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人の幸せ(前編)

 私は大学の頃パチンコにはまっていた。で、一時期本気でパチプロ目指していた時期もあった。ゴト師と呼ばれるような不正行為はしたことがないが、パチンコやパチスロの必勝法をいろいろ考えていた。

 その頃の私は動物行動学や数理生物学を勉強していたので、パチンコに応用できないかといろいろ考えていた。例えばパチンコの台を一つのパッチ(餌が集まっている場所。例えば木にいる虫を食べる鳥を考えた場合、一本一本の木をパッチをみなすことができる。また虫が多い木もあれば、少ない木もある。このように、パッチにある餌の量は同じではない)とみなし、出球を餌と考えると、動物が効率的に餌をとる方法の最適採餌理論が使える(と信じていた)。最適採餌理論では、動物は餌のパッチで、どの程度粘ればいいかをモデルにしている。自然の中ではパッチに含まれる餌は不均等に分布している。だから餌が沢山あるパッチでは、長い時間そこに滞在して餌を探すほうがいいだろう。しかし、いくら沢山餌がある場所でも、無尽蔵にあるわけではない。餌をとっていけば、それだけ餌は見つけにくくなる。どこかの時点で他のパッチに移ったほうが、餌を見つけやすくなるはずだ。しかしここに問題が一つある。それは餌をとっている動物は、そこに餌がどの程度残っているかをはっきり知ることが出来ないということだ。例えば、今、餌が見つからなかったとする。しかし、それはパッチに餌がまったく無いということを意味しているわけではない。餌はまだ沢山あるのに、偶然、餌を見つけられずにいるだけかもしれない。逆に、長時間、粘ってみて、やっと餌がほとんど無いということに気がつくかもしれない。餌があるか無いかということを、短時間で、局所的な条件から判断するのは容易ではない。それでは動物達はどのようにしてこのような問題を対処しているのだろうか?

 何を基準に新しいパッチに移るタイミングを決定しているのか。動物行動学ではその基準を理解するために、3つの仮説モデルを立てて検証した。一つはパッチに餌がどの程度あるかは考えずに、一定量の餌をとったら機械的に次のパッチに移ってしまうというモデル。もう一つは一定時間滞在したら、餌が取れても取れなくても次のパッチに移るというモデル。二つのモデルは極めて単純であり、実用的ではない。今、もし仮に、餌がまったく無いパッチに来たとする。餌を一定量とるまで滞在しなくてはいけない2番目のモデルを採用している動物は、そのパッチに餌がまったく無いわけだから、他のパッチに動くためのノルマを達成できず、結果いつまでもその餌のないパッチに滞在しなくてはいけなくなってしまう。逆に、餌が極めて豊富にある場合はどうだろうか。餌が十分にあるため、余分なエネルギーを使って他のパッチに餌を探しにいくよりも、そのパッチに残って餌を採るほうが有利であることは明らかだ。しかし、滞在時間を機械的に決めていたり、一定量の餌をとったら動いてしまうモデルでは、ある量の餌をとったら、残りの豊富な餌を無視して他のパッチにいくことになってしまう。餌が取れているので餓死する危険性は無いのだが、どう見ても賢い選択とはいえない。そこで三番目のモデルが考えられた。三番目は一定時間内に一定量の餌がとれなくなったら次のパッチに移るというモデルだったと思う(←ここはちゃんと思い出せていないので間違っているかもしれない。詳しくは数理生物学の本とかを見てください)。ここではパッチの餌の取れ方によって、そのパッチがいい餌場か悪い餌場かを判断し、それによって他の餌場に移るかどうかを決定している。

 話をパチンコに戻そう。パチンコでは勝つか負けるかというのは台の良し悪しによって決まる。しかしその台で玉が出るかどうかということを知ることはできない。台をある程度打ってみて、球が出そうかどうかということを判断しなくてはいけない。また玉が出ても、それがいつまで続くかわからない。問題はどの時点で他の台に移るかということだ。つまりパチンコに勝つためのモデルは最適採餌理論とまったく同じ問題なのだ。そして、動物達が取っている戦略、つまり3つ目のモデルを使って台を移れば理論的には勝てるはずなのだ。。。と信じていた。今でも私の考えは正しいと思っている。ちなみに、パチンコに勝てないのは、このモデルがいけないのではなくて、欲を出しすぎて、このモデルみたいに機械的にスパッと他の台に移れないのが理由だ。まあ、しかしパチンコは打たないにこしたことはない。

