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モダンとポストモダン

昨日も書いたが、『動物化するポストモダン』東浩紀(著)の本に、最近、はまっている。とても薄い新書版の本なので、気合を入れて読んだら1日でなんとなく読めてしまう本なのだが、よく読むと、相当面白いネタがちりばめられている。2回目を読んでいて、話がやっと見えてきたので、どうせだったらここに書いて紹介したら、自分の理解も深まるかなということで、これから何回かにわけて紹介したいと思う。

まず、今日はこの本のバックボーンの一つだと思われる文化の大きな流れを紹介したい。
つまりモダンからポストモダンという時代の流れがどのようにサブカルの動きに影響を与えているかということである。

モダン思想もしくは近代思想とは19世紀から20世紀はじめごろにかけて流行った思想で、進歩史観、理性中心主義、科学万能主義などの特徴を有する。つまり人間はいろいろなものを改良して社会や文化は常に進歩しているという考えである。なんでそんなことが可能かというと人間は理性というものを持っているからだ。で、理性を使えば、非合理的な宗教や迷信など信じなくても、合理的な科学によって人間は幸せになれるんだー。みたいに能天気な人たちがモダン思想の人たちである。

今はポストモダンの時代だよとか言われているが、結構モダン思想は根強く残ってるので、こういう考えに違和感のない人もいるかもしれない。というか、日本のマスコミなどはポストモダンだと言いながら、進歩主義や理性中心主義を信望しちゃっているムチムチ(無知無知)で可愛い連中である。ちなみに俺はムチムチは好きだが。ついでに俺は考古学者だが、Mみたいだから、個人的には、むちは持ち歩かない。

まあ、それはともかく、このような純粋な進歩史観などが信じられなくなって、ポストモダンと呼ばれる時代に突入した。その契機としては2度の世界大戦によって人間は本当に理性的な生き物なのか?社会は本当に進歩しているのか?という疑問が出てきたことである。またフロイトの無意識の発見により理性的と思われてきた人間(この場合は西洋人男性)ですら自分のことがよくわかっていないということがわかった。他にもニーチェとか(あと忘れた)がポストモダンの発展に貢献しているのだが、忘れたから、知りたい人は自分で調べてくださいな。

ということで構造主義のあとに出てきたポスト構造主義あたりからポストモダンといわれるのだが、その思想は多様でつかみどころがない。まあ、一個だけ共通点があるとしたら、さっきのモダン思想を信じていない思想って事だと思う。まあ、知らなくても、聞いたこともない思想家の話になったら、とりあえずいつ頃の思想家なのか聞いて70年代以降とかだったら、それはポストモダンだね。と一言いったら、少なくとも酒屋では恥をかかずに知ったかぶりが出来るってもんだ。

で、話を大きく元に戻すのだが、『動物化するポストモダン』を理解するにあたり、重要な点は「大きな物語」の消失というテーマである。
ここで大きな物語というのは何だろうと思うかもしれない。大きな物語は、物語の大型という意味だ。
つまり大きいんだよ。
といっても、わかりづらいと思うので、もう少しわかりやすくいうと、大きな物語ってのは皆が信じていた物語という程度のもの。
たとえばキリスト教などがそのいい例として挙げられる。
キリスト教社会では、キリスト教というものを皆が信じており、生きる意味もそこから得られた。
例えば、不幸に見舞われても、神様が試練を与えているのだと考えれば、まあ耐えられる。これが生きる意味を見出すという行為である。
ちなみに苦痛が快感に変わったとかいう話をしているわけではない。「昨夜、縛られて、鞭でぴしぴしされながら、蝋燭のろうをたらされたら、感じちゃったのぉ!私って変態?」とかいう話をしているわけではない。変態かどうかは置いておくとしても、それは単なるマゾという性倒錯者の世界であって、ここで話していることとは、若干、話がずれているのである。まあ、いいや。

