スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

動物化するポストモダン

動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
(2001/11)
東 浩紀

商品詳細を見る


この本のポイントは5つぐらいだと思う。

 一つは、オタク系文化の消費行動というものがどのようなものかという議論である。結論から先に言えば、それはデータベース型消費ということになる。従来のモデルでは、背後に大きな物語があり、ひとつひとつの作品はその大きな物語を切り取った断片であった。そこでは、背後に大きな物語が存在するため、断片である小さな物語から遡行する形で大きな物語を得ようとする欲求が生まれる。それが虚構の時代になると、背後の大きな物語はもはや存在しないのであるが、それでも、その背後の物語を再構築しようと試みる時代があった。それが物語消費という行動である。
 データベース型消費では、この背後の大きな物語がなくなり、消費者もそれを求めることの無い世代の消費行動である。そこでは、背後にあるものは大きな物語の変わりに、すべての要素を備えたデータベースという「大きな非物語」である。そのデータベースから抽出された要素を再構築して作られた「小さな物語」を消費していく。これらの「小さな物語」は同じデータベースから抽出された要素からなっており、その組み合わせを変えるだけで、無数の「小さな物語」、すなわちシミュラークルが生成され、消費されていく。そこでは、オリジナルと二次創作の区別はない。なぜなら、どちらも同じデータベースから抽出された要素を組み合わせただけの存在だからである。このようなデータベース型消費という新しい消費行動が本書の一番重要な論点になっている。

二つ目のポイントは、消費行動の歴史的変遷であり、モダンからポストモダンという社会的な流れが消費行動にも大きく影響を与えているという点である。具体的には、理想の時代の大きな物語の消費から、虚構の時代物語消費、そしてデータベース型消費行動という流れであるという点である。

そして三番目のポイントとしては、データベース型消費とともに、オタク系文化は小さな物語を消費している。この二層構造がポストモダンの大きな特徴である。どういうことかというと、さっき言ったようにシミュラークルとしての「小さな物語」を際限なく消費するのが現代のオタク系文化の消費行動であるわけだが、それと同時に、その背後にあるデータベースにアクセスしようとする欲望が生まれる。この本では、ノベルゲームを例に挙げている。ギャルゲーと呼ばれるノベルゲームは、テクストや画像などのデータの組み合わせで作られているのだが、消費者はマルチエンディングのシナリオ(一つ一つが「小さな物語」に相当する)を動物的に消費し感動していくとともに、このゲームのシステムにアクセスし、データを再構築して、二次創作を行おうとする。このように、オタク系文化の消費者は一方で無数の「小さな物語」を消費しながら、他方で、システムとしての背後のデータベースにアクセスしようとする欲望があるのである。

4つ目のポイントは、その小さな物語を消費する行動が動物的であるという点である。この動物的というのは、他者を必要とし社会的な文脈の中で生起する人間的欲望ではなく、他者を必要とせず、すなわち社会的な文脈とは関係なく、特定の対象との関係のみで満たされる単純な渇望の動物的欲求である。

そして最後のポイントとしては、歴史的変遷として、モダンの時代からスノッブの時代、そして動物的な時代になったというわけだ(←疲れたので、相当いい加減ですいません)
なお、最後のほうで面白い記述があったので引用しておきたい。

 ルソーを持ち出すまでもなく、かつては、共感の力は社会を作る基本的な要素だと考えられていた。近代のツリー型世界では、小さな物語(小さな共感)から大きな物語(大きな共感)への遡行の回路が保たれていたからである。しかしいまや感情的な心の動きは、むしろ、非社会的に、孤独に動物的に処理されるものへと大きく変わりつつある。ポストモダンのデータベース型世界では、もはや大きな共感など存在し得ないからだ。そして現在のオタク系作品の多くは、明らかに、その動物的処理の道具として消費されている。(『動物化するポストモダン』 139ページ)


もう一つ同じような内容だが、結論部分を引用しておく。

 近代の人間は、物語的動物だった。彼らは人間固有の「生きる意味」への渇望を、同じように人間固有の社会性を通して満たすことができた。言い換えれば、小さな物語と大きな物語のあいだを相似的に結ぶことができた。
 しかしポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社会性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。意味の動物性への還元、人間性の無意味化、そしてシミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の乖離的な共存。現代思想風の用語を使って表現すれば、これが、本章の第二の問い、「ポストモダンでは超越性の観念が凋落するとして、では人間性はどうなってしまうのか」という疑問に対する、現時点での筆者の答えである。(前掲書 140~141ページ)


という感じだ。面白いでしょ。
まあ、そういうわけで、この本は本当におすすめです。ただ第一章は納得いかないので、近いうちに反論を書きたいと思ってます。あと、第三章のウェブの話や、多重人格の話、それにギャルゲーの『YU-NO』の解釈は感動モノで、とにかくとても興味深いです。ウェブの話は数ページしかないけど、『ウェブ進化論』よりもはるかに深い内容だし、思想家に語らせると、ウェブの話もこうなるかみたいな感じで驚かされた。そういうことなので、気が向いたら、そこらへんもいつか紹介したいと思っています。でも、その前に続編の『ゲーム的リアリズムの誕生』を読みなおさなくては。。。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

スポンサードリンク
最新記事
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
プロフィール

kemmaarch

Author:kemmaarch
右よりの内容ですが、もう一つブログを書いています。右よりの話でも大丈夫な人や日本が好きな人はいちど覗いてみてください。
保守主義のすすめ

私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

本や映画の感想はアマゾン・レビューにも書いています。ぜひ遊びに来てください。
アマゾン・レビュー
はてなブックマーク

ツイッター(Kemmaarch)
検索フォーム
ブログ・ランキング
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
フリーエリア
リンク
RSSリンクの表示
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QRコード
スポンサードリンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。