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日本人の宗教観

 親父がまだ子供の頃、曽祖母が家の庭で時々面白い呪い(←「のろい」じゃなくて、「まじない」の方ね)をしていたと、昔、親父が教えてくれた。呪いというと、なんか俺の家系は呪術師かなんかかって言われそうだが、そうではなくて、ただの民間信仰の呪いだ。まあ、家の前に、にんにくをつるさげるとか、そういう類なのだが、親父の話だと、裏山から一つ目小僧がおりてくるので、もし家に来ても、びっくりして山に逃げかえるように目がたくさん付いているように見える何か(←何か忘れた)を家の外に出しておいたのだという。もうひとつの呪いは、何かの植物が芽を出したら、それに水をやりながら、呪いの歌を歌っていたという。(ちゃんとした内容が思い出せないので、今度親父に聞いてちゃんと記録しておかなくては・・・)。

 まあ、そういうことで、俺の曾祖母はいくつかお呪いを知っていたらしいのだが、別に何か特別の宗教的な知識体系を持っていたわけではない。もちろんシャーマンなどの宗教職能者でもない。ごく普通の人間で、おそらく俺の実家の地域で代々伝わってきた民間信仰をただ繰り返してきただけなのだろう。だから、その行動の意味を聞いたところでわからなかったと思う。ただこういうのも人類学では宗教と見なす。そこらへんが、宗教と世間で呼ばれているものと少し違う。

 宗教と聞くと、まず頭に浮かぶのは、キリスト教とかイスラム教あたりだと思う。ここらへんの宗教は、教義とかがしっかりしているし、宗教施設も特徴があるので、部外者でもある程度理解できる。毎週、教会に行って神父さんとかがいろいろ教えてくれるんだとか、イスラム教の人は厳しい戒律を守っているんだとかね。一方、仏教は教義とかをそこまで広めようとしていない印象を受ける。もちろん、これは大乗仏教の世界だからかもしれないが。

 俺は、親が日蓮宗の宗教団体に入っていたから、自動的にその宗教団体に所属していて、だからある程度仏教の教えみたいなものに親しんできた。といっても、中学生の一時期を除いては、ある程度距離を置いているのでなんともいえないが。。。まあ、おれ自身は、宗教団体の活動に深く入りこんでいないし、他の教団のことなどまったくしらない。だから、あまり一般化はできないのだが、俺の限られた経験と独断で判断させてもらうと、俺の入っている仏教教団の教えは、キリスト教などよりかは、宗教色の濃い教えではないような印象を受ける。むしろ道徳に近いだろうか。。。もちろん、出家したお坊さんや密教系の寺院などでは、もっとしっかりした教義を習うのかもしれない。

 ただ一般の日本人の宗教に対する感覚というのはやはりキリスト教やイスラム教などの信者とは大きく違うような気がする。俺の入っている宗教団体は、日蓮宗だが葬式は他の宗派でもいいし、結婚式などはキリスト教系でも十分オッケーみたいだ。熱心に宗教団体の会合に通う俺のお袋も、神社にいって厄払いをしたり、施餓鬼会にはお寺にいく。もちろんお盆も浄土宗(だったと思う)のお坊さんが来てお経をあげてくれる。その後ろで、俺のお袋は日蓮宗のお経をこそこそとあげていたりする(笑)。

 俺はキリスト教とかイスラム教のことはほとんど知らないし、仏教の教えもちゃんとは理解できていない。しかし、ほとんどの日本人はそのような感じだと思う。俺が不思議なのは日本人がなぜ無宗教を強調するかということだが、そこらへんは今度またじっくり考えてみたい。ただ我々日本人はなぜか宗教というものをネガティブに捉える傾向があるように思う。宗教と聞くと自分たちとはまったく関係のないキリスト教かイスラム教であったり、そうじゃなければ怪しいカルト教団だという感じだ。というか、オウムから始まって、最近では、摂理とか統一教会、国際福音キリスト教会などの韓国のキリスト教系のカルト教団など、なぜか日本ではカルト教団が問題を起こすことが多いような気がする。日本のマスコミがセンセーショナルに報じすぎるのか、それとも根本的にカルト教団が運営しやすい国なのか。

 ただ、少なくとも、こういう報道を聞いたりしていると、やはり宗教団体というものに警戒心を持ってしまうのは当然だし、それでいいと思う。危ないカルト教団に入るぐらいだったら、宗教団体自体に入らないほうがよっぽどいいだろう。だから、宗教に懐疑的になるのはいいことだし、無宗教というのもいいことだ。無宗教というと変な目で見られるから、欧米では言わないほうがいいなんて得意げに忠告してくれる人もいるが、大きなお世話だと思う。

