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経済人類学序説2 クラ交易

 昨日は交換行動に人間関係を維持する機能があるということを紹介した。商売というか市場経済というものは、その真逆に存在する。つまり市場経済においては関係性を生じさせずに交換行動をすることを目的とし、そのために交換をその場で完了してしようとする。

 このような市場経済というのは、別に資本主義や貨幣経済とは直接的には関係がない。昔から境内などでは、市(いち)がたち、多くの人たちが交換行動を行ってきた。もちろん市と市場経済は似て非なるものだ。市自体がいつ頃から始まったのかは分からないが、祭りなどの「ハレ」の日に催される市が非日常的空間であったのは確かだろう。つまり、そのような空間における経済活動は単純な市場経済というよりも、むしろ宗教的行為と深い関係がある。今でも祭りで出店を見ていると、普通の空間とは異なる何かを感じるだろう。またおいしくもない焼きそばやたこ焼きを食べたくなったりする。そこでは、買い物をするというよりも、このような独特の空間にいるという感覚の方が重要になっていると思う。それが市が、単純な市場経済と異なるという意味だ。また旅芸人や商人が異人と見られていたというような議論も経済人類学の重要なテーマであるのだが、それは別の機会に書きたい。ここでは、市という市場経済とは異なるが、不特定多数の人間との交換行動が行われる場(その意味では交換行動よりも市場経済に近い場ではあった)というものが昔から存在していたということを強調しておきたい。そして、もう一つ、非市場経済と市場経済の中間的なシステム、つまり人間関係をある程度維持しながら、そこで金銭のやりとりという市場経済に似た関係を作り上げるようなシステムが存在したのではないかということを確認しておきたい。なんでこんなことを確認しておきたいと言うかというと、実は、今朝、そのような事例を偶然思いついたからだ。だから深い意味はあまりない(笑)。

 オレは子供のころ、お気に入りの薬があったのだが、家では、その薬を富山の薬と呼んでいた。実は、当時(70年代後半から80年代前半だが)、オレの家には富山の薬売りが来ていたのだ。オレの家は神奈川にあるのだが、富山の薬売りの人は、数ヶ月か半年おきぐらい(だと思う)に家を尋ねてきて、薬箱の中をチェックする。で、使った分だけの料金を請求し、新しい薬を補充して、帰っていった。

 どのようにして富山の薬売りがオレの家にくるようになったのか、いつ頃こなくなったのかは知らないが、いつも同じ人がオレの家に来ていたような気がする。つまりオレの家と契約を結んでいたのだと思う。契約といっても契約書があったわけではなく、ただ信用だけで成り立っていたんだと思う。信用で商売のパートナー関係を結んでいたのだ。もちろん、富山の薬売りの人も、誰とでもパートナー関係を結んでいたとは思えない。オレの家は昔からあったし、曾祖母の代は店も開いていたので、薬の代金を払わずに、ある日突然いなくなるというリスクが少ない家だったと思われる。そういう家とだけ関係を結んでいたのではないだろうか。ただ、そうであっても、このシステムの興味深いところは、パートナー関係を結ぶことによって、お金の受け渡しをする商売でありながら、ある程度、人間関係も維持する商売だったという点だ。そこが普通の市場経済とは異なるシステムに見えるのだ。なお、富山の薬売りの存在も、異人やまれびと信仰などと関連付けて解釈することもできるかもしれないが、その話も、また今度に譲りたい。

 さて、このようなパートナーを対象にした商売というものを見ていると、人類学における有名な交易が思い出される。それはクラ交易と呼ばれているものだ。クラ交易とは、メラネシアのトロブリアンド諸島における交易である。いくつかの島が交易網に組み込まれており、その島の男たちはカヌーを使って近隣の島に行き、交易をしてくるのだ。近隣の島といっても、カヌーの航海はもちろん危険が付きまとう命がけの航海である。

 クラ交易で取引されるモノは貝の腕輪と貝のネックレスである。これらの品が人づたいにどんどん島を渡っていくわけだが、島は円形のようなネットワークを形成しており(実際はもっと複雑だけど、とりあえず円形になっていると考えてください)、貝の腕輪は反時計回り、貝のネックレスは時計まわりで受け渡されていく。

 クラ交易に参加する男たちは、近隣の島にクラ交易のパートナーを何人か持っている。そして、そのパートナーが島を訪れてきたり、自分がパートナーの島にいって取引をするわけだが、ネックレスを受け取ったら、返礼に腕輪を返す。腕輪を受け取ったら、ネックレスを返す。これによって、ネックレスと腕輪は逆方向に回っていくわけだ。またクラ交易では、その場で取引を完了するわけではなく、ある一定期間をおいてから返礼する。

