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災害非常時にツイッターは本当に有効か? 前編

 今回の大震災で驚いたのは、公的機関やマスメディアなどが積極的にネットを活用し情報を発信したことだった。特にツイッターで緊急情報を発信しているところが多かったように思う。サーバーがダウンして自分のホームページから情報を発信できない公共機関などが、ツイッターで情報を発信した一方、テレビ局などもテレビやラジオにアクセスできない人のために、ツイッターやニコニコ動画、ユーストリームなどネット上でテレビのニュース番組を配信していた。被災した方達がどのような状況に置かれているのかわからない中で、あらゆる媒体を通して情報を発信していったのは的確な判断だったと思う。

 さて誤解がないように最初にお断りしておきたいことは、災害などの緊急事態でツイッターなどに過度に依存するべきではないということを今回私は述べたいと思っているが、マスコミや官公庁など国民に知らせるべき情報を発信する場としてのネットの役割を否定するつもりはないということである。緊急時においては、二次災害などの被害を最小限に抑え、国民の不安を取り除き、社会的混乱を避けるためにも、きちんとした情報が国民に伝えられるべきである。そのためには、なるべく多くの国民が一次情報にアクセスできる状態を作り出すのが情報発信者の責務であろう。現在ではテレビやラジオに加えてインターネットという強力な情報発信媒体を我々は持っている。これらの媒体をフルに活用することで一人でも多くの人に正確な情報が伝えることができ、それによって一人でも多くの人が救われるのならば、それに越したことはない。だから公的機関やマスコミが災害情報の発信にインターネットを積極的に使うようになったことは歓迎するべきことだ。

 ただし一般の人たちのツイッターの情報発信が、災害時に本当に有効であるのかということは議論の余地が残されていると思う。災害時におけるツイッターの利用に関しては、前からその危険性が指摘されてきた。例えば、昨年春のチリ大地震では、原口議員がツイッター上で津波情報などを発信し問題視された。ちなみに、原口議員の災害情報発信の問題に関しては、私もこのブログで3回ほど書いたことがある。当時はアカウントを持っているだけでツイッターはほとんど利用していなかったこともあってツイッター自体を否定的に見ていた気もするが、今読み返してみても全体的な考えは変わっていないので、興味のある方は読んでみてください。

  • ネット上の情報を考える(前編) 原口大臣がツイッターで津波情報を流した問題

  • ネット上の情報を考える(後編)

  • ネットとジャーナリズム


  •  さて昨年まではネットやツイッターの信頼性に関して極めて懐疑的であったテレビ局や新聞社などの日本のマスメディアが、今回はツイッターなどの危険性をほとんど問題視せずにむしろ積極的に利用しようとしている点は非常に興味深い。おそらくこの一年でマスメディア内部の意見が相当変わってきたのだろう。書店に行けばツイッターやフェイスブックといったSNSに関する本が溢れ返っており、新聞や雑誌、テレビなどでもSNSの特集が何度も組まれていた。また最近では中東の民主化運動で大きく貢献したのがフェイスブックやツイッターであったというような話も繰り返され、もはやマスメディアもSNSやネットがリアルな世界に及ぼす影響力の大きさを認めざるを得なくなってきたのだと思う。2ちゃんねるやウィニーなどネットの匿名文化をひたすら叩いていたころが懐かしい。今回のツイッターの積極的な利用は、このような意識変化の延長線上にあるような気がする。

     実際、今回の東北関東大震災においてもツイッターのデマ情報というものが3月12日に取り上げられるようになったが、11日未明のNHKの番組ではツイッターに書き込まれた助けを求めるつぶやきが紹介されていたし、12日の産経新聞朝刊でもツイッター上の情報が紹介されていた。マスコミはツイッターを情報発信のメディアとしてだけでなく、情報収集の場としてもツイッターを使っていたことが伺える。なお、今回のこのブログの記事は、震災後一週間ぐらい経った頃から書き始めているので、ところどころ古いネタと新しいネタが混在していて申し訳ないのだが、今週(3月30日現在)はいくつかのテレビ局がツイッターなどのSNSを取り上げていた。例えばNHKのクローズアップ現代では震災時のSNSを取り上げていたし、他の番組でもSNSを積極的に使っている支援団体の代表などがテレビに出演していた。

