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『キュレーションの時代』を読んだ




 『キュレーションの時代』を読んだらすごく面白かった。著者の佐々木さんの本は結構好きなのだが、今回はいつも以上に面白かった。そういうことで、今日はこの本の要約というか内容をざっと紹介してみたい。「つながり」の情報革命が始まるという副題がついているように、この本はインターネットによって消費社会が変貌しつつあるということを述べた本である。しかしキュレーションという言葉は、なじみのある単語ではないと思う。少なくとも私は知らなかった。だから、SNSとかインターネットに関する本だろうということはわかっても、どういう話の本なのかということが他のSNS関連の本と比べると、いまいちピンとこないのではないだろうか。この本はフェイスブックやツイッターの活用といった個別のサービスの話をしているわけではないし、SNSに限った話でもない。もっと大きな視点でネットにおけるキュレーターの役割に着目し、これからはキュレーターが活躍するキュレーションの時代になるということを述べた本なのだ。それではキュレーターとかキュレーションとは一体何なのか?まずそこから説明したい。キュレーションやキュレーターの定義が書かれている部分をいくつか抜き出してみる。

キュレーターというのは、日本では博物館や美術館の「学芸員」の意味で使われています。世界中にあるさまざまな芸術作品の情報を収集し、それらを借りてくるなどして集め、それらに一貫した何らかの意味を与えて、企画展として成り立たせる仕事。

「美術館やギャラリー、あるいは街中の倉庫など、場所を問わず、展覧会などの企画を立てて実現させる人の総称がキュレーターです。形式も展覧会に限らず、パフォーマンスなどのイベントや出版物という形を取ることもあります。『作品を選び、それらを何らかの方法で他者に見せる場を生み出す行為』を通じて、アートをめぐる新たな意味や解釈、『物語』を作り出す語り手であるといえるでしょう」(210-211ページ)


情報のノイズの海の中から、特定のコンテキストを付与することによって新たな情報を生み出すという存在。それがキュレーター。 (241ページ)


キュレーターの定義とは、収集し、選別し、そこに新たな意味づけを与えて、共有すること。収集される以前は膨大なノイズの海の中に漂う情報の断片でしかなかった存在が、キュレーターに拾い上げられることによって新たな意味を与えられ、別の価値をもって光り輝き始めます。(252ページ)


 これらのキュレーターの定義を見れば大体わかると思うが、つまり作品や情報に新たな価値を見出し、それを提示してくれる人たちのことをキュレーターと呼ぶ。さてこのようなキュレーターの存在を再確認したうえで、ネット上を眺めなおしてみると、ネット上には情報を発信する人と情報を消費する人以外に、実は作品や情報に新たな価値を見出し紹介する人(キュレーター)がいたことに気がつく。我々は、キュレーターが見つけ意味づけし提示してくれる情報に接することによって、新しい見方や、考え方、そして新しい分野の情報を得ることができるようになる。これが最近のネットでの情報の消費の仕方になっている。もちろん我々はどこかのキュレーターが見つけ出してきた情報を消費しているだけではない。我々もまたキュレーターとしてネット上の情報を再編成し意味を与え提示しているのだ。それはブログで長文をアップしている人だけに限らない。例えばツイッターで何かについて発言するという行為でも、情報を見つけ自分の考えを一緒に表明しているという点でキュレーションを行っていると考えていいだろう。つまり我々はキュレーターの影響を受けると同時に、我々もまたキュレーターとして自分の価値観や考え方を発信し他者に影響を及ぼしているのだ。

 このように一人ひとりが情報の消費者であると同時に、キュレーターとして情報を自分流に集めそこに意味を持たせて発信していく社会、それがこれからの時代であるキュレーションの時代だという。このような情報の新しい消費(消費と書いたが取得・活用といった意味)の時代になったというのが本書の結論だと思う。他にもインターネットのグローバル化における文化のあり方や、ネットでは情報の消費の仕方はタコツボ化してしまう危険はないのかなど、いくつか興味深い議論がなされているわけだが、大筋としては、80年代の記号消費から機能消費・つながり消費に変化してきた結果、今言ったようなキュレーションの時代になりつつあるという部分が本書で様々な例を挙げながら説明された部分だ。

