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タイムトラベルSF映画を簡単にまとめてみた4 シミュレーションとしてのパラレルワールド

 タイムトラベルとパラレルワールドは親和性が高いことは、今まで挙げてきたSF映画やアニメなどを見ていると、よくわかる。ただもともとはパラレルワールドとタイムトラベルは関係のないものだったような気がする。例えば80年代半ばに、『超時空要塞マクロス』というアニメの次にテレビ放映された『超時空世紀オーガス』というアニメがある。このアニメでは時空振動弾という兵器を誤作動させてしまったが故に、多数の平行世界が一つの空間にパッチ上に並存してしまうという現象が起こってしまったという物語設定になっている。『フィラデルフィア・エクスペリメント』のように、その時空を歪める装置の中心にいた主人公が、この時空のゆがみを解消できる鍵になってくるのだが、おもしろいのは、この『オーガス』というアニメでは、平行世界は出てくるが、過去に戻って修正するというようなことは考えられていない。今、久しぶりにこのアニメを見始めたばかりなので、話の内容はまだちゃんと思い出せていないのだが、今見た範囲内でいうと、物語の目的は時空が不安定な状態になってしまっているので、それを安定させるのが最終目標であるということだ。つまり時間という概念はほとんど関係のない事柄である。

 『オーガス』でも時間的な面白さは若干ながら加えられている。主人公と主人公の相棒が時空を飛ばされるわけだが、時空震動弾の誤作動が起こって平行世界が重なってしまってから15年後に主人公の相棒が現れ、それからさらに5年経ってから主人公がその世界に現れたことになっている。主人公には恋人がいたのだが、その恋人は主人公の子を身ごもっていた。で、20年後の世界に飛ばされた主人公は一人前に成長した自分の娘と会うことになる。そういう感じで、主人公とその相棒そして成長した彼の娘という設定に、時間が複雑に絡み合ったタイムトラベルSF的な要素が見て取れると思う。ただ、そういう部分があっても、『ひぐらしのなく頃に』や『涼宮ハルヒの憂鬱』などに見られるパラレルワールドものと大きく違う部分は、『オーガス』ではやり直すことをしない点だ。過去のある時点に戻って(戻らされて)ゲームを再開するというような展開はない。そこが過去を次々と書き直していく『バタフライ・エフェクト』とも違う点だろう。

 『ひぐらしのなく頃に』や『バタフライ・エフェクト』ではパラレルワールドが過去のある時点に戻ってやり直すという物語になっていた。これは『ゲーム的リアリズムの誕生』で東浩紀が述べているように、ゲーム的リアリズムというものだ。従来の小説では物語は一つだった。唯一の物語上を登場人物が動き回るわけで、それ以外の物語では存在することができないはずだった。しかし、漫画やライトノベルなどでは、キャラクターが物語から抜け出して、他の物語に登場することができるようになった。同人誌などの二次創作などである。そのような他の物語においても存在できるためには、キャラクターが物語から独立して存在できていなくてはならない。つまりキャラクターという要素だけがデータベースのようなものに保存され、それが物語とは関係なく消費されていくというデータベース消費という消費行動があって初めてキャラクターたちは、異なる物語に存在できるようになるのだ。そのような異なる物語がパラレルワールドである。

 アドベンチャーゲームのマルチエンディングはパラレルワールドの一つだ。分岐点で選択肢の一つを選ぶと、その後の物語の展開が異なるという感じである。『かまいたちの夜』では、マルチエンディングのシナリオのいくつかはパロディやスパイアクションになっており、本編とはまったく異なる世界が語られている。それでも登場人物が、そのような世界でも存在できる理由は、登場人物のキャラクターがデータベース消費されているからに他ならない。これがゲーム的といわれるゆえんだ。つまり、ゲーム的なキャラクターは、どのような世界でも違和感なく活躍できてしまうのだ。もう一つ例を挙げれば、『ひぐらしのなく頃に礼』というコメディーがある。『ひぐらしのなく頃に』の本編では殺し合いをするほどに敵対関係にあったキャラクターたちが『ひぐらしのなく頃に礼』では、プールで遊んだり、マージャンをしたりする。そのような世界を見ても違和感がない。同人誌ではもっと自由に動き回るのだろう。このようなパラレルワールドの概念は今では違和感なく受け入れることが出来るわけだが、実はマルチエンディング・ゲームが普及したために可能になった世界観なのかもしれない。なぜなら冒頭に挙げた80年代のアニメ『超時空世紀オーガス』におけるパラレルワールドとは、まったく異なる平行世界であって、そこに住む生物は根本的に異なる。同じキャラクターが違った世界を生きているというパラレルワールドではないのだ。

