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文化復興運動

 アイヌ問題の事に関してはそこまで詳しくないので、一般論の話をさせてもらいます。その中で、少数民族の文化復興に関する自分の考えを書きたいと思います。なので、今回も、ちょっと真面目なネタです。

 少数民族の文化復興運動というのが世界的に注目を集め始めたのは、おそらく70年代以降だと思われる。60年代、アメリカでは黒人差別撤廃の運動が激しくなってきた。その動きはアメリカ先住民などの少数民族の運動につながっていった。

 カナダやニュージーランドでは先住民運動はもっと早くから行われていた。とくにニュージーランドの先住民であるマオリ族とニュージーランド政府との交渉は、極めて早い段階から行われていた。しかし世界的な動きになっていくのは、アメリカの公民権運動や、世界的なポストモダンの流行などが顕著になった、70年代以降であろう。

 さて、異文化を尊重しようというスローガンはおそらくほとんどの人が反対はしないだろうと思う。とくに多様な価値観を尊重するポストモダンが常識になっている現代、自分の文化だけを絶対的なものとして主張するのは自分の無知をさらけ出すことに他ならない。専門的な教育を受けていない普通の人でも異文化を尊重しようと言っているのだから、文化を研究している文化人類学者は異文化を尊重し伝統文化が壊されないように日夜がんばっているものと思うかもしれない。しかし、実は伝統文化が壊されないように見張っていることがいいことなのかどうかは、人類学者の間でも意見がわかれており、まだ解決されていない問題なのだ。異文化を尊重することに反対する人類学者はいない(はずだ)。しかし、近代化をせずに伝統的な生活を送ることがいいことなのかどうかは人類学者の間でも異見の分かれるところなのだ。

 近代化の問題は映画『ラストサムライ』のテーマである。伝統文化を守るべきなのか、それとも近代化するべきなのか。どちらが正しいものなのかは実際のところ、実はよくわからない。従来の人類学者は他の社会にいって、そこで異文化を実践している少数民族を観察してきた。それは現代社会に住む人類学者から見たら、「高貴な野蛮人」と呼ぶにふさわしい、生き生きとした生を全うしている人たちに見えたであろう。また西洋文化とは異なるエキゾチックな文化に興奮し、そのような文化を保持するべきだと感じたかもしれない。近代化の波に押されて近代人が失ってしまった何か大事なものを彼ら現地の人たちは近代化によってまさに失おうとしていたかもしれない。理由は様々だが、人類学者にとっては、伝統文化を守ってほしいと願う気持ちに嘘偽りはなかったと思う。

 しかし、それは大きなお世話かもしれないのだ。彼ら伝統社会に生きる人々にとっては、西洋諸国のように近代化したいのかもしれない。ハリウッド映画は世界の隅々にまで浸透している。彼らはアメリカ人がどのような生活を送っているかということを知ってしまっている。そして、そのような生活に憧れてしまっているのだ。先進国の人間だけが近代化を果たして、伝統社会に生きる人たちは彼らの伝統文化を守らないといけないというのは、先進国に住む人類学者のエゴでしかないだろう。伝統文化はその社会の本質的なものではないのだ。文化は常に変化している。別に今現在の彼らの文化が彼らが何千年も変化させずに守ってきた文化ではないし、これからずっと守らなくてはいけない文化でもない。だから彼らが彼らの文化を守らないといけないという考えは本質主義でしかないし、さらにもっと重要なことは人類学者をはじめとして我々外部の人間が彼らの選択にとやかくいう権利はないのである。彼らが彼らの文化をすべて捨て去り西洋文化をそっくり取り込んだとしても、それは誰も咎めることはできない。

 しかし、と、オレは思う。日本人の人類学者はこのような状況に何か貢献ができるのではないかと思っている。なぜなら日本は世界で唯一、植民地化されずに、(半ば強制的にだが)自ら近代化を推し進めてしまった日本は、はるか150年も前に、すでに近代化の導入と伝統文化の保持というジレンマに悩まされていたからだ。当時は西洋人は西洋文化以外を認めていなかったし、非西洋諸国も西洋文化を崇めてしまっていた。そういう状況にあって、脱亜入欧などというスローガンに見られるように西洋文化を取り入れ西洋人と同化しようとする心情はあったにしろ、現代のグローバル化と伝統文化保持のジレンマを日本社会の中にみることができたような気がする。