 そういうことで、その80年代からの流れを少し詳しく紹介したい。80年代まではよく言われるように大量消費社会であり記号消費社会だった。誰もがテレビや車など同じものを欲し、同じ夢を抱き同じ人生設計をし同じような生活を営み同じような家族をもって同じような一日を過ごし同じようなものを食べ同じようなテレビを見て同じような・・・。すべてが同じようなものに囲まれていた。それは多くの人が同じ価値観を共有できていたからだ。そして同じようなものに憧れていた。例えばベンツやロレックスなどは金持ちの象徴だっただろう。車なら走ればいいし、時計なら時を刻んでくれればいいのだが、そのような機能だけの道具では物足りなかった。現在ではブランド物にこだわらずに機能を重視して安くても使えればいいのだというようなことをいう若者も増えたらしいが、当時はブランドにこだわる人が多かった。ブランド物であれば何でもいいというような感じだった。商品の良し悪しではなく、ブランドというかネーミングに価値を見出していたのだ。ベンツに乗るのは車が必要だからではない。そうではなくて、「ベンツ」に乗るということが大事だった。つまりステータスシンボルとしてベンツに乗っていた。ロレックスをはめるのは金持ちに見えるからだ。このように、商品そのモノが持っている本来の機能ではなく、ブランドなど商品とは直接関係のない意味を記号と呼んでいる。ベンツやロレックスが買われるのは、だから商品の機能が必要で買うのではなくて、そのような記号を得るために(つまり金持ちであるということを見せたいために)高い商品を買われていたということになる。このような理由で買われる行為を記号消費という。ちなみに記号消費は商品などの実際のモノに限らない。例えば、洋楽を聴くということが、昔は「かっこいい」と思われていた。その時代、曲やメロディーが好きだから聞くのではなくて、洋楽を聴いているとかっこよく見えるから洋楽を無理して聞くという若者が結構いた。こういうも記号消費である。

 さて、このような記号を消費するためには、一つ大前提が必要になってくる。それは誰もが記号を理解できていないといけないということだ。高いお金を出してベンツに乗っていても、誰もそれが金持ちの乗る車だと解釈してくれなければ意味がないのだ。だから記号消費が成立するためには、すべての人が記号を同じように解釈できる価値観の共有が必要だった。そのような価値観の共有に大きな役割を果たしていたのがテレビやラジオ・雑誌などのマスメディアだった。これらの媒体によって共通の価値観が与えられ、すべての人が同じような夢を見、同じような人生設計をし、同じようなものを欲し、同じようなものを消費してきたのだ。このような同じ価値観をもつ人たちは大衆とひとくくりにされていたが、企業から見るとこのような大衆の存在は商売しやすい存在だった。同じ考えを持っているから、彼らの欲しているものも行動様式も予想がつきやすかったし、有名な雑誌や人気テレビ番組を多くの人が見るから、そこに宣伝すればよかった。一つのメッセージを目立つところで大々的に宣伝したらそれだけで多くの人が飛びついてきたのだ。

 しかし、90年代に入ると大衆が消失した。人間がいなくなったのではない。同じ価値観を持った集団が消失したのだ。それに代わって、多様な価値観をもった個人の集まりになった。その結果、大衆向けの広告は意味をなさなくなってきた。大々的に宣伝しても効果が期待できない。このような状況を加速させたのがインターネットの出現である。2000年代に入るとグーグルなどの検索連動型広告になり、さらにSNSなどを利用した口コミ広告に変化してきた。この口コミ広告がキュレーターの一つである。

 80年代と90年代以降ではもう一つ大きな変化が起こっている。それは他者とつながりを求める人たちが増えたということだ。以前は同じ価値観を共有したムラ社会的な世界だった。価値観が同じで同じような人生を歩んでいたため、レールから外れることは許されなかった。その息苦しさから逃げだしたいという願望が若者には強かった。それに対して、90年代以降になると若者の悩みは一転する。そこでは自分が他者から見られていないことに悩むようになる。社会から見られていない透明な存在であることに耐え切れずに犯罪を犯す若者が現れたりした。つまり以前のような社会の規範からの逃避ではなく、むしろ社会から見られていないことに不安を感じてしまうのだ。このような考え方の変化は消費形態の変化にも影響した。90年代以降、商品を購入する動機はその商品の記号の消費が目的ではなくなった。それに代わって二つの動機が生まれた。一つはその商品の機能が必要だから買うという消費の仕方。仕事場に行くのに車はどうしても必要だが、別に高い車でなくてもよくて、安全に走ればそれでいいという考え方だ。つまり機能消費である。そして、もう一つがつながり消費と呼ばれているものだ。社会学者の鈴木謙介氏が「わたしたち消費」と名付けているのだが、簡単に言ったら人とつながっていたいために消費する新しい消費形態である。詳しくは、昔だらだらと書いたブログのエントリーを読んでください。

