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イルカ漁を考える

 今日の朝日新聞を読んでいたら、あの太地町のイルカ漁を批判的にとりあげた「Cove」という映画が市民団体の手によって中止に追い込まれたという記事が載っていた。記事ではご丁寧にも市民団体の名前を出して、あたかも右翼団体にちかい団体であるような印象操作を行っていた。まあ、そこは今日の論点ではない。その記事を読んで、ちょっと気になったので、ツイッターで検索を書けたら、英語の呟きがいくつかでてきた。「COVE」を中止に追い込んだ一部日本人をけなすようなコメントが多かった。そういうわけで、今日はこのことについて、簡単にではあるが、改めて考えてみたいと思う。

 イルカの殺されるシーンを見て、それをかわいそうと思わない日本人は、おろらくあまりいないと思う。それはイルカだけに限ったことではない。牛や豚も殺されるシーンというのは見たくないものだ。サモアで発掘調査をしていたとき、村の人がパーティーを開いてくれて、そのとき豚を1頭まるまる料理して出してくれたのだが、休日だったこともあり、俺と同僚は昼間から、料理小屋のあたりでしゃべったり、支度を手伝ったりしていた。で、豚を殺すところに立ち会ったわけだが、現代人にとってはやはり見ているのはつらいものだった。まあ、バケツに水を入れて、そこに頭を押し付けて殺すので、そこまで苦しまずに殺してしまうのだが、それでも、大型生物を殺して食べるというのは、見ていると、やはり抵抗を感じる。しかし近代以前はどの社会でもこういう風景は日常生活に入り込んでいたわけだし、それを動物を殺さなければ生きていけないのだから仕方がない。だから、動物がかわいそうという罪の意識を感じるよりも、我々のために命を捧げてくれてありがとうというような感謝の気持ちを感じるようになるのは当たり前のことだったと思う。それが身勝手な解釈だと断罪するのは容易い。しかし、それが現実なのだ。そして、そのような身勝手なロジックは文化によって組み立てられた。

 よくあるロジックは、神が人間のために動物を使わせてくれたとか、動物が人間のために肉体を提供してくれたという考えだ。神様とか動物の魂はどこか異界にあって、人間のためにこの世界に現れてくれる。だから感謝しながら動物を食べ、その魂を霊界に帰すことによって、また次のときに動物の魂は肉体をもってこの世界に戻ってくる。というような考えである。アメリカ先住民とかアイヌなどで顕著に見られる世界観だが、世界中いろいろなところで、そのような考えがあった。

 それでは、このようなロジックをつかって感謝の対象になるような動物とはどのような動物だろうか?熊なのか、それとも牛なのか。イルカやクジラなのか。実は、その対象も文化によって大きく異なるだろう。アメリカでは牛を平気で食べるが、ヒンドゥー教社会では牛は食べてはいけない。(ちなみにマーヴィン・ハリスという人類学者は牛を食べない理由を環境などの要因として、牛を食べないことが社会にとって得策だから食べなかったというとても興味深い説明をしている。一般受けする説明ではあるが、実はマーヴィンハリスは環境要因にすべてを帰するため、また解釈ではなく説明重視なために、文化人類学者のなかでは少し浮いた存在になってしまっている。一概に環境要因なのか、それとも宗教体系が先に出来上がったのかは定かではない。)同様にイスラム教徒は豚を食ってはいけないという。そこには彼らなりの論理が存在する。しかし、その論理はもちろん不変的な論理ではないし、他の社会が従うべきものではない。それぞれの文化は、世界を恣意的に分節し、それによって世界に秩序を与える。ある社会では食べていいものが、他の社会では食べてはいけないものになり、その逆も真なのだ。そこには絶対の真理はない。極端な話、それはカニバリズムまで正当化してしまう可能性もある。

