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ネットの匿名性と日本文化

 数日前、「勝間和代vs西村ひろゆき」という動画で、ネットが結構盛り上がっていた。「デキビジ」という番組の録画なのだが、この番組は勝間和代さんが毎週ゲストを呼んで対談するという番組らしい。で、今回は2ちゃんねるの生みの親のひろゆき氏をゲストに呼んで、まずネット上の匿名性について討論を始めた。動画を見た人も多いと思うけど、ひろゆき氏の完勝だったと思う。まあ勝ちとか負けという低レベルの話にしてしまうのはよくないのだが、そもそもそこまで深い議論はなされていなかったわけで。。。なお動画はすごい早さで削除されては、新しい動画がアップされてっているようなので、ここではリンクをはらないが、興味のある人はYouTubeかニコニコ動画で「勝間 ひろゆき」かなんかで検索したらすぐに見つかると思います。

 この動画が注目されている理由はいろいろあるだろうけど、大きな理由の一つとしては、勝ち組の勝間さんが自分の主張に固執するあまりひろゆき氏を罵倒してしまったという失態を演じてしまったという点をあげることができる。まあ、ぶっちゃけ勝間さんへの妬みから、彼女の失態を見てほくそ笑むというか満足したという感情が大きいんじゃないかと思うのよ。まあ他の人がどの程度の人たちなのかわからないから断定は避けたいけど、少なくとも俺の中には、恥ずかしながら、そういう感情があったのは事実だ。で、レベルの低い議論をしている勝間さんを見て、自己満足するというかね。ああ、この人は頭よくないんだと感じて嬉しくなる。ようするに歪んだ感情だ。

 もう一つは、勝間さん自体はどうでもよくて、むしろひろゆき氏を称賛したいってのもあるかもしれない。一部ネットユーザーにとってはひろゆき氏は神みたいなもんだろうし、もしそうならひろゆき氏がリアル世界で(マスコミによれば)成功しまくっている勝間さんをぎゃふんと言わせてくれたことで気分がすっきりするとかね。まあ、いろいろあるんだろうけど、反勝間として楽しんでいる人が多かったんじゃないかな。

 で、この番組では3つのテーマについて議論されているんだけど、その最初の議論が「ネットの匿名性の是非」だった。長い間いろんな人によって議論されてきたテーマなので、真新しいことは言われていなかったのだが、ひろゆき氏の考えだと、ネット上で重要なのはトレースできるかどうかであって、ネット上で匿名であろうが、実名を名乗ろうがどちらもプロバイダーがその人の素性を調べるコストは同じなのだから、別に匿名でいいんじゃないかということだった。確かに名前を名乗っているからといって、それが実名かどうかは調べないと分からないわけで、結局実名を名乗るかどうかは関係なくなる。

 ただこの番組よりかはよっぽど東浩紀さんたちの話の方が本質をついたすごい話をしている。彼らによると、名前や顔を公の場にさらすというのは、本来まったく問題なかったという。なぜなら名前はその人を特定するために存在するわけで、それを隠すのはまったくのナンセンスだからだ。しかし現代では顔も名前も隠そうという方向に動いている。つまり奇妙なことだというのが、彼らの主張である。残念ながら、この番組は討論番組ではないので、問題提起しかなされていないわけだけど、なかなか考えさせられる話をしているので、見ていない人は、ぜひ見てください。



 さて話を「匿名性の問題」に戻すと、匿名性を問題視する人は前から結構いた。例えば、『ウェブ進化論』の著者の梅田望夫さんも、日本の匿名性を日本の悪しき慣習みたいな感じで批判し、アメリカのように実名を堂々と名乗ってこそネット上で有意義な議論ができるということを言っていたわけだ。

 しかし彼らの主張は的を射ているのだろうか?俺からみたら、アメリカ人と日本人の違いは卑怯だとかそういう低レベルの話ではないと思う。むしろアメリカと日本の名前に対する態度の違いに由来しているんじゃないだろうか。

