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「日本的ソーシャルメディアの未来」を読んだ

 本の感想ばかりで恐縮なのだが、実はここ3日間ぐらい読んでいた『日本的ソーシャルメディアの未来』という本が結構面白かったので紹介したい。



この本はソーシャルメディア・セミナーの記録らしくて分量は多くない。俺みたいに読むのが遅い人間でも数時間もあれば読めちゃうんじゃないかと思う。ちなみにソーシャルメディア・セミナーってのは、

「ニコニコ動画やツイッター、ユーストリームといった「ソーシャルメディア」の普及を社会インフラの大きな変化としてとらえ、毎回ひとつのテーマを取り上げて対話形式で解説する連続講義



なのだそうだ。詳しくはソーシャルメディアのHPを覗いてみてください。

http://socialmediaseminar.jp/ 

 と、ここまで書いて、このHPに行ってみて気がついたんだけど、この本のもとになったセミナーの動画アップされてるし。。。。。。音声だけみたいだけどね。でも、この回のセミナーでは図表とかを多用しているわけではないから、音声だけで十分だろうなー。ここで動画見れるんだったら本なんて買う必要なんてなかったなー。1500円は高かったなーと、少し後悔。まあ、買ってしまったものは仕方ないか。今度から気をつけよう。ということで、もし興味があったら、まずはソーシャルメディアのHPに行って動画を見たらいいのではないかと思います。第二回「集合知をアーキテクチャって、何?」の動画です。

 さて、そういうことでこの本の紹介にうつりたい。著者の濱野智史という人は「アーキテクチャの生態系」という本を出していて、結構興味深い話をしているんだけど、この「日本的ソーシャルメディアの未来」では「アーキテクチャの生態系」の内容の一部に焦点を当てている。だから「アーキテクチャの生態系」の本を読んだ人にとっては、この「日本的ソーシャルメディアの未来」という本はあまり新鮮味はないかもしれない。しかし論点が絞られていて分量も多くない上にわかりやすく解説してくれているので、とても読みやすいとは思う。

 論点を絞ったといっても、質問コーナーとかでは、日本社会論とかいろいろ面白い方向に話を持っていっているので簡単にまとめることはできないんだけど、そこらへんは動画を見たり本を読んだりしてください。ここでは、この本の一番のポイントだけを紹介したい。それは、ソーシャルメディアの登場によって社会がどう変わってきたかという話だ。それを理解するためにコミュニティとソサエティの違いに着目しているわけだが、その分類を使って明らかになったことは、ソサエティが中心だった近代社会から、コミュニティ志向が強いソーシャルメディアの社会に変化してきたというのが、この本のメインポイントだ。

 この議論を理解するためには、まずコミュニティとソサエティの違いを確認しておく必要がある。コミュニティとソサエティの違いというのはいろいろあるわけだが、大雑把にいうと大体次のような違いが指摘できるという。

 コミュニティは共同体と呼ばれるもので、規模は比較的小さく、共同体内部のメンバーはお互いを把握していることが多い。また共同体のメンバーは同じような価値観を共有し、生活リズムや習慣など、多くのものを共有していることが多く、仲間意識も強い。

 一方、ソサエティというのは、生きかたも価値観も異なる人たちの集まりであり、グループの規模も大きく、メンバー同士はお互いを把握できていない。生活習慣もばらばらで、違ったリズムで生活をしていたりする。このような違いがコミュニティとソサエティの違いだ。もちろん厳格な区別はできないのだが、田舎のムラ社会みたいのがコミュニティで、都市がソサエティという感じらしい。

 さて、このコミュニティとソサエティの違いで濱野氏が注目している点は「時間感覚」である。なぜならコミュニティとソサエティでは時間の捉え方が違うからだ。コミュニティでは生活リズムが一緒だと書いた。どういうことかというと、コミュニティのメンバーは大体同じ職業である。つまり農民のコミュニティとか漁師のコミュニティとか。。。同じような生活を営んでいるから、同じような時間感覚を持っている。生活パターンが大体同じだから、朝起きてから夜寝るまで同じようなリズムで生活しているということだ。だから昼飯食べたら会おうと言えば、いつごろかきちんと時間を決めなくても分かり合える。言い方をかえると、「同じ時間を共有している」といえるだろう。つまり時計というものが必要ないのだ。なあなあで相手の考えていることがわかるし、いつ会いましょうとかいう約束も、時計がなくてもなんとかなるということだ。

