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『キャラクター小説の作り方』を読んだ パート1

大塚英志(著)『キャラクター小説の作り方』という本を読んだ。
大塚英志といえば、80年代ぐらいに書いた物語消費論で、そっち方面では有名な人だったらしい。俺は日本のサブカルとか勉強していなかったので、最近まで彼の事を知らなかったのだが。。。
で、最近、他の本を読んでいて、物語消費論に興味がでたのと、ライトノベルとかの書き方の本にも興味もあったし、ついでにブックオフで100円でこの本を見つけたということもあって、この大塚さんの本を買って読んでみた。
一言で言うなら、おもしろい本だった。
小説の書き方みたいなことに関して素人同然の俺としては、いろいろ学ぶとこはあったように思う。
アマゾン・レビューとかの評価は、ちょっと辛めなので、まあ、本気で買おうかと悩んでいる人は、そっちの意見も参考にした方がいいとは思うが。。。なんせ俺は小説の書き方みたいな本はあまり知らないので。
ただ、大塚さんの考えを単純に楽しみたいという人は、この本もお勧めです。
じゃ、どういうとこが面白かったかということなんだけど、面白いなって思える部分が二つあったんだよね。で、今回と次回でそれを紹介したいなと思っています。

まず、今日話したいとこは、第三講「キャラクターとはパターンの組み合わせである」の中の、「決まり文句から写生文へ」というところです。78ページから80ページぐらいのとこなんだけど、この中で大塚さんは近代以前の文芸というものと近代以降の文芸の違いを次のように紹介しています。
近代以前は、決まり文句というものがいろいろあって、その決まり文句に特定の名詞を代入して、そういう決まり文句をいくつか組み合わせて物語を作っていたというのです。
例がないとちょっとわかりづらいと思うので、この本で示されている例を引用させてもらうと、

・・・例になっているのは「信徳丸」という「説経節」です。その中には「××この由聞こしめし」というフレーズが頻出します。これは「××はそれを聞きました」ぐらいの意味です。つまり××が誰かから重要な話を聞いた、という状況が語られるときには××が誰であれ必ず「この由聞こしめし」という決まり文句によってのみ表現される、というのです。この基本型は××の部分に何が代入されるかによっても一定の規則性を持って変化します。
 説経節の語り部たちはこういう状況はこういう決まり文句で表現するという状況と決まり文句がワンセットになったものをたくさん頭の中にインプットしています。いわば辞書として持っているわけです。
 ですから、語り部は「説経節」の個々の物語に関してはその一つ一つを細やかに覚えているわけではありません。せいぜい「私の知っているあの物語」といった程度である、と説経節の研究者は推定しています。こういう主人公がいて、こうなってああなって・・・・・・という大雑把な筋道を記憶している程度で、主人公が生まれる場面に物語がさしかかったら「出産」に対応する決まり文句を持ってくる、といった形で語り部が語っていくわけです。「説経節」という中世に存在した物語の語り部は、今なら単行本一冊分の物語をいくつも語ることができましたが、彼らは盲目であったり、無学で文字を知らない人たちが大半でした。それでも彼らが語り部たり得たのは物語を丸暗記していたからではなく、「パターンの組み合わせで物語る」という技術を修得していたからです。(76~78ページ)



では、近代以降はどうなのかというと

それが近代に入って日本語に「写生文」という考え方が入ってきて大きく変わったわけです。つまり目の前にあるものをあるがままに忠実にことばで「写生」していく、というのが新しい小説の形式となりました。すると別々の人物の類似した行動を同じ決まり文句で表現することは許されなくなりました。(78ページ)



だという。

で、ライトノベルのようなキャラクター小説はパターンの組み合わせが基本であり、故に近代以前の小説のような体裁をとっている。ただし、それを否定する必要はないのだ。という議論に進んでいく。まあ、そのあたりも面白いのだが、ここで大塚さんが指摘している興味深い点は、

小説の中には極端に分ければ「写生文」的なリアリズムに基づくものと「記号」的なパターンの組み合わせに基づくものの二通りがある、ということです。(79ページ)



