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タイガーマスクの寄付の連鎖と日本的優しさ

 よくテレビとかで暗いニュースばかりで申し訳ありませんとかいうけれど、ニュースというのは暗い話が多くなるのは当たり前だと思っている。特に社会面なんてのは事件や事故が主なネタなんだから、明るいニュースになるはずがない。テレビでは番組の最後に、明るいニュースですとか言って、世界のくだらないニュースを時々流すが、それがまた悲しいほどに寒い。と、ひねくれものの私などは感じてしまう。だって、例えば、世界のどっかの国のただの犬が一匹助かったところで私の知ったことじゃないだろう。そういうニュースを垂れ流されても、別に害にはならないが、その程度のニュースを聞かされただけで心があったまるほど私の心は純粋でもない。しかし、最近、そんな私でも嬉しくなるニュースがある。それは、最近日本を賑わしはじめている、タイガーマスクを真似た寄付の連鎖だ。

 私がなんで嬉しくなるかというと、実は「寄付というのはキリスト教社会である西洋でしか起こり得なくて、けちな日本人は寄付なんてしない」というような意味不明な言説を何度か見たり聞いたりしていたからだ。挙句の果てには、「日本人は他人の事などまったく考えない自己中民族だ。だから寄付などしないんだ」などというようなことを平気で言っていた日本人もいた(どこで誰が言っていたかは思い出せないが)。そういう言説に出会うたびに、違和感を覚え、嫌な気分になっていた。

 寄付の話で私を苛立たせていたのは、この日本には寄付が無いと得意げに言っている人のほとんどが、西洋やアメリカ一辺倒の奴隷根性丸出しのように見えたからだ。西洋を崇拝しまくっている、このような人たちは、一般人から有名な知識人まで、日本は寄付という文化が根付いていない遅れた社会だと信じたいのだろう。彼らはたぶん寄付をしようなどとは、露ほども考えたことのないケチで、さもしい心の持ち主なのだろうとは思う。その点では、そういうあさましい日本人がいるという証拠にはなっているのだろうが、だからといって彼らの卑しさを日本人の特徴として一般化しないで欲しいものだと常々考えていた。

 キリスト教社会の方が寄付の精神が若干強いのかもしれないが、日本にも布施や寄進というものが存在していた。そもそも前近代社会で、相互扶助の精神がない社会などというものはあり得ない。だから西洋と日本のどちらが寄付の精神が根付いていたかなんてことは、比べることからして馬鹿っぽいように思う。日本に寄付の文化が根付いていなかったという言説は怪しいだろう。私はアメリカの寄付と日本の寄付の違いは寄付をしたことのアピールの仕方の違いではないかと思っている。なお、先に断っておきたいが、西洋と言っても私はヨーロッパを知らないので、アメリカを中心に語りたい。ヨーロッパ社会はアメリカと違って、もっと成熟した文化の社会であるらしい。

 アメリカの大企業や大富豪は確かに寄付が好きだ。ある意味、お金を持っている人たちは、お金を持っていない人達に施しをして社会に貢献しなければいけないというキリスト教や騎士道精神が根底にあるのかもしれない。またイギリス植民地の時代から開拓時代にかけて危険に満ちた見知らぬ土地で生活していったわけだから、地域住民の助け合いの精神は強かった。だからアメリカ人というのは基本的に助け合う精神が強いのは確かだ。

 しかし、寄付を語る上で、もう一つ重要な点は、アメリカ人は寄付を公にしているケースが多いということだ。単に寄付をするわけではなくて、寄付をすることで名声を得ているように見える。個人でも会社でも寄付することによって社会に貢献したとアピールすれば、好感度がアップする。イメージアップの一環として寄付しているのではないだろうか。アメリカではそのような下心があるかもしれない行為でも評価される。結果オーライなところがある。本当に困っている人たちにとっては、寄付してくれる人がどのような思惑で寄付してくれようと、どうでもいいことだから、ある意味、変なプライドで寄付をしないよりも、いいことなのかもしれない。

 しかし日本人はそうはいかない。そのような下心丸出しの方法はとりたくないと思うのではないだろうか。それが寄付を敬遠しがちな社会にしているように思う。だからといって、日本人は寄付しないわけではないし、他人の事をまったく考えない卑しい人間ではもちろんない。むしろ他人の事を考えるからこそ、おおっぴらに寄付できないだけだ。しかし、例えば、1990年代後半、北朝鮮拉致事件がまだ「拉致疑惑」だと朝日新聞などでは呼ばれていた頃、拉致被害者を救いたいと考えている人たちが、アメリカの世論を動かそうとタイム誌やニューズウィーク誌に一ページ全面広告を出すからと寄付を募ったことがあった。確か、多くの人たちが寄付をしたと思う。もう一つの例としては、先日の宮崎県の口蹄疫被害で、寄付を募っていて多くの人が寄付をした。これらの例では、誰がどのくらい寄付をしたのかはわからない。しかし、だからこそ多くの人が寄付してくれたんじゃないかと思う。今回のタイガーマスクの件にしても、最初の人が、もしも自分の名前を出して寄付したのであれば、真似をする人は出てこなかったように思う。自分の名前を出さず、むしろ出さないが故に、寄付の連鎖が始まっているのではないか。他人に認められなくても、寄付をしたという行為を自分や家族が知っているだけで十分だと考えているんじゃないだろうか。それこそが日本的寄付の仕方なんじゃないだろうか。そして、そのような崇高な精神によって行われるのが本物の寄付なのではないかと思う。

 最近は他人のことを気にもかけない自己中心的な日本人が増えたという。確かに我も我もというような個人主義の社会に変貌してきてしまっているような雰囲気は感じる。特に都市部を歩いていると、日本人も変わってきたなと感じることが多くなった。ただ、心優しい日本人が多くいるのも確かだ。寄付に限らず、電車の中で席を譲りたいと思ってる人や、道端で困っている人を助けてあげようかなと思っている人は多いはずだ。本当に困っていたら、さりげなく助けてあげようと考えている人も多いだろう。そういう日本的な目立たない優しさはとてもいいことだ。グローバル化した社会では自分をどんどんアピールしていかないといけないという人も多いが、人助けまで自己主張の一部と化してしまっているような薄っぺらい社会にだけは住みたくない。私が、タイガーマスクの話を聞いて嬉しくなったのは、日本的なやさしさがまだ忘れられていなかったということを思い出させてくれたからだ。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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