 例えば一番わかりやすい例の一つは日本の文字をどうするかという国語学の論争だと思う。明治の初め、中国は西洋列強に植民地にされはじめていた。そのような状況で、中国よりも西洋を見習おうという気運が日本で生まれたのは仕方のないことだった。興味深いのは、そのような時代に、ひらがなやカタカナのみで表記しようとする漢字廃止論者やローマ字表記推進派などが論叢を繰り広げていたことだ。結局、漢字仮名交じりという今に通じる書き方に落ち着いたわけだが、当時の日本人のレベルの高さを物語っているように思う。なぜなら英語やドイツ語を公用語にするわけでもなく、ローマ字表記に走ることもなく、最終的に漢字仮名交じりという極めて妥当な表記法に落ち着いたからだ。同音多義語の多い日本人にとっては、漢字仮名交じりがベストだっただろう。もちろん韓国のハングルのように、ひらがななどで表記することも可能ではあるが、それは弊害も大きいことは韓国の状況を見ているとわかる。

 さらに日本や東アジアがここまで急速に発展した理由の一つに、明治日本における大量の造語が貢献したことが挙げられると思う。西洋文化や技術を学ぶのに、日本人は日本人全員が英語を学ぶんで技術を習得するのではなく、むしろほとんどの概念や単語を日本語(漢字だが)に置き換えてしまうことにより大衆レベルで技術の受容を可能にするという戦略をとった。これは極めて重要な戦略だったと思う。そして日本人が作り出した大量の漢字熟語は韓国や台湾・中国に逆輸入され、それによって彼らも英語を介さずに高等教育を受けることが出来たと思うのだ。

 逆に、今でも東アジア以外の、旧植民地では大学以上の高等教育に必要な概念や単語が英語の借用語でしかないために、英語教育を受けられるエリート以外は、そのような知識体系にアクセスできないといった弊害が生じている。また有能な人材はまず英語を学ばなくてはいけないというハンディを課せられてしまっているのだ。何かに天賦の才を持っていたとしても、語学能力が無ければ認められないというのは、英語圏における天才とはハンディがありすぎるだろう。このような問題を解消するために、中米では高等教育も英語ではなく現地の言葉で学べるようにするというマヤ語復興運動などが展開されているようである。それを日本は150年も前に自力でしかも短期間のうちに完了していたというのは驚きだと思う。

 このように日本はとても特異な存在であるという認識は重要である。これは戦前の日本を肯定しようとして言っているのではない。ただ当時の日本は何のモデルもなく、多様な価値観などはほとんど認めてくれていない西洋諸国と対抗していかないといけなかった。今の北朝鮮のように駆け引きだけで生き延びられるなどという平和な時代ではなかったのだ。そのような緊張した国際情勢のなかで、日本人としてのアイデンティティを無くさないように頑張っていたというのは、実は文化復興運動にも必要なことではないかと思うのだ。

 文化復興運動は自発的な行為であるべきだ。そして、外部の人間がとやかく言える立場にはない。ただし、日本が西洋人と同化することなく、日本という国を保持できたように、少数民族も文化的アイデンティティを保持したいがために文化復興運動を行っているのだ。だからこそ、アメリカ先住民のように、一度はアメリカに同化させられ、自分たちの文化をほとんど忘れてしまっていたとしても、それを復元しようとがんばっているのである。それは決して経済的な繁栄を求めて行っているわけではないのだ。一方、他の少数民族では、伝統文化よりも経済的な裕福さを求めている社会ももちろんある。そのような社会を批判することは外部の人間にはできない。日本が近代化を推し進めた末に現在の日本があるように、他の社会も経済的な繁栄を求めることは、当たり前のことなのだ。そのような伝統社会に対して何ができるのかというのが、オレがいつも考えてきたことだ。まあ結論は出ていないので期待されても困るのだが、もう少しだけ書きたいことがあるので、続きは明日書きます。おそらく。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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