 それに対して、ソサエティの方では多様な職業の人たちがいる。普通の会社員と水商売の女の人と新聞配達員では生活パターンがまるっきり違う。だから、夕飯を一緒に食べましょうといっても何時に会うのかわからない。起きる時間も寝る時間も仕事をしている時間も全部違うから当たり前だ。そこでは時間の流れ方が人によって違うのだ。そのような異なった生活リズムを持っている人たちの間で会う約束をするにはどうしたらいいだろうか?誰が見ても同じ、客観的な時間尺度を採用するしかない。つまり時計が刻む時間である。

 ここまでをまとめると、次のようになるだろう。客観的な時間を必要とせず、時間を共有している人たちの集まりがコミュニティであり、時間を共有していないので客観的な時間尺度を必要とする人たちの集まりがソサエティということだ。

 歴史的にはコミュニティからソサエティに変化してきた。前近代ではコミュニティがほとんどだった。血縁集団と地縁集団が社会の基本だったからだ。もちろん都市の発達は前近代に起こっているわけだが、都市部以外のほとんどの地域ではコミュニティが社会組織の基本的単位であっただろう。それが、近代になって、社会はソサエティの方向に大きく動いていった。都市部が発達し、様々な職業が作り出され、生活は多様化していった。それを可能にしたのが時計であった。

 さてここまでは社会学ではよく知られていることらしいのだが、濱野氏の理論で興味深いのは、ソーシャルメディア以降の時間の共有の仕方に着目した点だ。ソーシャルメディアを使っている人たちはソサエティに属する人たちなのだが、実はソーシャルメディアによってコミュニティのメンバーのように時間を共有しているという感覚を得ているのだという。つまり時間を共有することによってソーシャルメディアでコミュニティのような場が作り出されるようになったというのだ。ここがこの本のキモにあたる部分だ。

 ところで時間を共有している感覚でなぜコミュニティのような場が生じるのかと疑問に思う人もいるかもしれない。しかしこれが誰でも経験したことがあると思う。例えば祭りやスポーツ観戦から勉強会やグループプロジェクトまで苦難をともにしたり同じ時間を共有すると強い一体感を感じる。これはコミュニティのような仲間意識を感じる場が形成されているからだ。前近代のコミュニティでは同質なるが故に同じ時間を共有していたわけだが、それとは逆のメカニズムが働いて、同じ時間を共有することによってコミュニティのような一体感を得ることも可能なのだ。

 さて、そういうことで時間を共有しているという感覚によってコミュニティメンバーの仲間意識を感じることができるわけだが、濱野氏によると、実はソーシャルメディアが発達する前にすでにそのような感覚を得ることができるツールが発達していたという。それがテレビなどのマスメディアだ。濱野氏は次のような指摘をしている。

 マスメディアというのは、まさに一億人レベルの巨大な動機的コミュニケーションを可能にする装置といえます。紅白歌合戦やワールドカップの試合を観るというのは、日本人全体がそれを共有しているという状態であって、まさに国民単位の同期的コミュニケーションなんですね。

 だから社会学では、近代以降の国民国家というのはこうしたマスメディアの機能によって、<ソサエティ>でありながら<コミュニティ>でもあるというような ーベネディクト・アンダーソンはこれを「想像の共同体」と呼んでいますー 状態を実現したと言われます。

 これが近代社会のややこしいところで、実際には<ソサエティ>として、複雑で多様な人々が集まっているのが国民国家成立移行の近代社会なのですが、なぜか日本人同士というだけで共同体のような意識を持つこともできるわけですね。

 一億人もいたら、普通は会ったこともないわけだし、まったく共有できる点なんてないはずなのに、それを支えているのが、これもやはり近代以降に成立したマスメディアという装置なのです。

(56-57ページ)


 さて、このようにマスメディアは同じ時間を共有するという感覚を大多数の人間達に与えることに成功したわけだが、マスメディアとソーシャルメディアの間には大きな違いがあり、それがソーシャルメディアが注目される理由になっている。それは何かというと、マスメディアでは同じ時間にテレビを見ないといけないという時間的制約があった。ビデオなどもあるが、生中継を見ることによって盛り上がるというのは、例えばワールドカップの状況をお思い起こせば明らかだろう。つまり自分の家で一人でテレビを見ていようと、どっかのレストランで大型のテレビを大人数の人たちと一緒に見ていようと、テレビ番組の時間を共有しているという感覚を得るためには、最低限、同じ時間にテレビの前にいないといけないということになる。そのような時間的制約からは逃れられないのだ。

 これに対して、ソーシャルメディアでは、この時間的制約もなくなった。濱野氏はツイッターとニコニコ動画を例に出しているが、ツイッターでは選択同期、ニコニコ動画では擬似同期によって、共有していないはずの時間を共有しているように感じることができてしまうところにソーシャルメディアのすごいところがあるのだという。

ということで、次回に続く。。。はず。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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