 ただ日本人が本当に無宗教かというと実は違う。確かにキリスト教やイスラム教の人たちから見たら節操がなくて無宗教に見えるかもしれないが、そもそも宗教のない社会などというものは存在しないのだ。だから、もちろん日本人も無宗教ではないのだ。ただキリスト教などと違って、ちゃんとした教義がないだけだ。例えば、日本人は、初詣には神社に行くし、お宮参りに七五三のお祝いなど神社や寺に行く。お盆もするし、豆まきもする。変化してきているとはいえ、まだ多くの人は、先祖の墓に墓参りにも行く。こういう年中行事や通過儀礼などは宗教的儀礼なのである。これらの儀礼の一つ一つは単なる儀礼全体の断片に過ぎないかもしれないし、その背後に大きな物語体系があるとは思えない。俺の曾祖母だってまじないの断片的な知識だけである。その背後の物語は最低限のことしか理解していない。しかし、それで十分だった。「一つ目小僧が山に住んでいる」という語りだけで、山には魔物がすんでいるという世界観が出来上がるわけだ。それ以上のものは必要ない。神社にお参りすることで理解できることをあえて言えば、神社には神がいて守ってくれるということである。さらに等価交換としてこちらが一方的に犠牲を払えば(お供えをすれば)、同等の見返りをしてくれる、というような物語が背後にあるのかもしれない。それらの物語はキリスト教的な意味での「宗教的教え」ではない。ただ形而上学的現象の解釈としては宗教と呼ばれるべきものであろう。他にも葬送儀礼などは死者がどのようにして祖霊になるのか、他界はどこにあるのか、などの宗教観や世界観と密接に関連している。このようなものもすべて宗教と考えられるし、むしろ宗教と考えるべきなのだ。

 多くの社会では(特に前近代までの社会では)、宗教は厳密に経済や政治活動と峻別できるわけではなかった。前述したように、神へのお供えは神との経済活動であったし、宗教の祭祀活動は政治的リーダーのパフォーマンスに他ならない。政治的リーダーが自分の力を誇示するためにパフォーマンスを行うのか、それとも民衆の力が政治的リーダーにパフォーマンスするように圧力をかけるのかという問題はあるにせよ、とりあえず、宗教と政治は密接に関連しているし、そもそもラディカルなシャーマンという宗教職能者から、神官という国家制度に組み込まれた聖職者に、祭祀儀礼の担い手が変化していく時点で、宗教は政治色を帯びていくわけなのだ。つまり、ほとんどの社会で政治的リーダーは宗教職能者と切り離せない関係にあったし、それは日本のようなアニミズムがベースの国では、今でも、宗教と(地域の)政治は素朴な、しかし密接な関係にある。

 ということなので、日本人の宗教観というのは特別だ。ただ、その特別というのは、キリスト教圏などからみたら特別だというだけだと思う。彼らの宗教観が、ある意味、狭義の宗教観だというだけなのだ。おそらく、前近代の多くの社会では日本のようなアニミズムを信仰していたし、儀礼活動などを中心とした宗教であったのだと思う。もちろん、それぞれの社会が特異な世界観を持っていたし、それらは神々や死後の世界といった世界観の影響を受けていたことは容易に想像が付く。他にもいろいろな場面で宗教的知識が生活の中に入り込んでいることはあるし、神話や民話などで道徳などが教えられることもあるだろう。江戸時代の怪談などは十分宗教的だし、それによって女性を捨ててはいけないというモラルや、女の幽霊の恨みの恐怖が男の行動を律するのである。つまり当時のサブカルなどを含めて、すべての物語が宗教的世界観を構築しうるわけだ。

 それでは現在の状況はどうだろうか?現代は物語が氾濫している時代だ。ゲーム、ドラマ、映画、漫画、アニメ、小説、などなど。多くの物語が存在し、それらは我々の価値観や生き方に大きく影響している。我々はそれらの物語からメッセージを受け取り、それにそって生きている。ここで面白いのは、これらのメッセージを受け取るのは我々だけではなく、物語の製作者も受け取っているということだ。そして、同じようなメッセージを再生産しているわけだ。もちろん、現代社会の人間はすぐに飽きる。前近代も物語は様々に変化してきたと思うのだが、現代の物語は変化のスピードが極端に早いのではないかと思う。それでも、変化するのはもっぱら外側だけで、根本的なメッセージというのは、そこまで変化していないようにも見える。製作者も消費者もともにイデオロギーから完全に自由ではないのだろう。

 まあ、そういうとこで、何を言いたいのかわからなくなってきたのだが、とりあえず今日言いたかったことは、日本の宗教観というのはキリスト教などとは大きく違うということ。そして、日本人は無宗教ではなく、むしろ日本人のようなアニミズム的な宗教こそが本来の宗教ではないかということ。さらに、そのような宗教は生活に密着していて、前近代ではそしておそらく今でも宗教というものは本質的に政治や経済活動などと峻別することは不可能ではないかということ。宗教とは世界観や道徳にも影響を与えているし、そのような物語は現在では様々なメディアを通して消費されているということだ。なぜ、このようなあまり面白くないことをだらだらと書いていたのかというと、明日こそ政教分離の裁判のことについて、ひとこと文句を書きたいと思っているからだ。。。明日、もしも時間とパワーがあって、他に書きたいことが浮かばなかったら、政教分離の裁判を取り上げたい。

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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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