という部分だ。

もちろん、この二つの対立は厳密ではなく、記号的でありながら、写生文的なリアリズムを持った小説というものや、写生文なリアリズムのなかに記号的なパターンが入っている物語も考えられるという。
ただ、この二つの対立を明確に指摘してくれたことはとても意義深いと俺は思うのだ。なぜなら、この対立する二つの概念というのが、小説に限らず、いろいろな場面でも使えるような気がするからだ。
たとえば、写真と絵画の違いも写生文と記号的な表現の違いに対応するような気がする。絵画では写生から抽象に移ったみたいだが、この対立する二つの概念は興味深い。(と絵画をまったく知らずに勝手に語っている俺・・・。まあ、絵画については、そのうちさわりだけでも勉強したい)

で、アニメとCGってのもこの対立関係と無縁ではないような気がする。
リアリズムを追求しているCGの技術は、どんどんすごくなっているんだけど、だからアニメはすべてCGになっちゃうかっていうと、そうはならないと思う。
で、その理由がこの写生的か記号的かの違いだと思うわけなのです。
ここは、岡田さんのオタク学に書かれていたことだけど、アニメではキャラや動きが極端にデフォルメされることによって、独特の雰囲気を出している。この独特の雰囲気はけっしてリアリティーを追求したら得られるというものではない。

この写生的か記号的かの違いというものの違いを考えるたびに思い出すのが、生物学の授業である。
昔、大学の生物学の授業で、顕微鏡で見た生き物を写生する機会があった。機会というか強制だったのだが。。。
で、絵を描くのが得意でない俺としては、絵をなぜ描かなくてはいけないかという理由がわからず、先生に聞いたことがあった。だって写真をとればすむことだろうに、今更なぜ絵を描かないといけないのだろうと不思議だったからだ。
しかし、写真ではダメだといわれた。あ、ちなみに、ここでは、絵の事を、写生と言っているが、むしろ今までの議論における記号的な絵に似ている。
では、なぜ写真ではだめなのか?
その理由は、写真だと、その生物の特徴が、うまく描き出せないからだという。もちろん、写真はその特徴も表現されている。しかし、ある特徴が浮き上がって見えるように、デフォルメして、その特徴を強調する絵というものの方が優れているのだ。特に、昆虫図鑑などの世界においては、こういう特徴が強調されているイラスト絵の方が、写真よりも優れていることは容易に理解できる。

で、アニメとCGの違いを考えるとき、ときどき、この生物学実習のことを思い出す。
アニメでも、ある動きなどがデフォルメされることが、好まれる。
それはリアリティーを追求したCGにはできないことだ。
非現実的な動きであっても、視聴者がそれを好むのであれば、CGよりも優れていると思う。
いや、むしろ視聴者はそういうデフォルメされた動きこそ求めているのではないか?
もし、そうならば、アニメの変わりにCGが台頭してくるちう考えは間違っているように思われる。
なぜなら、リアリティーを求めているのはアニメではなく、実写版の映画だからだ。
つまりリアリティーとしての実写またはCGと記号的パターンのアニメという対立が正しいのだと思う。
それでは、実写の変わりにCGが置き換わるかというと、それもありそうにない。そもそもリアル世界を映した実写の変わりに、リアルっぽいCGが置き換わる理由がないからだ。例外は実写では表現できない世界。つまりSFとかファンタジー系であろう。
だから、CGは実写を補助するツールとしては、魅力的なものになることは確かだし、今後もその方向で発達すると思う。
しかし、アニメの代わりに、もしくは実写版の映画の代わりに、全編CGという映画が流行るとは思えない。
そういうことで、CGに過度な期待をして、アニメとの融合をはかろうとしている人たちには申し訳ないが、アニメの本質はリアリティーの追求ではなく、デフォルメされた記号であるということを、このキャラクター小説の作り方を読んで再確認できたわけなのである。まあ、そのあたりに興味がある人は、この本とか岡田さんのオタク学入門とかを読んでみてください。

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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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