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非モテ

昨日、非モテという言葉があることを知った。





この二つ目に出てくる女性が恋愛話のテレビ番組を退屈そうにながめている姿や、その姿を理解できずになんとか”正常”な人になるように恋愛の素晴らしさを教えてあげようと試みている彼女の友達の姿をみると、すこし悲しいものを感じてしまう(ただし”正常”と引用符によって囲んでいるように、これが正常だと思っているのは、恋愛が普通だと信じている人たちの価値観でしかない)。もちろん、この友達の行動を責めるつもりもない。彼女は友達想いなだけなのだと思う。純粋に、恋愛が楽しいということを教えたいのだろう。そして、そのような行為は、すごくいいことなのだと思う。それでも、この非モテの女の人の気持ちに同情してしまうのは、俺も同じような経験をしてきたからだ。

同じような経験といっても俺は非モテではない。それはスポーツ観戦をするときに同じような気分になっていた。俺はスポーツ観戦が苦手だ。昔から、苦手だった。単純に、スポーツ観戦をまったく楽しめないのだが、それだけが苦しいのではない。あの、たくさんの人たちが熱狂する姿をみていると、その熱狂に溶け込めない自分が異常に見えてきてしまう。頑なに拒否する自分の姿に自己嫌悪してしまう。俺にとって悲劇だったのは、俺の家族がスポーツ観戦を嫌いではなかったということだった。子供のころ、家族に、むりやりスポーツ番組を一緒に見せられて苦痛を感じていた。しかし、それを見ていないということは、家族の一員としての義務を果たしていない。そんなプレッシャーを子供心に感じていたので、我慢してみた。そして、スポーツを見ること自体にさらに嫌悪感をつのらせていった。俺がスポーツを楽しめないというのが、どのような心理状態から生じたのかはわかない。協調性がないだけなのかもしれないし、俺の心に欠陥があるのかもしれない。ただ、苦痛なものは見なくてもいいんだということに気がつくまでに、だいぶ長い時間がかかってしまった。大学に入って一人で生活するようになってから、スポーツ番組などは見ない生活を送っていたが、それでも、スポーツを観戦できない人間はどこか欠陥人間ではないかという感情は持っていた。アメリカに来てからもそうだった。いや、むしろ、アメリカでのアメフトシーズンが一番きつかったか。男はゲームを見るのが当たり前という雰囲気があったから。。。そういうわけで、この女性が恋愛番組を見せられて、つらそうにしている顔を見ていると、なんとなく理解できてしまう。俺自体は、恋愛は好きな人間なので、非モテ自体に共感できるわけではない。ただ。そのような疎外されているような感覚や自分の居場所がないような感覚みたいなものは、理解できるような気がする。

それにしても、今、なぜ、非モテなのだろうか?そもそも、非モテとはどのようなものなのか?
はてなキーワードによると、基本的には「モテない状況に自分を置く人」のことらしいが、そのようになった経緯は複数の理由だという。そのなかで、次のような人たちも存在するらしい。

その一方で、「モテるための努力を回避する」という恋愛至上主義や恋愛資本主義へ批判的態度およびその人のことを指す場合もある。

後者の非モテはさらに挫折型←→非挫折型、恋愛至上主義そのものからの退却←→恋愛(モテ)資本主義からの退却と大きく4つの型に分類できると思われる。

(『電波男』(本田透著)は「挫折型・非-恋愛資本主義」であり、『負け犬の遠吠え』(酒井順子著)は「挫折型・非-恋愛至上主義」、近年の若年世代のライト萌えオタク層は「非挫折型・非-恋愛資本主義」となる)

(はてなキーワードから引用)



電車男以降の部分は、あまり、理解できないのだが、恋愛資本主義とか恋愛至上主義に対抗しているという部分は興味深い。これが単なる後付けの理由なのかどうかはわからない。また、非モテの人たちのうち、どの程度がこのような恋愛にまったく興味のない人たちに分類されるのかも、はっきりしていない。事実、ウィキペディアによると、2008年11月に開設された、非モテSNSは「恋人ができたら即、退会」、「日記は『非モテ』に関する悲惨な話題に限る」といった決まりがあるという。上記のユーチューブの動画では、1年余りで会員数が3万人に達したという解説がされていたが、番組に出てきたような「恋愛にまったく興味のない人たち」が実際にどの程度いるのかという部分は明らかではなかったように思われる。だから、このような非モテという考えが、この先、どの程度社会に広まっていくのかはわからない。ただし、もし、このような考えが広まった場合に社会に大きな影響を与える可能性があることだけは確かであろうと思う。

一つは恋愛資本主義が機能しなくなると思う。価値観の多様化したポストモダン状況においては、消費者のこころをとららえることは容易ではない。そんななかで多くの人たちを魅了する商品は、恋愛やセックスが絡んだ商品だと思われる。それらの商品が売れるかどうかわからなくなるということは、企業にとっては大打撃になるだろう。また恋愛至上主義を再生産していたドラマ、映画、音楽などにも大きく影響するはずだ。これら大衆を対象にせざるを得ない分野で、恋愛という唯一普遍的だと思われていた価値観が揺らぐことは、大きな衝撃になってしまう。まあ、この恋愛資本主義とか恋愛至上主義は俺も大嫌いなので、そういうのが弱まることは大歓迎だ。ただ、社会に影響を与えないのだろうか?

恋愛にもセックスにも興味がないということは、ようするに子供ができないわけで、そうなると少子化問題も解決しないし、これからの家族形態にも影響を及ぼすと思われる。恋愛に興味のない人たちを疎外するような社会には反対だが、こういう考えがおしゃれだというような言説をしてしまうのはいけないと思う。多様性を許容する社会というポストモダン的状況を曲解して、マイナーな意見をメジャーな意見のように喧伝してしまうテレビなどのメディアは、こういうことに関して、とても不安な存在だ。そういうメディアの考えなしの行動が、くだらない流行を生みださなければ、まあ、社会構造に影響を与えるほどに、恋愛やセックスに興味のない人が多数派を占めるということにはならないと思う。

もう一つ気になるのは、他者とのかかわりという心理学的な違いである。別に非モテの人たちの精神構造にけちをつけるつもりはない。ただ、恋愛ではしばしば無償の愛とか自己犠牲の精神に似た感情が芽生える。このような特別な感情、親友同士の関係でもある程度味わえるだろうが、微妙に違うと思う。つまり他者とかかわりを実践していく場として、恋愛経験というのも重要なのではないかと思うわけだ。そうすると、非モテの人たちは、そのような経験を、恋愛以外のどこかに求めなくてはいけなくなるのかもしれない。もちろん、恋愛をしたから、他人にやさしくなれるのかというと、そんなことがまったくないのは、周りを見回せばわかることだ。むしろ恋愛とかセックスがなければ起きなかったであろう犯罪はたくさんあるわけだし。。。だから、恋愛できない非モテの人たちが、人間として欠陥を抱えているなんて言いたいわけじゃない。それを言ったら、スポーツ観戦を楽しめない俺も社会性とか協調性が足りない欠陥人間ということにされてしまう。

ということで、一体、何を言いたかったのか、よくわからなくなってしまったが、最近、恋愛に興味のない非モテと呼ばれる人たちがいるということに、ちょっと驚いたわけなのです。

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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

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