『わたしたち消費』を読んだ

 わたしたち消費の特徴は、商品が欲しいのではなくて、買ったという行為が目的になっているということだ。買うことによって、仲間と盛り上がったり、仲間意識を感じたりできるような消費の仕方である。そこでの消費の目的は二つだ。他者に承認してもらうことと他者と接続することである。接続とはようするに他者と繋がっているということだ。佐々木さんは次のように述べている。

そういう承認と接続のツールとしての、消費。

そしてその承認と接続は、お互いが共鳴できるという土台があってこそ成り立っていく。この「共鳴できる」「共感できる」という土台こそが、実はコンテキストにほかならない。(115ページ)


コンテキストについては後でもう一度簡単に説明するつもりだが、とりあえず定義だけ見ておこう。

コンテキストは「文脈」というように訳されますが、そのようにして消費を通じて人と人とがつながるための空間、その圏域をつくるある種の物語のような文脈がコンテキストということなのです。

そのコンテキストという物語を通じて、私たちはおたがいに承認し、接続していくことができる。(116ページ)


 このように80年代までと90年代以降では大きく変化してきた。さてこれで大体説明が終わったが、実はこの本には4つの重要な概念が出てきている。それらの概念は結構興味深いので紹介しておきたい。その4つとは、コンテンツとコンテキスト。そして視点と視座である。

 コンテンツとは内容であり、モノが持っている中身である。それに対して、コンテキストとは物語のような文脈と説明されていたが、もっと詳しくいうとキュレーターが、モノを解釈し意味を持たせ提示したときの、その意味である。つまりその人の主観の混じった見方や感じ方がコンテキストである。例えば、ここに有名な画家によって描かれた絵画があるとしよう。有名な画家によって描かれた名画と呼ばれる絵は、それだけで何か人をひきつけるパワーのようなものを持っているだろう。多分、絵画に関してほとんど何も知識がない私のような素人でも何かを感じることができるかもしれない。そのような絵画が本来持っているパワーのようなものがコンテンツである。つまり何も説明なくても理解できる内容というところだ。これに対して誰か絵画に詳しい人が、その絵の素晴らしさを教えてくれたとする。例えば他の絵と比べてこの点がすごいとか、その絵がどんな思いで描かれたのかというようなバックグラウンドを知ることで、その絵の新しい見方が提示されるかもしれない。そのようないろいろな見方がコンテキストだ。つまりコンテンツはその作品が本来持っているものであり、誰が見てもわかる価値。コンテキストはキュレーターが意味や解釈を与えることによって見えてくるキュレーターの主観の入った新しい発見や見方、考え方になる。ちなみに、その絵画の価値などまったくわからずに、その絵画は皆がいいと言っているとか、お金持ちの人たちがよく話題にする絵だとかいう理由だけで、その絵を見に行為では、その絵を記号としてしか見ていないことになる。

 さて、コンテンツとコンテキストがわかったところで、視点と視座の説明をしておこう。佐々木さんはこの二つの説明をするために、グーグル・ラチチュードという自分のいる場所の緯度経度を教えてくれるサービスとフォースクエアのチェックインとを比べている。どちらも今いる場所に関する情報を提供してくれるわけだが、グーグルのサービスでは緯度経度という客観的な情報のみを与えてくれるのに対し、フォースクエアではその場所のさまざまな情報、例えば見どころは何があるかとか、美味しい店は何かとか、そういう主観的な情報を提供してくれる。これが視点と視座の違いに対応するのだと佐々木さんは考える。つまり視点とはその位置の客観的・機械的な情報であるが、視座とはその場所の主観的で人間的な情報ということになるだろうか。

 この視点と視座という考えを、ネットで何かの情報を知りたいと思っている状況に当てはめてみる。ある情報を知りたいとき、多くの人は検索エンジンを使うだろう。関係ありそうなキーワードを検索エンジンに入力してリターンを押すと、そのキーワードに関連したページのリストが表示される。それは検索エンジンのアルゴリズムによって得られた結果であり機械的な結果だ。だから誰がやっても同じキーワードを同じ時間に同じ検索エンジンで行えば同じ結果が出てくるだろう。ネット上に散らばっている情報の位置を機械的に示してくれる。つまり緯度経度を教えてくれるグーグル・ラチチュードを利用した感じだ。これが視点である。機械的で客観的な結果を見ることができる。

