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アニメ「フラクタル」を見て思ったこと パート1

今、「フラクタル」というアニメが放送されている。このアニメ、不評らしいのだが、個人的には結構気になるアニメだ。表面的にはべたべたなアニメなのだが、世界観からして相当考えぬかれており、ところどころ考えさせられるようなネタも散りばめられている。あらすじを書こうと思ったのだが、上手くかけないので、代わりに、ウィキペディアのあらすじをのせときます。

22世紀に確立された世界を管理する「フラクタルシステム」。それはネットワーク化された数兆の計算機の総体で、人体に「フラクタルターミナル」を埋め込みライフログを定期的に高々度浮遊サーバに送信することで全ての人が基礎所得を受け取ることができるシステムである。これによって、働く必要も争う必要もなくなり、人類は楽園のような生活を手に入れた。

システムの恩恵が得られてから1000年が経った世界。ドッペルと呼ばれるアバターを使うことによって、どこでも好きな場所から自由にコミュニケーションを取れるようになって以来、多くの人は定住せずに悠々自適に暮らす個人主義の社会が形成されていた。

その世界で珍しく家を構え、ドッペルも持たない少年クレインは、ある日、怪しい3人組に追われている少女フリュネと出会う。クレインは怪我をした彼女を介抱するが、翌日彼女はブローチを置いて消えてしまった。

ブローチを解析すると、中からネッサと名乗るドッペルが現るが、その後二人はフリュネを追っていた「グラニッツ一家」に拉致されてしまう。スンダをリーダーとする彼らはフラクタルシステムを否定し、この世界を変えることを目的とし、ネッサがその鍵となると考えていたのだ。

拉致された翌日、スンダ達は僧院が行う「星祭り」への襲撃の準備を進めていた。一般にただの祭りと考えられていたが、その実態はフラクタルターミナルを埋め込んだ者達が今の惰性な世界に疑問を持たないように洗脳するための儀式だった。初めは半信半疑だったクレインも、システムの異常な側面を目撃してしまう。

(ウィキペディア)



まあ、こんな感じで設定からしてすごく興味深い話なんだけど、いろいろ面白いテーマが入っているので一回ですべて書ききれないし、中途半端に書いてももったいない。それにすべてを理解できているわけでもないし。そういうことで、今回は軽めのネタを一つ見つけたので紹介したい。

フラクタル第三話で主人公のクレインとネッサはスンダの村に行く。そこはフラクタルシステムを否定し人間的な生活を営む村だった。彼らはフラクタルシステムという体制に反抗するロストミレニアムと呼ばれる反体制派集団であり、体制側からはテロリスト集団と見なされていた。ここの住人達はフラクタルシステムを否定しているため、田畑を耕し自給自足の生活をしている。またフラクタルシステムの最先端医療ではなく医者が直接診察する「原始的」な医療を行っていた。

さて、私が面白いと思ったのは、パーティーを終えてクレインとネッサが部屋で取り交わした会話である。パーティーでクレインは生まれて初めて調理された料理を口にする。それまでフラクタルシステムが与えていたチューブ食(宇宙食みたいな感じだと思う)しか食べたことがなかったクレインは、人間が調理したスープの奥深い味に感激するわけだが、ドッペルのネッサは食事をとることができないため、その料理の味を知ることができない。そこで、ネッサはクレインにどんな味だったのかということを聞く。クレインはそれを何とか上手く表現しようとして、いろいろ単語を並べるが、上手く表現できない。それでも人間同士ならば、なんとなく伝わる程度の単語は並べているのだが、食事をしたことのないネッサは、そんな単語の羅列では、まったく意味が通じない。そこで、ネッサはクレインにどんな味だったかということを「踊り」で表現するように頼む。クレインはその要望に答えようと、意味不明な踊りで味を表現する。

この部分は本筋とはほとんど関係ない部分で、時間的にも数分のやり取りである。ただ、内容的にはすごく深い。まずクレインが言葉で表現しようと悪戦苦闘している姿に、味を表現するということの難しさ、つまり自分の感覚や気持ちを言葉で伝えることの難しさがうまく表現されている。まあここまでなら、そこまで深い内容ではないのだが、このアニメでは、さらに一歩すすんで、そもそも言葉で表現するとはどういうことなのかということが、踊りで表現するという、ネッサの一見ばかげた要望の中に、上手く表現されているように思うのだ。

味を表現する単語を並べられても理解できないから踊りで表現してくれというネッサの言葉を聞いてくだらないと思う人もいるだろう。少なくとも私はこのシーンを最初に見たときはそう思った。なぜ踊りなのだ。踊りで味を表現できるはずがないだろうと。なぜなら、その理由は味覚と踊りにはほとんど関連性がないからだ。しかし、少し考えてみると、それは言葉でも同じことだ。言葉で表現するという行為と味覚の間には何の関連性もない。味覚は言葉でしか表現できないという理由は見当たらない。例えば、もしも言葉を使えないのであれば、手話で表現してもいいだろう。手話の単語は少ないかもしれないが、それでも言葉と手話の間に質的な違いは存在しないと思う。おそらく大半の人はその意見に同意するだろう。言葉と手話の間に差がないのならば、手話の変わりに踊りでも同じことではないだろうか。つまり言葉の変わりに踊りで表現することも可能なのではないかということだ。これは芸術活動の話とも関係してくる。芸術家は絵画や音楽などの芸術作品を通して自分の感情を伝えようとしている。それは言葉や手話や踊りで表現していようとしていることを芸術作品で表現しようとしていることに他ならない。それがどのように伝わるのかということは問題ではないし、100パーセント伝えたいことが伝わるなんてことは、仮に言葉を使ったとしてもありえない。言葉の本質とはなんだろう。コミュニケーションとは何だろう。クレインが踊っているシーンを見ながら、このシーンは、そのような問いかけをしているのではないかと思った。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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