 例えば、アステカ帝国ではカニバリズム(食人)の風習があったといわれる。実はアステカにカニバリズムの風習があったのかどうかもまだ議論の余地はあるのだが、ただあったとして話を進めよう。ここで紹介したいのは、アステカのカニバリズムに関して、興味深い話を聞いたことがあったからだ。アステカ帝国は絶えず近隣部族に戦争をしかけていたわけだが、なぜか領土を拡大するということをしなかったのだ。戦争で奴隷を捕まえてきても、なぜ領土を広げようとしなかったのか。次のような説明をする研究者がいる。アステカ帝国が近隣部族を打ち負かし、その領域もアステカ帝国に組み込んでしまうと、その打ち負かした部族の人間も、アステカ帝国の人間になってしまう。そうすると、アステカ帝国の人たちは、自分たちの仲間を食べる食人族になってしまう。だから、彼らをアステカ帝国に組み入れてはいけなかったのではないかという解釈である。つまり、アステカ帝国に組み入れなければ、近隣部族の人間は、人間ではないから食べれるのだという。この解釈がどの程度信頼できるものなのかわからないが、アメリカ先住民では、よく自分たちのことを「人間」という言葉で表現する社会が多くある。それらの社会では、別に食人風習があるわけではないのだが、ただ、アメリカ先住民社会の傾向として、自分たち「人間」と「人間ではないもの」という区分があったと考えられる。

 このような区分はアメリカ先住民社会に限ったことではなくて、例えばミクロネシアのポーンペイ島でも同じような区分があるし、日本でも異人などに顕著に見られる。つまり自分たちの社会の成員と、外部の成員は異なるという考えだ。外部から訪れてくる人間は旅芸人や漂白民(しばしば異人やマレビトと呼ばれるが)だが、彼らは特殊な知識や技能、または異国の道具を持っていた。彼らは新しい智恵や福をもたらしてくれると同時に、災いをもたらすものとして畏怖される存在でもあった。つまり異人とは両義的な存在だったのだ。だからこそ、彼らは共同体内部の人間たちとは異なる人間であって人間ではない存在だったである。

 まあ、そういうわけで、ここで何がいいたいかというと、世界を分節する仕方というのは文化に強く規定されており、それは食べていいものと食べてはいけないものなどの分類にも深くかかわってくる。さらに、自然や自らの命を提供してくれる動物たちに感謝するというような宗教体系なども深く関与してくる。そのような文化を抜きにして、何を食べていいのか、何を食べてはいけないのかというようなことを議論しても意味がない。単に、どこかの社会の価値観を押し付けていることにしかならないだろう。

 イルカやクジラを食うなと言っているアメリカ人は、イスラム教徒やヒンドゥー教徒に牛や豚を食うなといわれる状況を考えるべきだ。イスラム教徒やヒンドゥー教徒に、豚や牛を食うなと言われて、アメリカ人が明日から食べるのをやめるというのならば、日本人もイルカ漁をやめることを考えてもいい。しかし、おそらく、アメリカ人は、そんな理不尽な要求を受け入れるはずがない。アメリカ人はここぞとばかりに文化相対主義を出すだろう。そして、その判断は正しい。なぜならば、そこには絶対の基準は無いからだ。ならば、同じ論理で、日本人がイルカやクジラを食べるということを非難される筋合いはないのである。

 もちろん、日本人が自らイルカ漁をやめると決めるのならば、それに反対するつもりはない。イルカが、かわいそうだからという安易な理由でもいいと思う。ただし、アメリカ人が言っているからとか、西洋文化ではそんな野蛮なことをしていないからとか、イルカ漁は前近代的な伝統文化だからというような意味不明な理由では納得できない。日本文化は変化していくべきだが、その変化の担い手は日本人であるべきだ。そしてそのためには、主体である日本人が、日本文化をよく理解し、西洋文化を十分相対化した上で、西洋文化を日本文化に取り入れることによって日本文化を変化させていくべきなのだ。。西洋文化を相対化せずに、単純に受容してしまったら、西洋の猿真似しかできず、結果的に日本文化を破壊するだけだろう。戦後65年あまり、そのような失敗を続けてきてしまったが、そろそろ日本文化をどのように変化させていくかということを本気で考えていくべき時だと思う。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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