     これらのボランティア団体や支援団体の活躍を否定するつもりもない。しかし災害時に本当にネットやツイッターが役に立つのか。私はいまだにきちんとした答えを出せないでいる。災害時のツイッター利用はデマを拡散し混乱をもたらす危険性が高いというのは確かだが、だからといってツイッターが災害時にまったく役に立たないかというと、それも違うだろう。今回の震災では、貴重な情報がツイッター上を駆け巡っていたのは事実だ。例えば、どこそこにいるから助けに来てとか、寒さから身を守るためにはこうしたらいいとか、物資が足りていないから寄付を募るとか、節電しようといった呼びかけとかだ。人探しのツイートもいろいろ流れていた。このような情報の多くはおそらく本物であろう。そしてリツイートして拡散した人たちの善意も多くは本物だろう。日本人として助けたい、日本のために何かをしたいというナショナリズムに似た感情が今回はネットを中心に高くなった。そのような気持ちを日本人全体で共有できたことは特筆に値するし、保守主義者として歓迎したいことがらだ。その点に関してはまた違う機会に論じたい。さて、話を戻すが、日本のために何かをしたいという崇高な思いは素晴らしいものだと思っている。そしてそのような思いがネットを介して共有され、それが大きな力を生み出したことも注目に値する。事実、私も何度もリツイートしたいという衝動に駆られた。そのような現象自体を否定したいわけではない。しかし私はリツイートをなるべくしないようにしていた。私にはどの情報が信頼できる情報なのかということを判断することができなかったからだ。私は、その判断は今でも正しかったと思っている。しかし同時にもしかしたら、リツイートするべきだったのかもしれないという考えも持っている。どこかの建物に閉じ込められて救助を待っている人がツイッターでしか救助を求められずにツイートしていたのかもしれない。それをリツイートするだけでその人は救われたかもしれない。もちろんそれが偽情報であった場合、そのような偽情報に惑わされて、救助隊が時間を無駄にしてしまい、その結果、他の場所で救助を待っていた本来なら助けられる命が助からなかったという悲劇起こっていたかもしれない。どの情報が本物でどれが偽物かということは永久に判断できないだろう。だから、どちらが正しい判断だったかなどということはおそらく誰にもわからない。

     ただ、一つだけはっきりしている事は、ツイッターによってデマの拡散という危険性が格段に高くなったということだ。そして私の考えでは有益な情報がいくら大量に流れたとしても、デマ情報が一つでも流れる危険性があるならば、それは十分危険であるといわざるを得ない。それではデマが拡散するのを防ぐ手立てはあるのか?私はないと思う。先週か先々週のTBSラジオのDIGという番組で、ツイッターのデマ拡散を防ぐ方法として、ジャーナリストなど情報を扱う専門家以外は、安易にリツイートしないようにというようなことを言っていた。つまり情報の信頼性をきちんと見分けられる人以外はリツイートするべきではないという。言いたい事はわかるが、この考えはジャーナリストのうぬぼれでしかないと思う。もちろんジャーナリストは普通の人よりも情報の真偽を確かめる術に長けているかもしれない。人脈などを利用しなければ情報を確かめられない場合には、日頃から政治家や有名人と接触できるジャーナリストや報道関係の人たちのほうがより正確な情報を持っている可能性は高い。さらに公共機関や書籍、ネットなどを通して情報の真偽を確かめる手段も知っている。だから、調べられる情報に関しては情報を扱うプロは普通の人よりも情報の真偽を確かめることができ、結果的に信頼性の高い情報だけを流すことができる可能性は高い。

     しかし、ツイッター上でのリアルタイムに流れてくる情報、例えば助けを求める情報や災害の様子を伝える情報が信頼できるかどうかなどということは、その場に行ってみなければ検証できない。そこには情報を扱うプロもアマもない。遠くにいてその情報をこねくり回しても、根本的に検証は無理なのだ。ツイッター上でデマを見分けるなどということが常にできるわけではないことは確かだろう。科学的根拠がないとか論理が破綻しているなど明らかにデマと思われるものも確かに存在するが、拡散と書かれているのはデマの危険性があるとか得意になって言っている人の何人が本当にデマを見分けられているのか、相当疑問だ。ジャーナリストがデマを見分けられないと言ったからといって、普通の人が見分けられるとも思えない。

     ネットで情報の信頼性を担保しているのは数だ。すなわちお互い利害が一致しない不特定多数の第三者が認めてくれた情報は正しい可能性が高くなる。その数が多くなればなるほど、その情報が正しい可能性は高まっていく。そのようにしてネット上の情報は洗練され正確性が高められていく。これがネットにおける情報の信頼性の根拠である。ウィキペディアの試みがその好例であろう。このような数の論理はある意味正しいのだが、問題もある。それは、この数の論理は二つの前提を必要としている点だ。一つは利害が一致しない不特定多数の第三者が参加していること、そしてもう一つは、参加者全員が情報の真偽をきちんと評価していることである。一つ目の点を担保するものももちろんないわけだが、ツイッターで問題になってくるのは二つ目の条件だ。ツイッターではリツイートという極めて簡単に情報を拡散する機能が備わっている。それがツイッターの魅力でもあり、それによって効率的に重要な情報を拡散することができる。しかし、それは同時に危険な行為でもある。なぜなら情報の真偽を確かめずにリツイートしていくと、正しいかどうか定かではない情報がツイッター上に数多く存在することになるからだ。つまり何も検証などせずに脊椎反射でリツイートしてしまいがちなツイッターでは、リツイートの数だけでデマかどうかを見極めるということができないのだ。それにもかかわらず利用者は数が多いから確かだろうというネットでの常識をツイッターにも適用してしまう。その結果、皆がリツイートしているから正しい情報だと受けてってしまう人や他の人に伝えないといけないと思ってさらにリツイートしてしまう人も現れてしまう。そして玉石混交の情報が再生産されていく。

