スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ポストモダン時代のテレビの役割

今日、テレビを見ていたら、ニューハーフの人たちが何人か出ていた。女の人と見分けがつかないくらい、キレイな人たちだった。噂には聞いていたが、ここまでキレイな人が何人も並ぶと、ただただ、すごい時代になったんだなと思ってしまう。俺もいちお人類学者の端くれとして、多様な価値観を尊重したい。だから、ニューハーフとか同性愛者という人たちを否定するつもりもないし、そういう生き方が可能な社会というものは、それはそれでいいことだと思う。ただ、そういう人たちを頻繁にテレビに出すことには反対である。こういう人たちの生き方を理解して受け入れるということと、こういう人たちをテレビに出すということは違うことだと思うからだ。

前者の、多様な価値観を理解して受け入れるという行為は相対主義の基本だ。相対主義というのは、簡単にいうなら、自分の考えが絶対に正しいと主張するのではなく、あなたの考えも正しいのではないかと考えることである。これは別に1+1=5だと言っている人に向かって、あなたの考えも正しいかもしれないと考えろと言っているのではない。そのような客観的な真理(と呼ばれているもの)ではなく、もっと主観的な考えの話をしているのである。例えば、「鯨を食べてはいけない」という考えや、「民主化することはいいことだ」、「男女の恋愛は自由だ」、「お見合い結婚は封建的だ」など、絶対に正しいという基準がないものである。つまり人によって意見の分かれることがらであり、もっとスケールを大きくしたら、文化の違いということになる。それらも、どの文化が正しいとか、どの文化が優れているといったことは誰にもいえない。なぜなら、それらを比較して優劣を決めるには、誰が見ても納得できるような絶対的な基準が必要になるのだが、そのような絶対的な基準というものは通常存在しないからだ。

普遍的で絶対的な基準がなく、価値観に優劣がつけられない以上、自分の価値観を押し付けるのではなく、他者(他の人)の価値観を尊重しなくてはいけないというのが相対主義と呼ばれるものである。これによって自分の価値観も他者に尊重されることになる。つまり自分の価値観を認めてもらうためには、相互に尊重して承認しあうという手続きが必要なのである。これはポストモダンの重要な側面でもある。なお「自分の価値観が絶対正しい」という考えを一旦カッコに入れること(つまり自分の価値観が絶対的に正しいというわけではないという謙虚な気持ちになって、自分の価値観と他の人の価値観を同列に扱うこと)を自分の価値観を「相対化する」という。

では、多様な価値観をもった人たちをテレビに出すことは必要なことなのだろうか?多様な価値観を紹介することには賛成である。ただ日本ではしばしばメジャーな価値観を否定して、マイナーな価値観をことさらに評価する傾向があるように思う。ここでメジャーな価値観とかマイナーな価値観と言ったが、メジャーな価値観とは大多数の人が当たり前だと考えているものである。つまり常識と呼ばれているものや、道徳とか社会規範である。さらに多数派の人たちの思い込みやステレオタイプなどもそれに含まれると思う。マイナーな価値観とは、社会の中心的な考えではないもの。誰も興味を示さないようなモノを追いかけるオタク的な趣味とか、あまのじゃく的な考えなどが入るのではないだろうか。もちろんここには社会の中心を占める多数派ではなく、周縁に追いやられている少数派の意見や少数民族の伝統文化なども含まれる。

通常はメジャーな価値観を持つ多数派が少数派の意見を押しつぶしてしまうため、マイナーな価値観にスポットライトを当てることが必要になってくるのであるが、日本では、それが極端なように思うのだ。つまり、日本では、多数派に属する人たちが、メジャーな価値観であるはずの自己の価値観を全否定して、他者の価値観を無批判に受け入れるべきだという風潮があるように思われる。それは日本文化を否定して、西洋文化や他のアジアの国々の文化・芸術を異様なまでに称揚することなどと通じる感覚なのではないだろうか?それが「ポストモダン的」もしくは「進歩的」だと勘違いしてしまっている人が多すぎるような気がする。多様な価値観があるということを受け入れることと、自分の価値観を信じないということは同じことではない。このような他者の価値観を受け入れ、自己の価値観と置き換えるという行為は、すなわち、その他者の価値観のみを認めているということであり、決して相対主義とはいえない。そうではなくて、自己の価値観が絶対的ではないということに十分意識的になり、自己の価値観を相対化することで、他者の価値観を自分とは異なる価値観として理解し認めようと試みることこそが相対主義なのである。繰り返すが、相対主義とは、決して無批判に他者の価値観を受け入れることではないし、ましてや自己の価値観を否定することではないのである。

