて誰も知らない。ただ多くの人が部分的に造っていたら、いつの間にか出来てあがっていた。フーコーによれば「権力」とはそういうものであるらしい。そこには意味も目的もない。その権力を行使する者は存在しない。我々が知らぬ間に作り出し、そしてそれによって我々は規制される。我々がこの世に生まれた時にはすでにこのような「権力」に縛られた社会にいた。それだけのことである。自由を求めてCubeの外に出ることが本当に幸せなことなのか、それとも不幸なことなのかもわからない。しかしもしも出ることが出来るとすればそれはやはり。。。

私はフーコーについて詳しく知っているわけではないが、おそらくフーコーを読んでからこの映画を見ると更に楽しめるのではないかと思う。



キューブを見たことがない人は見てから読んでほしいのだが、この映画の中での科学者というものの存在はとても興味ぶかい。科学者(数学者の女の子)はキューブの秘密を解き明かそうとするのだが、彼女の問いは、「キューブという存在がなんなのか」ではなくて、キューブの仕組みやキューブのメカニズムを解明することだった。つまりキューブの存在自体を問うているわけではなく、キューブの中に潜んでいる謎に挑んでいるだけなのだ。これこそが科学と人文系学問の違いである。つまり自然でも人間社会でもいいのだが、その現象のメカニズムを解明することに関しては科学的方法が有利であるし、科学はそのような現象の解明をしようと試みる。しかし、人文系学問はメカニズムではなく、その存在に関しての問いを議論しているのだ。

もう少し詳しく見ていこう。キューブは無数の部屋に分かれているのだが、罠が仕掛けられている部屋が多数ある。そして、ドアの入り口に謎の何桁かの数字が刻まれている。その数と罠の有無に関連性があると考えた数学者の女の子は最初にある仮説を立てた。そしていくつかの事例で検証した結果、部屋に罠が仕掛けられているかどうかは入り口の数字を見ればわかることが判明した。しかし映画の中盤で、彼女の仮説はもろくも崩れる。安全だと思われた部屋に罠が仕掛けられていたのだ。そこで、彼女は、その「例外」に矛盾しない新しい仮説を立てることになる。

このような仮説と検証の繰り返しは、まさに科学の研究法である。この数学者の女の子はキューブの仕組みを解き明かすことには最終的に成功する。つまり部屋に罠が仕掛けられているのかどうか、安全なのかどうか、という謎を解き明かすことは出来たのだ。しかし、それはキューブの存在の謎を解き明かしたことにはなっていない。キューブのメカニズムの謎を解き明かしたというだけなのだ。主人公達がキューブになぜ閉じ込められたのか、どの部屋に動いたらいいのか、これから何をしたらいいのか、そもそもキューブとは誰が造ったのか、なぜキューブが存在するのか、といったことには、この科学者は興味をしめしていないし、興味を示したとしても何も答えられないだろう。なぜなら、それらは科学の研究対象ではないからだ。ここに理系と文系の存在意義を見ることができるような気がする。理系と文系はそもそも問題意識が違うのだ。どちらが優れているとかの問題ではない。どちらも必要なのだ。そのような違いがこの映画では上手く表現されていると思う。キューブという映画は他にもいろいろ興味深いことが沢山あるので、機会があったら、またなにか論じてみたいと思う。

さて、内田さんの話に戻ろう。俺は内田さんの本で、もう一冊影響を受けた本がある。それは「寝ながら学べる構造主義」だ。



この本は本当におすすめだ。とてもわかりやすい。それに、この本のアマゾンレビューは数年前に書いたのだが、いまだに俺のレビューがトップに出てきたりしているようなので、実は結構嬉しい。もしよかったらアマゾンレビューの「参考になった」を押して貰えると嬉しいです。

さて構造主義の話だが、オレ的には現代思想を学ぶ上で構造主義というのは避けて通れないと思う。現象学とか他にもいろいろ重要な考えはあると思うけど、とりあえず構造主義→ポスト構造主義という流れが現代思想の中心のひとつにあるのは確かだろう。だから構造主義という考えはとても重要だし、それに面白い。ちなみに構造主義のもう一冊の入門書もおすすめだ。



こっちの本もすごくわかりやすい。特に現代数学と構造主義のかかわりについて書かれている部分は必読だと思う。

俺は現代思想は専門ではないし、きちんと理解できているわけでもない。しかし現代思想をかじったことで、俺の前に広がる世界は大きく変わったような気がしているし、考え方もガラッと変わった気がする。それはまるで映画「マトリックス」の青い薬と赤い薬を出されて赤い薬を飲んだような感じだ。青い薬を飲んで科学が最高!とか今でも言っていれば、それはそれで幸せだったのかもしれない。マトリックスに"Ignorance is bliss."というフレーズが出てくる。知らぬが仏という意味だ。確かに知らないほうが幸せなことはあるし、その方がよかったのかもしれない。ただ我々はキューブのような不思議なところに放り込まれて放浪しているのだ。映画に出てくる無気力な会社員のように生きるのもいいが、一回きりの人生なのだから、キューブを歩き回ってもがくのも楽しいだろう。マトリックスの世界で幸せに生きるよりも、真実を見て生きてみたいと思うだろう。現代思想を少しでも学んだことがある人は、おそらくこういうだろう。赤い薬を飲んだ結果、つらい現実が見えたとしても、精神的に真の自由を得ることができたんだと。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

本や映画の感想はアマゾン・レビューにも書いています。ぜひ遊びに来てください。
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