 もちろん同じキャラクターが、平行世界を同時に生きているという設定は昔からあったのも確かだ。例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などは80年代に作られているし、『世にも奇妙な物語』でも、ばりばりのキャリアウーマンが、もし仕事ではなく結婚を選んでいたらどうなっていたかというようなテーマのパラレルワールド的な物語が何度となく作られてきた。人生の分岐点で、あの時ああしていれば、今はどうなっていたのだろうというのは、誰もが考えることだから、このような個人的なパラレルワールドがテーマの物語には昔から共感する人が多かったと思う。ただそのようなパラレルワールドは2つの世界を見るだけであって、『ひぐらしのなく頃に』や『バタフライ・エフェクト』などのように何度も何度も過去を繰り返しているわけではない。そのあたりのループには、やはりゲーム的な思考法が入り込んでいるような気がする。そして、そのような繰り返しはシミュレーション的であるとも言える。

 昨日も言ったように『ひぐらしのなく頃に』では異なる展開になろうとも、同じような結末を迎えてばかりいた。同じようなループの物語として『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメの『エンドレスエイト』という話がある。まず涼宮ハルヒの憂鬱の説明を簡単にしたい。この物語の主人公である涼宮ハルヒは特殊な能力を持っているという設定だ。というか彼女は自覚していないのだが神に近い存在なのである。なぜなら彼女がこの世界を作り出したからだ。まあ簡単に言ったら、この世界が彼女の夢の中の世界だったみたいなものだ。しかし単なる夢の世界と異なる点は、その世界の住人は全員が意志をもって動いているということだ。つまり独立して動くエージェントを組み込んだシミュレーション実験をコンピューターでしているような感じだろう。ある意味『Thirteenth Floor』という映画の世界みたいなものだ。そういうことなので、ハルヒが、こうしたいと無意識に思うと、世界はそうなってしまう。で、宇宙人と未来人と超能力者と遊びたいと彼女が考えたから、宇宙人と未来人と超能力者などが来てしまった。

 『エンドレスエイト』では夏休みが終わって欲しくないとハルヒが考えてしまったので、8月下旬の2週間が繰り返されることになってしまう。そのループを繰り返す中で登場人物たちはデジャブを感じたりして違和感を覚えていき、未来人が未来とコンタクトできなくなったことなどから、自分たちがループにはまり込んでしまっているという状況を知ることになる。そのとき、すべての真相を知っていたのが、情報統合思念体が送り込んだ宇宙人(?)の長門有希という少女であった。彼女はループを最初から認識していた。ただ彼女は観察者として送り込まれており、彼女の役目はハルヒ周辺を観察することだったので、そのループを観察だけしていたのだという。彼女によると15000回近く、つまり2週間の15000回なので200年近くを、ただ一人観察していたのだという。それを聞いた主人公の「きょん」は、長門の孤独の境遇に同情しまくっていた。長門によると15000回近いループの中で、細かい点はいろいろと変化しており、いくつかの変異が見られたらしい。例えばプールに行ったときの水着の種類とか、昆虫採集のとき取れた虫の種類なのである。長門は、それらのデータを淡々と蓄積していたのだ。

 さて、同じ出来事を延々とループしていくということは確かに孤独な世界であろう。その繰り返しを誰かに言っても誰も信じてくれないし、信じてくれたところで、また元に戻ったら、一から説得していかなければならないからだ。しかし、長門が孤独だったのかどうかはよくわからない。シミュレーションという概念で考えてみるならば、むしろ、ループすることは当たり前で、その中の変異を観察し解析するのがシミュレーションを用いた研究者の仕事である。つまり変異が出ている時点で長門は面白いはずだし、そのようなデータ集めは何度もループしてくれないと始まらない。だから、もしループの2回目や3回目で他のメンバーがループしていることを見つけ問題を解決してしまったとしたら、観察者としては、それこそ退屈だったのではないだろうか?と、なんとなく考えてしまった。まあ長門の気持ちを推測してもしょうがないのだが、ここで指摘しておきたい点は『エンドレスエイト』のループがシミュレーションとして見られていたということだ。

 シミュレーションというと、直接は関係ないのだが、なんとなくカオス理論とかを思い起こしてしまう。『バタフライ・エフェクト』では、もちろんその名前からもわかるように、未来がカオス的振る舞いになってしまうということだった。過去のある時点の些細な変化が増幅され大きな変化をもたらしてしまうのだ。一方『エンドレスエイト』では、些細な変化はあっても、物語はほとんど同じ展開を示し、結末もほとんど変わらない世界が延々とループしている。変異は増幅されず、小さな変異のままという線形モデルに近いような展開だ。他方、『ひぐらしのなく頃に』では物語展開は極端に異なるが、大きな流れは変えられない。「強い意志」に導かれるように、一人の少女が必ず殺されるという結末に収束していくのだ。つまり、これらの三つの物語をシミュレーションとして見たならば、大きな変異のないループ(『エンドレスエイト』)、変異は大きいが最終的には一点に収束していくループ(『ひぐらしのなく頃に』)そしてカオスに入ってしまう展開(『バタフライ・エフェクト』)の三つに分けられるのだ!よかった。よかった。だから、なに?みたいなコメントは勘弁してください。実はこれ以上のことは何も考えていないので、これ以上は何も書けません。

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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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