 これに対して、視座に対応する作業は、例えばツイッターでお気に入りの人を見つけてその人の発言を追いかけるというような行為である。ある情報を知りたくて、その情報に詳しい人を見つけてフォローしていたら、その情報に関連したいろいろな情報を得ることができる。その人が発信する情報はその人の主観に満ちた情報だ。その人の見方や考え方が色濃く反映されている。そのような情報を消費することが視座の見方である。ここで注意するべきことは視点は一つだが視座は一つとは限らないということだ。聞く人を変えれば違った情報や見方、考え方が帰ってくる。だからこそ人間味溢れているのだ。視座の向こう側には、その情報を発信している人間が見えている。

 これで大体道具は揃ったし、おそらくこの本のいいたいことも全部わかってもらえたと思う。まとめると、こういうことになる。インターネットは豊富な情報で溢れている。ただ問題は情報が無秩序に散乱していて、何がどこにあるかといったことがわからないということだ。つまり情報のカオスの大海のような状態だ。そのカオスから有益な情報を得るためにどうしたらいいのか。一つは検索することだ。それによって、欲しい情報を得ることができる。しかし、それは視点を得ることにしかならない。90年代以降、つながり消費が流行ったように、人は情報だけでなく、情報の発信者とのつながりを求めるようになってきた。コンテンツという情報の本来の価値だけでなく、その情報の独自の見方や考え方といったコンテキストを重視するようになってきた。そのようなコンテキストを通して共感し共鳴していく関係を築ける場所としての役割がネットで重要な位置を占めるようになってきた。検索エンジンを使って、誰が書いたのかわからないブログのページに行って、文章の一部を消費するのではない。そうではなくて、お気に入りのブロガーのページに行き、情報だけでなく、その情報を提供してくれるブロガーの見方や考え方をも消費する。逆に自分のブログで自分の考えを発信していく。そのようなキュレーションの時代になったのだ。そこには情報を消費するという行為ではなく、「消費するという行為の向こう側に他者の存在を認知し、その他者とつながり、承認してもらうというあり方 (115ページ)」、これが、これからの消費の仕方になっていくということだ。

 ということで、これからはますますキュレーターが重要な役割を果たすキュレーションの時代になっていくようだ。なお、今回書いたのは私の要約である。上手く文章に組み込めなくて書けなかった部分や、私が勘違いしているところもあると思う。。。そういえば、人間のつながりの部分を強調するのを忘れていた。キュレーターが新しい解釈を提示してくれるという事実も大事だが、それ以上に大切な点はキュレーターとの人間的なつながりが大事であるというような部分も重要な箇所であろう。他にも、たぶん、いろいろ書き足りなかったことがあると思う。それに、最初に言ったように、この本では他にもいろいろな議論がなされている。特に私が面白いとおもったのは、グローバル化を促進するはずのネットが、途上国などの伝統文化を発信するツールとして役にたっているという記述である。他にもいろいろ面白い話がてんこ盛りだ。300ページと新書版では厚めの本であることからもわかるように、結構いろいろと興味深いエピソードが豊富に書かれているのだ。まあ、そういうことなので、少しでも興味の持たれた方は、ぜひ本書を手にとっていただきたい。

 さて、私はこの本の内容には大満足なのだが、最後に、一つだけ残念だった点を指摘しておきたい。それは、この本では、ほとんどオタクなどのサブカルの話は出てこなかったことだ。たしかオタクという単語の記述が一箇所だけあったような気がするが、他にはオタク的消費ということに関しては言及されていなかったような気がする。おそらく佐々木さんがあまりオタク文化などに興味がないからなのだろう。ただサブカル好きの人はオタク文化の話もききたかったのではないだろうか。オタク的消費とは記号消費とは対極に位置している。つまり自分の好きなものだけを消費し、周りの人(自分とは異なる趣味の人)の影響を受けることはないのがオタク的消費だ。これからの消費行動では、このオタク的消費というのが重要になってくるし、これがつながり消費とどう関係しているのか、ネットの情報の消費の仕方にも影響しているのかといったことも気になるところだ。特にキュレーターは情報を見つけ新しい解釈や意味を情報に付与して紹介していく人たちだが、マンガやアニメなどの作品を作り直して新しい作品にしてしまう2次創作の人たちと、どのように違うのかといったことを論じて欲しかった。まあ、そこらへんは我々がこれから考えていくべきことかもしれない。



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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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