 まずアメリカの状況を見てみよう。アメリカは様々な文化が混ざっているので、とりあえず自分というものを前面に出していかなくてはいけなかった。だから何かを表現するときは、まず名前を出すのが当然になる。なぜなら名乗らないと誰も理解してくれないからだ。異文化の接触においては、行動の背後にある行間を読む行為などは無理なのだ。だからすべて表に出さざるを得ない。さもなければ理解してもらえないのである。このようなメンタリティの延長線上にブログを実名で書くことにつながっていくのだろう。これはアメリカ人が自分の意見に責任を持っているのに対して、日本人が責任を放棄しているということではない。むしろ、その逆なのかもしれない。アメリカ人は自分の手柄を匿名にしたくないだけなのかもしれない。逆に日本人は自分の主張を共有したいというか、自分の存在を前面に出さずに、縁の下の力持ちのように共同体に貢献したいという考えが強いのではないだろうか。

 もう一つ、名前のとらえ方にも違いがあるのではないかと思う。東洋では名前は特別な力を持っていると信じられてきた。中国では実名をさらすことは、呪いをかけられる、とても危険な行為であった。だから実名はなるべく伏せていたという。日本でも言霊という思想がある。言葉には霊力が宿っているという信仰だが、俺は、この言霊信仰と中国の名前に対する態度は同じなのではないかと思っている。

 そう考えるようになったのは構造主義を学んでいたときだ。構造主義の原型は言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールが作り出したのだが、ソシュールの偉業とは言語には二重の恣意性があるということを発見したことだ。二重の恣意性とはなんだろうか。一つ目は名前の恣意性だ。例えば動物の「犬」を「いぬ」と呼ぶ必要はなく、「dog」でもいい。つまり「名前」と、その名前が指し示す「モノ」とには本質的なつながりはなくて、恣意的に選ばれた名前が使われているだけだということである。それでは、もう一つの恣意性とはなんだろうか。それは文節の仕方の恣意性である。つまり「モノ」を分類するときに恣意性があるということだ。例えば、イヌイット(昔のエスキモー)は雪を何種類にも区別しているといわれている。日本人が見たら同じ雪なのに、彼らは別々の名前を与えている。つまり、その分け方というか、線の引き方が日本人と違うのだ。ただ、ここで重要なのは、どちらが正しいということではないという点だ。日本人もイヌイットも恣意的に分割線を引いているにすぎない。

 そもそも世界中の「モノ」のほとんどは連続的に変化している。そういう世界をそのまま見ていたら、カオスでしかない。それを分節することによって人間は世界を理解し、世界を把握することが出きるのだ。つまり恣意的に引いた線によって世界を分節し、それぞれに恣意的な名前を与えることによって世界を理解し把握しているのである。

 もしそうならば、名前を与えるという行為は、その「モノ」を自分の理解の元におく、つまりコントロール下に置くということにつながっていくのではないだろうか。このような考えから、古代中国では、敵に実名を知られることは、敵の支配下になることと同義であると感じられたのではないだろうか。そして、言葉の力を信じるそのような態度は、言霊信仰にも通じているように思われる。ちなみにキリスト教でも神が最初に名前を与えた(んじゃなかったっけ?)。また日本神話でも名前を与えるという行為はとても神聖な行為であったような気がした(←ここらへん、ちょっとあいまいです。ほとんど忘れているし、手元に資料もないもんで。。。)

 このように考えてくると、初対面の相手に自分の名前をさらし、年上の名前も平気で呼び捨てにするアメリカ人は、もちろんそれはフレンドリーで結構なことなのだが、東洋の文化とは異質であるという点は理解しておいてもいいことだろうと思う。もちろんどちらがいいというものではない。ただ「匿名性」を好む日本人のメンタリティには、少なからず「名前」に対する、東洋的な考えが影響している可能性もあるのではないかと思うのだ。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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