スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

理系バカと文系バカ

ローソンに行く度に、妙に気になる本があった。
PHP新書から出ている『理系バカと文系バカ』という本だ。
でも、お金がないから買うつもりはなかった。
コンビニの立ち読みが日課だった俺としては、2,3時間立ち読みするのは別に平気なのだが、さすがに新書本をコンビニで立ち読みできるほどには、でかい人間には育っていなかった。
ということで、この本をなるべく見ないようにしてきた。
でも、今日我慢できずに、ぱらぱらっと内容を見てみてしまった。
で、最後の結論を読んでみた。そしたら、

文系の人は科学関連の本を読みなさい。

理系の人はナンセンスだなどと言わずに、小説の類も読んでみなさい。

みたいなことが書いてあった・・・(汗)

はい?

なんなんだ、この小学生並みの結論は?
ちょっと気になったので、前のほうも見返してみたら、なんか、この著者は理系と文系の対立を理解できていないように思った。
というか、理系サイドからの意見しかない。
まったく困ったもんだ。こういう認識では理系と文系の対立は解消できない。

しょうがない、俺が、

理系バカと文系バカというものの、本当の対立というものを、お教えしましょう(←アニメ「からくりの君」に出てくる加藤段蔵が最後のシーンで言う台詞みたいに読んでくれると嬉しいです)

あ、ちなみに、今回は、この『理系バカと文系バカ』という本のレビューを書くつもりではありません。
俺はこの本をちゃんと読んでないし。。。
アマゾンでは評価が悪くないみたいなので、もしかしたらいい本なのかもしれません。ただ、この『理系バカと文系バカ』という本に興味がある人は、本屋さんに行って、自分の目でちゃんと確かめてから購入を検討したほうががいいと思います。

で、本題に戻るのですが、理系バカ、文系バカとは何でしょうか?
数理生物・考古学・人類学・社会思想・空間分析・地理学あたりを勉強していたので、自分としては理系と文系の両方にまたがっていたつもりなのですが、
私が思うに、
理系バカとは、ようするに文系の研究法の本質を理解できていないところから生じているのです。
一方、文系バカとは、ポストモダンをたてにして、科学を理解できないということを認めない文系人の人たちです。

まず理系と文系の研究法の違いについて述べてみます。
理系はいわゆる科学的方法論で研究します。
それは、なにかというと、客観性と密接に結びついているのです。
まずデータが客観的です。そして、理論も客観的です。だから、誰がやっても同じ実験は同じ結果を出る(はずです、理論上は)。もちろん誤差などがあるのですが。
この客観性というものを疑うことはありません。逆に主観的なものは科学においては排除されます。

1+1=3  それが、俺様加法定理だーーー!!!

とか言っても、無意味です。言うだけで満足できるなら、止めはしませんが、研究者としては、おそらく誰からも相手されません。
つまり、誰が見ても同じ結論に達するような決まりごとがあるし、それは他の定理などと矛盾しない。というような厳密な客観性に基づいています。

一方、文系ではどうでしょうか?
社会科学系はその名前のとおり科学的方法論を採用しています。
実際は社会現象というものは科学的方法論だけでは解明できないものが多くあるのですが、実は社会科学者は科学者以上に理系バカの人が多いです。
特に経済学などは数学を使うことで経済学=科学=すごい!という短絡思考をしたりしているような気がします。
社会科学者は、科学的な方法ですべての社会現象が解明できると信じています。
実際は99パーセント無理なのですが。
この無理というものは、もちろん社会科学者も気がついているのですが、その理由がだめです。
多くの社会科学者は、データが客観的ではないから、理論がしっかりしていないから、誤差を排除できないから等、と考えます。
科学的方法論に誤りがあるとは考えません。しかし、実は、人文系の研究者が考えるように、根本的に科学的方法論が取れないことも多々あるのです。

その科学的方法論が取れないケースとはどのようなときか?
それは、絶対的な真理が無いときです。
真理が無いというとよくわからない人もいるかもしれません。
もっと簡単に言ってしまえば、絶対的な価値観や基準がないから、何が正しくて、何が間違っているかということが言えないというときです。
つまり多様な価値観が混在している世界の多くの現象において、真実などといものはありません。絶対的な価値というものも存在しません。
つまり主観的な価値観しかないのです。そして、それに優劣をつけることができません。私が正しいと思うことと同じくらい、あなたも正しいと主張できるのです。
このような状況では、だから客観性というものが存在できません。唯一存在できるのは、ある程度の客観性みたいな主観(間主観)です。
そして、客観性が存在できないので、もちろん科学的方法論は採用できません。
それでは、なにも研究できないのか?というと、そんなことはないのです。
何かを研究するということは、真実と暴くという科学的方法論だけではないのです。
ある現象を解釈するという方法論があります。
それが、人文系の研究者が使う解釈学的方法論です。つまり、研究対象も違えば、求めている答えも科学と人文系では違うのです。
だから、どちらが正しいというわけでもなく、人文系は科学的方法論をとらないからバカだという理系の人がいたら、それは無知なあなたがバカなのです。
ということになります。

他方、文系の人たちは常に正しいかというとそうでもありません。
たまに社会科学系の中にもいるのですが、なぜか科学が嫌いという人がいます。
とくに、反科学的なポストモダン思想を聞きかじって、科学が理解できない自分を隠すために、これ幸いと科学を全否定して偉そうにしている文系バカがいます。アメリカにもたくさんいました。このポストモダン思想というのは確かに興味深いし、さっき言った「真理は一つではない」みたいな考えはポストモダンです。だから俺もポストモダン好きです。でも、科学を全否定してしまってはいけないと思う。
科学的方法論が使えないときは多いと書きましたが、もちろん科学的方法論が有効なときも、たくさんあります。特に自然現象は客観的な研究が可能だろうし、社会科学の分野でも、いろいろあると思います。だから、科学的方法論が無用だとかいう議論はナンセンスです。客観的データに解釈学を使っても意味がありません。

ということで、結論としたら、理系も文系もお互い理解していない浅はかな人たちは理系バカ、文系バカになりがちだということです。
二つの研究方法があり、それらは異なる研究対象(客観的か主観的か)を研究する方法で、異なる答(説明か解釈か)を導き出しているんだということを、まず理解しなくてはいけないと思うのです。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

スポンサードリンク
最新記事
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

kemmaarch

Author:kemmaarch
右よりの内容ですが、もう一つブログを書いています。右よりの話でも大丈夫な人や日本が好きな人はいちど覗いてみてください。
保守主義のすすめ

私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

本や映画の感想はアマゾン・レビューにも書いています。ぜひ遊びに来てください。
アマゾン・レビュー
はてなブックマーク

ツイッター(Kemmaarch)
検索フォーム
ブログ・ランキング
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
フリーエリア
リンク
RSSリンクの表示
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QRコード
スポンサードリンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。