     さらに今回のことでもう一つ気になったのは、今回のツイッターなどの利用は「まつり」に似た状況を引き起こしていたのではないかということである。これは多分スマートフォンの利用が急速に広がったことも関係しているだろう。スマートフォンを使えばコンピュータとは比較にならないほど簡単にツイッターなどのSNSにアクセスできる。多くの人がテレビなどとともにSNSでより新しい情報を得ようとしたと思われる。そして、ツイッターなどのタイムラインを見て、意見交換する人が増えていく中で、一種の「まつり」現象を引き起こしていったのではないだろうか。

     「まつり」というのはネット用語なのだが簡単に説明しておく。「まつり」とは、以前から2ちゃんねるなどで見られた現象で、あるネタについて盛り上がったときに、その盛り上がりに参加することを目的とした大多数の人たちが参加して、更なる盛り上がりをみせる現象である。例えば掲示板などに多くの人が書き込むことで議論が盛り上がり、その議論というイベントに参加しているという集団陶酔に似た状況のこことを「まつり」と称している。なお「まつり」という単語を震災に用いるのは不適切と考える人もいるかもしれないので、先に説明しておきたいのだが、ここで言う「まつり」とはくだらないネタを扱う低俗なイベントだけを指しているわけではないし、参加者が野次馬根性で参加しているという意味でもない。「まつり」と表現された現象は参加することで一体感を得ようとする大多数の人間達が作り出す場であって、何をネタにしているかという内容は重要ではないし、その内容の貴賎は問わない。低俗なネタから崇高なネタまでどんなものでも「まつり」になる可能性がある。今回の震災での「まつり」に参加している人も、面白半分で参加しているわけではなく、ほとんどは、本当に震災の人を心配していたのは確かだろう。ここで「まつり」と表現したのは、そのような行為の目的を矮小化したいのではない。そうではなくて、ある行為を行うことによって一体感も味わっているとき、または一体感を味わうために参加する行為を「まつり」と表現しているつもりだ。なお「まつり」現象はネットに限らず現実の世界でも見られると思う。例えばボランティア活動も戦争も、ある意味「まつり」である。そのような公の行為を遂行するためには一体感を共有する必要がある。そして、そのためには「まつり」的な高揚感が重要な要素になってくる。

     さて、話を戻そう。今回の大災害は、iPhone4などのスマートフォンが普及して以降、初めての大災害となった。だから最近スマホを購入しツイッターにのめりこんだ人は、初めて経験した「まつり」状況だったのではないだろうか。もちろん以前から2ちゃんねるなどをしていた人は、おそらく、そのような「まつり」には参加しても、どこかで自分の行動を冷静に見ることもできたと思うのだが、スマートフォンを買って初めてツイッターの盛り上がりに参加した人はリツイートするだけで参加した気分に浸れる「まつり」に興奮したかもしれない。前述したように私もそのような極度の興奮状態でリツイートしたいという感覚を覚えた。リツイートすることで誰かの役に立ちたいという思いが極めて強く出たのは確かだ。そのような「まつり」によって結果的に多くの情報がリツイートされていったと思う。誰かの役にたちたい、誰かを救いたいという焦燥感からリツイートした人の善意は疑うべきではない。しかし、そのような特異な状況では情報の真偽を確かめる思考能力が低下していた可能性も十分考えられる。特に一分一秒を争うような救助を求める情報などはデマかどうかを確かめている余裕はないはずだ。一種の興奮状態のなかでスマホでそのような救助を求める情報を見たら多くの人がすぐにリツイートしていくのは当然だろう。それが今回の状況だったのではないだろうか。「まつり」に似た高揚感。それは日本が一体となって国難に立ち向かうという気分を高め、有益な情報が拡散されていくと評価される面もある。しかし、そのような状況では理性的な判断ができずにデマが拡散され混乱や悲劇を招くという危険もあるということは自覚しておくべきことだ。特にツイッターなどで不特定多数の見知らぬ人と繋がっている現代では、以前よりもずっと早く簡単に情報が共有されていく。デマもそれだけ早く拡散されていってしまうのだ。

