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『わたしたち消費』を読んだ

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)
(2007/11)
鈴木 謙介電通消費者研究センター

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昨日、『わたしたち消費』をなんとか読み終わった。とりあえずの感想は、

ちょっと読みづらい

悪文アップしまくっている俺が言うのもなんだが、もう少しわかりやすい文章を書いて欲しかった。この電通消費者研究センターの人たちが分担執筆したから、ときどき変な文章が紛れ込んでいるのか?この著者の鈴木さんが、そもそも、あまり文章が上手くないのか?それか、これが一番認めたくはないのだが、俺の読解力のレベルが単に低すぎるだけなのか(笑)。理由はなんにせよ、少し読みにくいと思う。

まあ、でも、こんな俺でも、著者の言いたいことは、なんとか半分ぐらい理解できたと思っている。昨日も書いたとおり、この本の主張としては、最近の消費行動が、以前の消費行動と違うということである。その違いを説明しているのが、本書の前半で、そのわたしたち消費という新しい消費行動に対して、効果的な販売戦略はどのようなものか、価値が多元化している現代社会で、どのようにしたら、ヒット商品が作り出せるのかというのが本書の後半に当たる。

本書の前半は面白いと思う。大雑把にまとめると、ようするに、70年代までは、車やカラーテレビなど、日本人なら誰でも欲しくなるようなものが存在していた。それは人並みな生活をするために必要なものだとされていた。このようにすべての人が同じようなものを欲しがるため、企業は、価値観が単一の大衆という消費者を相手にすればよかった。彼らの価値観や行動原理は同じだから、販売戦略も単一の戦略で十分であった。しかし、80年代以降、このような大衆がいなくなった。それは、ほとんどの人が車やテレビなどを手に入れて、人並みな水準を満たしてしまったということと、価値観の多様化が起こったことによる。このため、販売方法も多様化せざるを得なくなった。

さて、ここで面白いのは、昨日も言ったとおり、わたしたち消費という消費行動が生じてきたことである。それは、ある一部のグループではヒット商品であるものが、他のグループではまったく知られていないというようなヒット商品がいろいろ生み出されたということだ。たとえば、ケータイ小説のベストセラーなどが、それにあたる。ケータイ小説のベストセラーが誰に支持されているのかは、あまり知られていない。女子中高生や20代の女性ではないかといわれているが、はっきりしない。ただ売れているらしいということだけが伝わっている。アニメなどもその例であろう。たとえば、「空の境界」もそのたぐいだと思われる。アニメファンの間では有名なこの作品も、アニメを見ない人たちにとっては、名まえすら知らないものだろう。

このような、一部の人たちの間だけでヒットする原因としてあげられている理由が、ある情報を共有したという仲間意識であり、その情報を自分たちだけが知っているという優越感に似た感情である。そして、このような消費行動はネット上などを通して、仲間同士つながっていき、そのつながりによって、新しい情報が共有されていく。これによって、そのグループの中では、ヒット商品などが生み出されるのだ。

また、著者のいうコミュニケーションのためのコミュニケーションという考えも興味深い。
これを著者は

ネタ的コミュニケーション

と命名しているのだが、ようするに、あるイベントに参加したり、ある商品を買うことが、次のコミュニケーションのネタを提供するような状況を指している。もともと、現代の人たちは他人と繋がっていたいという欲望が強い。だから、SNSなどが流行っている。こういう状況で、自分と同じ感覚を持った人たちと仲間になっているということに満足しているし、この仲間たちとのコミュニケーションのために、イベントに参加したりするのである。その一環として、ある商品を購入するということもあり得るわけだ。

そのモノ自体が欲しいのではなくて、コミュニケーションのネタとして購入する。

まあ、ようするに、好きだった娘が読んでいた漫画を俺も買って、それをネタに接近して、デートして、手をつないで、キスして、それから・・・って、よだれ垂らしながら、いろいろ妄想膨らませていたら、そもそも話す機会がなかった中学の頃の俺みたいなもんか。(ちょい、違うだろって)

で、話を戻すが、この前半は、結構面白かったのさ。オタク的消費行動とかは、こういう限定的なグループのなかだけでヒットしているものだし、他のグループでは違うものがヒットしている。それでいいと思うし、価値観が多様化したポストモダン社会としては、それしかないと思う。むしろ、SNSなどで見られるように、他人と繋がっていたという欲望を持った人たちが多いということの方が興味深いし、「私たち」という架空のグループへの帰属意識みたいなのも、ウェブとの関連ですごく面白いネタだと思ってたのさ。

なのにー、なーぜー♪

って歌いたくなってしまうのが、本書の後半。俺の読解力不足で誤解しているだけなのかもしれないのだが、後半は、このような「わたしたち消費」の時代に、グループ間を越えて、いかにメガヒット商品を作り出すのか!みたいなノリになってしまう。でも、そういうのは無理って言ってたじゃん。なぜ、価値観が多様化している現代、メガヒットを目指すのかがわからない。

というか、そもそも、前半の議論で対象にしているグループというのは、ウェブ上で知り合ったオフ会のメンバーとか、コンピューターのマックが好きでiPhoneを口コミで宣伝するいわゆる”伝道者”集団や、アニメオタクとか、スポーツオタクとか、要するに自分の好きな事をしているなかで自然に価値観が共有されて形成されたグループだと思うのだが、後半の議論の対象になっているグループというのは、それ以外のさまざまなグループが入ってしまっているような気がする。つまり「わたしたち」という感覚で結ばれた緩いグループというのが、この本の中心的な概念であったはずなのに、後半では、その重要な概念が拡大解釈されたのか、忘れ去られたのか、あいまいなものになってしまっているのだ。だから、どこか狐につままれたような気分になってしまう。

そこらへんを我慢して、なおも読み進めると、「わたしたち消費」では、従来のようなヒット商品の火付け役であるイノベーターと呼ばれる人たちではなく、わたしたち拡大層とよんでいる一部の人たちがキーパーソンになっているのだという話になる。この人たちは、人の影響を受けて消費しやすく、なおかつ、口コミ発信するのが好きという人たちだ。ようするに、流行に流されやすく、おしゃべりな人。。。。。。

はい?

何も考えずにテレビなどの言ってることを鵜呑みにして、流行ばかり追いかけて、人に宣伝する人たちって、昔からいたような気がしますが。この人たちが何か?
という感じなので、俺的にはいまいち理解できなかった。

まとめると、前半だけ理解すればいいのではないかと思う。特に「わたしたち」という概念は示唆に富んでいる。

価値観を共有できる人たちと共振することで自分の存在価値を確認する「共振する社会」が誕生しているのです。(199ページ)



と書かれていることからもわかるように、この本の「わたしたち」という概念は、今後のSNSなどの繋がりを求めるウェブ社会を理解するために重要になってくるだろう。


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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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