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「宗教も国籍も超え、弔う」ことは出来ないと思う

今日の朝日新聞をネットで見ていたら探訪保守というコーナーを見つけた。その中で、『宗教・国籍を超え、弔う』と題する記事を読んでみた。

先に言っておきたいのだが、朝日新聞嫌いの俺からしても、このコーナーは変な意図はないようだ。というか、一生懸命書かれている。だから、あまりこのコーナーの記事について「けち」をつけたくはない。ただこの記事を違う意味読み解こうとする人たちがいるかもしれない。というか、ぶっちゃけ、朝日新聞が「宗教・国籍を超えて弔う」とか言い出すと、なぜか靖国神社に代わる戦没者のための新たな国立追悼施設を、ということを言っているように勘繰ってしまう。

それにしても、今なぜ朝日新聞は保守主義について言及し始めたのか?興味がわく。まあ、俺なんかが、無い知恵絞って考えた結果だと、とりあえず二つの可能性が思いつく。一つは、日本人の最近の「右傾化」にあわせて、朝日新聞も右傾化してきたということだ。もともとポリシーもなく、大衆に迎合することを得意技としている新聞社だ。戦前は勇ましい言動で名を馳せていたのだから、また右旋回したとしても不思議ではない。ただ社説を読む限りでは、右に急旋回したようには思えない。なので次の2つ目の可能性の方があり得るのではないかと思う。それは郷土愛に根ざした保守主義に反論できなくなってしまったサヨク勢力が、郷土愛と愛国心は違うものだという点を強調して、郷土愛に根ざした保守主義者を取り込もうとしているのではないかということだ。そのためのシナリオが次のような感じである。

1.本来の純粋な保守主義とは地域共同体に根ざした、自分の土地を愛する自然な感情であり、郷土愛である
2.ナショナリズムや愛国心は、本来の保守主義が目指す郷土愛とは似て非なるものである
3.そのような愛国心を掻き立てる宗教施設としての靖国神社は、だから本来の保守主義者にとっては必要のないものである。
4.むしろ、日本を愛する本来の保守主義者は出雲の人がしたように宗教や国籍を超えて死者を弔うべきなのだ。
5.だから、新しい国立追悼施設が必要なのである。

さっきも言ったように、別に、この記者がそのような考えを持っていたとは思わない。ただ、結果的に、このような記事をこういう論理で読み解こうとする人が現れるのではないかということを心配しているのだ。それでも、この記事が正しい記述をしているならば、それはそれで、問題ないとは思う。ただ、残念ながら、この記事はおそらく間違いだと思われる。だから、その誤った考えが流布される前に、その点を指摘しておくべきではないかと思う。

まず指摘したい箇所を引用しておきたい。原文は上のリンクをクリックしてください。

 ・・・大社から「夕日の神様」として知られる日御碕(ひのみさき)神社へ延びる海岸沿いの国道を走り中山地区に入った。点在する民家の庭を抜け、急斜面の林を下りて静かな入り江に近づくと、自然石を無数に積み上げた無縁仏があった。
 北西に広がる日本海のはるか向こうの朝鮮半島の人々が、ここへ打ち上げられることもあった。人々は自分の家の敷地に埋葬して、寺の住職を呼んで手厚く葬ってきたそうだ。落ち武者をまつった無縁仏もあるという。
 宗教や国籍を超え、死者を分け隔てなく弔う風習は今も息づいている。



この文章によると、つまり朝鮮半島の人の死体が打ち上げられたら、国籍を無視して弔ってあげていた。どこのだれだかわからない落ち武者も弔ってあげていた。出雲の人にかぎらず、このように、人間は国という概念を超えて、死者を弔うという純粋な気持ちを自然にもっているものだし、そこには特定の宗教の存在などは必要ないと言いたげである。

しかし、残念ながら、それは違う。そもそも、明治以前の社会では、朝鮮半島の人も落ち武者も同じ外部の人であったと思われる。彼らを自分たちと同じ人間としてみていたかどうかは、はっきりしない。民俗学や宗教人類学で言われているように、伝統的な社会では、村の内と外が重要な概念であった。村境を越えた地域は、外の世界である。その外の世界から来る旅芸人や旅人たちは来訪者である。マレビト信仰やサンカなどがこのような来訪者の例であるが、来訪神や異人の研究によると、外部の人間は村の人間とは異なる存在であったいう。彼ら外部の人間たちは、しばしば恐れ敬う存在として、また逆に差別の対象として、扱われていた。つまり両義的な存在だったというわけだ。そのような外部からもたらされた死体ならば、なおさら霊的な存在として敬われたとしても不思議ではないだろう。祟りを恐れて、そして福をもたらす神として、丁重に弔われたのではないだろうか?だから、単純に国籍を超えて弔ったという記述は正確ではないと思う。

さらに、死者を弔うという行為自体に、その土地の宗教が絡んでいる。それは神道であろうと仏教であろうと、日本のように神仏習合の結果生じたある意味土着の宗教体系であろうと関係がない。そして、今言ったように村の内と外という概念自体も、その土地の持っている世界観であり、宗教体系と密接にかかわっている。
つまり、「宗教も国籍も超え、弔う」ということは、あり得ないと思う。


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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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