 さて私がパチンコの話を始めたのは、パチンコの宣伝をしたいわけではない。(ちなみに私の願いはパチンコの完全廃止だ。)ここでパチンコの話を引き合いに出したのは、人の幸せを考える上でパチンコをしていたときのことが役に立つと思ったからだ。パチンコというのは実は楽しくない。もちろん遊びでやっている人たちはいいだろう。ただ、本気で勝ちに行くなら、これほどつらいものはない。例えば、私は、1ヶ月ぐらい勝ち続け、部屋のたんすには常に40万か50万円入っているというときがあった。他の人が聞いたら大金持ちだと思うだろう。しかし、実際にはそのお金は使えない。なぜなら、これらのお金は次の日のパチンコの軍資金になるからだ。今日の一万円が明日には三万円になるかもしれないと思ったら使えないだろう。だから実際にはパチンコとは勝っても勝ってもお金を使えないのだ。有名な社会学者マックス・ウェーバーは神に与えられた仕事を黙々とこなし、倹約に努めたプロテスタントが結果的に富を築いていったと考えた。つまり資本主義が西洋で発達した理由はプロテスタントの倫理によると考えた。同じことがパチンコにも言えるだろう。パチンコを本気でしているものたちは、倹約家で買うものといったらジョージアとコンビニ弁当とタバコぐらいのものだ。その他のものは買わない。いや、買えない。無駄な出費でリーチ目が出たのにお金がなくて大当たりを逃したなどという失態を演じては死ぬに死ねない。だからお金はすべて持っている。もう一つ、閉店までにいかに台をまわすかということも重要だ。だから、ひたすらパチンコを打つ。休憩を取ってご飯を食べに行くなどというのは言語道断。連荘の途中で閉店の曲が流れたなんてことがないように、黙々と打つべきなのだ。

 こうして、パチンコに勝ったとしても、そこにはあまり喜びはない。もちろん勝ったら嬉しい。大当たりが来るかどうかという緊張感を味わうこともできる。しかし、そのようなつかの間の喜び以外には何もない。お金を持ったとしても使えない倹約の精神。台を打ち続けないといけないという強迫観念。そのような精神を感じながら、唯一の楽しみは家に帰ってきて札束を数えることぐらいか。。。もちろん、これは勝っているときの話だ。多くの場合は、勝てずにいる。負けたときはひどいものだ。しかし、勝っているときも、幸せではないということをいいたかったのだ。

 なぜ幸せではないのだろう。それは、勝っているときも、明日勝てるという保障がどこにもないからだ。コンスタントにお金が入るという保障がない。毎日勝ち続けるためには、お金をほとんどすべてパチンコのために取っておかなければいけない。勝っても使えないお金。そんなお金に何の価値があるのだろうか?そんな生活に何の意味があるのだろうか?明日が保障されていない生活ほど疲れるものはない。勝っていても、幸せなど、そこには存在しない。大当たりを引いたときに興奮はあるが、そんな興奮は半日もしたら思い出せなくなっている。残るのは倹約と台を打ち続けないといけないという強迫観念だけだ。

 もちろん負けるときの方が多い。そしてそれは勝っているときより悲惨だ。いかに勝つかではなく、負けをいかに減らすか。それがパチンコを楽しむためにコツなのかもしれない。パチンコを打っている人たちはいろいろな試みをする。おまじないから統計理論(もどき)まで、勝つための智恵が蓄積されていく。もちろん、もっと実践的な対処法もある。一つは不正に玉を出してしまうゴト師と呼ばれる人たちの方法だ。もう一つは、負けのリスクを拡散するために、互助集団を作るというやり方だ。互助集団では、仲間全員の勝ちと負けをトータルして利益を出す方法だ。複数人で打つことにより、いい台にあたる確率を高めることができる。もちろん悪い台にあたる確率も高くなるが、一つの台に使えるお金の量を決めておけば、負けは最低限の損失で抑えることが出来るだろう。つまり互助集団は極めて有効な手段だと思われる。一つだけ問題があるとすれば、大勝ちした人が大負けした人に自分の勝ち分を持っていかれるということだろう。交互に勝ったり負けたりしているときはいいが、ある人が負け続けて集団に貢献できなかったとき、不満が噴出してくる可能性が考えられる。

 パチンコの必勝法はなんですかと、今聞かれたら、私には一つの簡単な答えがある。それは数理モデルの必勝法でも、互助集団をつくることでも、不正なゴト行為をすることでもない。パチンコをしないこと。これが私の答えだ。パチンコをしていたときは気がつかなかった。パチンコをしていたときは、パチンコをすることが当たり前だと思っていたから、パチンコをするという前提でもって、その中で最良の方法は何をすべきかと考えていた。しかし、パチンコの無い社会に住んでみてわかったのは、パチンコをしないのが一番幸せなことなのだ。

 同じことは資本主義でも言えるのではないだろうか。何を唐突にと思われるかも知れないが、昔、映画で株の売買をしている金持ちが出てくるシーンを見ていたときに、それってパチンコと一緒じゃんと思ったことがあった。その株を売買している人も、一分一秒無駄に出来ずにコンピューターの画面にしがみついて株の上がり下がりをチェックしている。ほとんど病気だ。株だけではない。前にも言ったように資本主義で成功する精神とは勤勉さと倹約である。パチンコと同じような状況がいたるところに見られてもおかしくはない。

 パチンコではつかの間の喜びを大当たりの興奮で味わっていた。現代社会では、何かを買ったり消費したりすることで、つかの間の喜びを得ている。しかし、それは人の幸せに直結する喜びではない。もっと動物的で刹那的な喜びでしかない。幸福度調査などでは、今の日本人は幸せを感じることが出来ずにいるらしい。当然なのかもしれない。日本や先進国では幸せの本質を見誤っているのだから。

 それでは、本当の幸せとはなんだろうか?と、ここまで書いてきたら、ちょっと疲れてきたので、続きは次回に書きます。書くことはだいたい決まっているので、すぐに続きを書いてアップしたいのですが、明日からちょっと忙しいので、次回のアップはおそらく数日後になると思います。すいません。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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