 さて、このクラ交易は人類学の教科書には必ず載っているとても有名な交易で、人類学部の一年生でも知っているはずのものなのだが、この交易が注目される理由は、クラ交易が市場経済とは異なった原理で行われているからだ。何が独特かというと、まず値切り交渉がない。というか値切り交渉ができない。相手が返礼として何を返してこようが、こちらは何も言えないし、言ってはいけない。もちろん、現地の人が経済感覚がないわけではない。実はクラ交易とは別に、値切り交渉をする場が用意され、日用品などが交換される。ただ、クラ交易の交換においては値切り交渉をしてはいけないことになっている。このような話を聞くとちょっと変に思うかもしれないが、実は同じような感覚は我々も持っている。友達にお金を借りたときには利子などは請求しないだろう。ご飯をおごってあげたお礼に、友達がご飯をおごってれることになったとき、自分がおごったご飯よりも、100円や200円安いとか高いといったことを考える人はあまりいない。なぜなら、ケチと思われたくないからだ。

 クラ交易の興味深い点の二つ目は、クラ交易で交換されているネックレスや腕輪は誰も所有できないということだ。どんなに価値を認めても、交易のパートナーが来たら手放さないといけない。コレクターのように自分の家の倉庫にしまいこんで、夜な夜なそれを眺めて、にたーっと悦に浸るなんてことは出来ないのだ。ちなみに、今の中学生とか高校生とかはわからないが、所有しないと落ち着かないという感覚は、ある年齢以上の人には共通の感覚だろうと思う。ただ、クラ交易の腕輪やネックレスというのは、実は優勝トロフィーに似た感じだと考えるとわかりやすい。優勝トロフィーも一定期間所持したら、次の大会で手放さなくてはいけなくなる(また優勝すれば別だが)。しかし一定期間持っているということが名誉なことであり、それに喜びを覚えるのだ。

 クラ交易が興味深い三点目としては、そのネックレスと腕輪の価値が、その物の価値だけではないということだ。もちろん素材や形状で価値が高くなることもあるようだが、ネックレスと腕輪には、素材や、そのものの価値以上に、もっと本質的で重要な価値が付与されていく。それは物語だ。クラ交易は極めて危険な航海によって受け渡されていく。その過程で様々な物語が語られる。そのような物語が古くて価値のあるネックレスや腕輪には付与されていくのだ。だから、きらびやかで高価な素材を使った新品ネックレスよりも、多くの人たちの手を渡ってきたネックレスの方が、多くの物語を持っており、それだけ価値が高いと見なされている。これも優勝トロフィーと似たところがあるだろう。優勝トロフィーも様々な物語が付与されているのではないだろうか?素晴らしいプレーや名勝負などの物語が付与されて、トロフィーの価値を高め、それが試合の価値も高める。去年から始まった大会よりも、100年の歴史のある大会の方が価値がある。だから新しい大会の新品のトロフィーは綺麗だが、あまり価値はないのだ。同じように、クラ交易の命がけの航海などの武勇伝は腕輪やネックレスの価値を高め、クラ交易の価値を高め、そして、そのようなものを所持している者は名誉を得る。ちなみに、古代社会では威信財と呼ばれる様々なモノが交換されていたわけだが、クラ交易は、そのような威信財交易がどのように行われていたかというヒントを与えてくれている。

 このようにクラ交易は交換行動の特異性を我々に教えてくれている。人間社会ではこのような交換行動と損得勘定を交えた経済活動の二つのコンビネーションが基本であったと思われる。ただ市のような不特定多数を相手にした経済活動の場が登場してくる以前は、交易パートナーをもち、彼らや彼らの一族と関係性を維持しながら、様々なものを交換していたと思われる。

 構造主義人類学者のレヴィ=ストロースは、交換活動が人間同士の関係性を維持するために役に立っているということに注目し、外部の社会との関係性を維持するために必要だから、近親相姦のタブーが生じたのだと考えた。これが有名な「女性の交換」というアイデアだ。当時のフェミニストは、この女性の交換という考えにヒステリックに反応したわけだが、レヴィ=ストロースは別に女性を物扱いしていたわけではない。ただ、婚姻関係というのは二つの家族や親族の関係を強化することが目的であり、父系制社会では、女性がそのような交換財としての役割をになっているように見えるといっただけである。

 ここで重要なのは、むしろ婚姻関係が交換行動として解釈できるという点だ。結婚という社会活動と交換という経済活動は一見関係のない二つの社会活動に見える。しかし、実はこの二つの活動は重なっており、二つを単純に異なる活動として扱うことは出来ないということなのだ。これは結婚という活動だけではない。例えば供え物という宗教的活動もまた神との交換行動であり、政治においても経済活動が深く関わっているからだ。つまり人間活動というものは、宗教や経済、政治などの活動を厳密に分けることはできない。すべては密接に関わりあっていて、見方によっては宗教的活動に見える活動が、他の視点からみたら経済活動に見えるといったことがあるのだ。だから、経済や政治といったものを取り出してきて研究しても、その活動を理解したことにはならない。社会や人間活動を理解するためには社会活動を分割するのではなく、一個の総体として見るような、ホーリスティックな視点が必要だということなのである。このような視点を与えてくれたのも、「経済人類学」の著者の栗本さんに言わせると、実は経済人類学の成果なのだという。ということで、次回は政治と経済の関わりということで、再分配とポトラッチについて見てみたい。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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