さらに、ポストモダンの時代において重要なことは、その多様化した価値観に優劣をつけられないとしても、そのなかのどれかを選択し、集団内の成員同士で共有しなくてはいけないということである。日本では、個人の自由を履き違えて、「多様な価値観の容認すること=集団内に共有された価値観を否定すること」と信じている人がいるが、おそらくそれは間違いだと思う。というか、人間は集団行動をする生き物であり、他者と円滑にコミュニケーションをとっていくためには、同じ行動規範を共有しておく必要があるからだ。もちろん、それは伝統文化である必然性はない。たとえば、人工的に作られた法律などを丸暗記させ、それを徹底することでも可能であろう。ただし、数百年の歴史しかない法体系などよりも、先人の知恵が詰まった伝統文化の方が、はるかに優れているように俺には思われるのだが・・・。いずれにせよ、行動規範が同じでないと他者との交流ができないわけだし、つまり社会が成り立たないということになってしまう。このため、集団内の大多数の人が暗黙のうちにしたがうルールのようななものを、メジャーな価値観もしくは社会規範として、集団内のすべての成員に認知させておくことは重要なことなのである。

なぜ、このような社会規範やメジャーな価値観の共有の重要性を強調するのかというと、実は、このような共有されるべき価値観がテレビによって壊されてきたからである。テレビというものは意外性を売り物にしている部分がある。ニュースにしろバラエティーにしろ、だれも知らないような意外な「モノ」や「コト」は視聴者を魅了する。そのため、テレビも視聴者も常に意外な何かを探しているような気がする。もちろんそれは見世物小屋的なある意味卑しい感情であるし、また他人の不幸を見ることで自分の生活の優位性を再確認して安堵するような覗き見趣味に似た感情である。つまり低俗な欲求を満たすためにテレビは発達してきたように思う。しかしここでテレビは強力な思想的流れに乗ることになる。それがポストモダンという思想だ。もちろんポストモダンの皮相的な理解だけだと思われるが、テレビは見世物小屋的に見せていた歪なモノに多様性という価値を与えた。つまりポストモダンの時代、多様な価値観を見せることがテレビの役目であり、そのためにさまざまなモノを見せていくべきだといった風潮になった。また視聴者も自分たちの卑しい感情に目を瞑り、多様な価値観や異文化を理解しているかのような錯覚におぼれることが出来た。

多様性を知ることは確かに必要だ。だからテレビが多様な価値観を紹介することは、ある意味で正しい判断である。ただし、見世物小屋に通っていた人たちが、多様性を理解するよりも、自分たちの正常さを再確認するためのものであったように、多様なものを見せるだけでは相対主義のメッセージはまったく伝わらない。多様性を見ただけで自己を相対化できる人間はごく少数だからだ。テレビは多様性を見せるよりも、むしろ、どのように自己の価値観を相対化できるかということを啓蒙していくべきではないのだろうか?相対化できるようになれば、多様性自体を見なくても、多様な価値観を尊重できるようになるはずだ。

多様な価値観のみをテレビで垂れ流していると、なにが社会にとって共有されるべき価値観かというものが曖昧になってしまうという問題も生じてくる。ニューハーフの人たちが普通の人と同じようにテレビに登場し、非モテと呼ばれる人たちが、あたかも若い人を代表するように紹介される。もちろん彼らを排除してはいけない。彼らの生き方に一定の理解を示し、共存していく社会でなければならない。ただし、周縁に位置しているはずの彼らの価値観を、メジャーな価値観と同列に扱ってはいけないような気がする。社会の成員として共有されるべきメジャーな価値観とマイナーな価値観が同じように並べられてしまっては、社会の成員として必要な価値観(常識とよばれるもの)が一体どれなのかを認識できなくなってしまう。その結果、メジャーな価値観は否定され、社会内部のコミュニケーションが円滑に行われなくなってしまう。だから、テレビなどでは、大多数の人が共有する価値観というものは、あくまでマイナーな価値観とは異なるということ、つまりメジャーとマイナーの価値観の差異を強調し、常に中心から周縁へのグラデーションははっきりとさせておくべきだと思う。そのような差異化は決して差別的な行為ではない。なぜなら、それは多様な価値観を否定しているわけでも、それらの価値観を認めていないわけでもないからである。日本的な社会規範や日本の伝統文化というメジャーな価値観を否定してきた以前の左翼的言動のほうが、よっぽど差別的であったと思う。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

スポンサードリンク
最新記事
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

kemmaarch

Author:kemmaarch
右よりの内容ですが、もう一つブログを書いています。右よりの話でも大丈夫な人や日本が好きな人はいちど覗いてみてください。
保守主義のすすめ

私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

本や映画の感想はアマゾン・レビューにも書いています。ぜひ遊びに来てください。
アマゾン・レビュー
はてなブックマーク

ツイッター(Kemmaarch)
検索フォーム
ブログ・ランキング
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
フリーエリア
リンク
RSSリンクの表示
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QRコード
スポンサードリンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。