ところで、大きな物語はキリスト教に限らない。マルクス主義みたいに資本主義のあとに共産主義が来るんだようというユートピア思想や、科学は人を幸せにするんだお!とかいう単純馬鹿も大きな物語であろう。つまり普遍的で唯一の価値観でものを言っているわけである。
ポストモダンではこのような唯一の価値観を否定し、多様な価値観を前提にする。多様な価値観の前では大きな物語は成り立ちようがない。つまり大きな物語というものは否定されるのである。いまいち俺の理解不足もあって説明が下手だし、間違いがあるかもしれないので、ここらへんは現代思想の入門書を読んでください。どの本にも書かれていることなので。

それでは、サブカルチャーではどのような動きになるのだろうか?それが『動物化するポストモダン』で東氏が述べていることである。
彼によるとモダン思想からポストモダンへは1914年から徐々に変化してきたという。そしてモダン思想が完全に終わったのは、共産主義という最後の大きな物語がなくなった1989年なのだそうだ。まあここら辺はいろいろ異論もあるだろうが、とりあえず1914年から89年までの間に徐々に変わってきたということでいいだろう。
そして、東氏は大澤真幸氏の考えを踏襲し、戦後日本のイデオロギー状況を二つの時代に分ける。

一つは1945年から1970年までの「理想の時代」である。この時代は大きな物語が機能していた時代であり、連合赤軍が「理想の時代」の終焉を代表していた。
そして二期目が1970年から1995年の時代であり、この時代を今日子の時代と呼ぶ
今日子の時代とは今日子さん素敵だねと皆が信じていた時代であり、小泉今日子の出現によって絶頂期を迎えたわけである。。。。。。。。。。。ちがうわい。
今日子ではなく虚構。
つまり「虚構の時代」という。大きな物語がフェイクとしてしか機能できなくなってしまった時期でオウム真理教が「虚構の時代」の終焉を代表しているという。
この時期は大きな物語は生産されないし欲望もされないという。なぜならこの時期はすでにポストモダンだからである。
しかしこの時代の若者は子供の頃に「理想の時代」を生きてしまっていた。このため、大きな物語を渇望してしまう。
そこに虚構の物語を作り出そうという動きが出てくる。
それがガンダムなどのアニメだったり、オウム真理教の教義だったりするわけである。
この「虚構の時代」では大きな物語というものが捜し求められる。例えば、ガンダムのアニメを見たときに、その歴史や世界観といったものを、一つ一つのエピソードから再現しようとする。
この行為が小さな物語(一つ一つのエピソード)から、背後に隠された大きな物語(歴史や世界観)への渇望として描かれるわけである。そしてこの消費行動を物語消費と大澤氏は呼んだ。
ちなみに小さな物語と東氏らが呼んでいるものは、「小さな恋の物語」という映画とはまったく関係のないものなので注意が必要だ。

さて、ここまでが大澤氏の意見だったらしいが、東氏はさらに95年以降を大きな物語を必要としない時代だと考える。つまり大きな物語を渇望しない世代の出現である。この時代の特徴は、小さな物語から大きな物語を求めるのではなく、小さな物語からデータベースのような大きな非物語を作り出し、そこから任意に抽出した要素を組み合わせて、新しい小さな物語を作り出すという行為が繰り返される。このような消費行動を物語消費に対してデータベース型消費と呼んでいる。そしてオタク系文化の消費行動が、このようなデータベース型消費の典型例であり、これがポストモダンに生きるものの消費行動なのだという。で、この消費行動は具体的にいかなるものなのか。それが東氏がこの本で述べている論点なのである。

ここから先は、大きな非物語とか、大きな物語と小さな物語の二層構造、スノビズムと動物的行動、欲望と欲求という概念が出てくる。で、それを説明しないと前に進まないが、それぞれの概念を別々に書いていかないと、ぐじゃぐじゃになりそうなので、とりあえず日を改めて書こうと思う。興味があったらまた読みに来てください。というか、『動物化するポストモダン』を読んじゃった方が、早くて正確のような気もするけど。。。


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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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