     さて、このように災害時におけるツイッター利用で一番の問題はやはりデマの拡散という点になっていくだろうと思う。デマの危険はあるが、情報の共有としては有効なツールでもある。だから、私自身、災害時においてツイッターが有効かどうかということに関してはまだ考えがまとまっていないのであるが、ツイッターのいくつかの問題点は、以前書いた3本の記事でいくつかの問題点を指摘したつもりだ。今回はツイッターやネットがなぜ災害時において有効に活用できないのかということを、ツイッターやネットの特性と有事の際の特異な状況の対比として論じたい。簡単な図式としては、ネット社会では共同体よりも個人が優先される傾向が強いが、有事の状況下では個人よりも共同体が優先されるべきだというような違いで、有事の際にはツイッターやネットは有効に活用できないのではないかということを指摘してみたいのだ。と思ったら、またもや前置きをぐずぐず書いているうちにすごい長文になってしまったので、次回に書きたいと思うのだが、もしかしたら次回がないかもしれないので、とりあえず書きたいことのポイントだけでも簡単に書いておく。

     ツイッターやネットでは多様な意見がフラットに並列されるている。そこでは情報は階層化しておらず、権威や権力を排除する傾向が強い。だからこそ反権威、反権力としては非常に有効なツールとなる。ネットでは、個人が自分の意見や情報を自由に発信し、さまざまな情報にアクセスすることができる。一方災害時において重要な事は何かというと強いリーダーシップだ。災害時は情報は一元管理されノイズは限りなく排除されるべきだ。国家などの権力機構の強制力を伴った指揮のもと効率的に問題に対処し解決されていくべきなのだ。このような有事の際の状況はネットやツイッターが目指す状況、つまり個人が情報を自由に発信し、それらの情報がフラットに並列されている状況とは対極に位置する。災害緊急時にはネットやツイッターは一元化された情報を効率的に発信する有事の際の状況を阻害する危険性がある。その点を私は指摘したいのだ。そして、ネットやSNSを称揚しているマスコミの危機管理のなさも指摘しておきたい。彼らは非常時においても自発的な個人の役割を過大評価しており、国家の役割を理解しようとしていない。数ヶ月前、「朝まで生テレビ」というテレビの討論番組で堀江貴文氏が軍隊の存在を否定して、戦争が起こった際には市民が武器を手にとって家族を守ればいいというようなことを言っていた。つまり何か危険が迫ったら市民一人ひとりがが立ち上がればいいのであって、軍隊などに頼らなくてもゲリラ活動だけで他国の軍隊と戦えるというような夢物語を語っていた。ゲリラ活動を行うにしても、その部隊を指揮する人物が必要になるというようなことは堀江氏は考えていないようだ。災害時にネットやツイッターが有効に活用できると信じている人は、それに近い考えだと思う。個人がいかに崇高で利他的な考えを持っていたとしても、支援するという気持ちだけで、皆が好き勝手な行動をし始めたら現場は混乱し効率的な作業はできない。有事の際には誰かがまとめなくてはならないのだ。そして、そのための機関は個人の利害を調整する機関でなくてはならない。つまり現代社会では最終的には国家がその役割を担うべきなのだ。今回は天災だったが、もしこれが戦争だったらどうなるのか。有事の際に、敵がデマ情報を大量に流して社会を混乱させることも容易に想像がつく。それらにかく乱されることなく、一つの意思のもとに国民の力を結集し国難に対処していくためには、国家という存在が重要になってくるわけで、そこにフラット化した個人の情報(敵が社会を混乱させるために流したデマ情報も含む)が並列されてしまっていてはいけないのだ。そのようなことを考えたら災害非常時にツイッターが有効だったとか暢気なことを言っているべきではないだろう。もちろん有効に活用できる面もあるし、評価するべきところは評価しなくてはいけない。しかし、有事の際にネットがどの程度有効に活用されるのか、どのように活用すべきなのかということは、きちんと議論していくべきことだと思われる。そのようなことも議論せずにネット批判からネット称賛に180度変わってしまったマスコミの態度は非常に危険といわざるを得ない。

     とか、まあ、そういうことを書こうと思っている。震災から一週間経った頃からそんなことを考えながら、考えが上手くまとまらないうちに、いつの間にか2週間が経ってしまった。なので、いつ書けるかはわからない。もしかしたら書かないかもしれないけど。気が向いたらそのうち書きます。ついでに実は最近コードギアスという5年ぐらい前に流行ったアニメを見て感動したので、今更だけど、次回は多分そっちの感想とかを書くと思います。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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