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インターネットは勉強の仕方を変えるのか?パート2

一点目の問題点として、まず初等教育における教育システムの必要性について確認しておきたい。 初等教育における教育システムというものは、それが、お仕着せの教育システムであったとしても、否定できないことは明らかであろう。思考するためには、ある程度の知識体系の土台というものが必要である。小学生がインターネットだけで必要な情報を取捨選択できるとは到底思えない。いや、どんな情報が必要なのかということを認識すること自体、無理だろう。幼稚な好奇心に基づいた情報の取捨選択は、むしろ害悪でしかない。

このような状況は、しかし、子供にかぎったことではないのではないだろうか。どんな分野でも、やはり初学者が必ず学ばなければならない部分というものが存在するのではないだろうか。そして、それはネット上で検索しただけで得られる断片的な知識ではない。その知識をどのように使うかというメタレベルでの知識体系もしくは知恵と呼ぶべきものであると思う。

そういえば、エコエコアザラクというオカルト漫画が原作のTVドラマ版で、魔術に関して正しい知識を持っていない普通の男がネットで得た魔術の断片的な知識をもとに呪いをかけてしまい、その男も呪いの代償を支払わされるという話があった。ネットで簡単に手に入れられる断片的な情報というものは、特定の魔術をどのように使うかという実践的な、そして表面的な知識でしかない。しかし魔術の知識体系というものは、それだけではない。個々の魔術の知識ではなく、むしろ、それら個々の情報の総体としての体系化されたメタレベルでの知識体系であり、魔術をどのように使うべきかということなどの知恵を含んでいるということだ。魔術うんぬんは荒唐無稽の与太話だと感じる人も、これが、爆薬や薬物の作り方、自殺の仕方などの情報ということになると、急に現実性を帯びてくるのではないだろうか。そして、同様な危険性は、といっても、生命に関する危険性ではないのだが、知識の乱用という危険性は、アカデミックの世界や趣味の世界においても見られると思う。

例えば、私のよく知っている文化人類学という分野で説明したい。文化人類学は異文化の奇習・風習といった知識を詰め込む学問だと考えている人がいるかもしれない。そのような一面もあるにはある。しかし、それがこの学問の目的なのではない。文化人類学とは、他の社会の習俗を研究し、理解しようとする学問である(なお、文化人類学は、これ以外にも様々な研究がなされているが、今回は深入りしない)。そして、その結果として、そういう異文化に関する知識の量が増大していくことになるのである。

さて、今、人類学に興味をもった人が、ネット上の膨大な知識(異文化の風習などはすぐにアクセス可能である)を得たとする。ネットを使用している限り、おそらく人類学者以上の知識を短時間で使いこなすことは可能であろう。なぜなら、人類学者も自分のフィールド以外のある特定の社会の文化や風習に関する知識はネット上の情報よりも劣っていると思うからである。それでは、その初学者は他の人類学者と対等なところに立っているのかというと、そんなことはない。人類学では知識の有無は結果として生じているだけであり、それが目的ではないからだ。むしろ異文化理解への道筋を理解することが人類学を理解するという行為なのである。たとえば、文化相対主義という考えが本当に理解できているのかということが重要になってくるのである。そのような「理解」という行為は、ネット上などで知識を「見た」ということだけでは得られないものである。つまり、いくら膨大な知識がネット上に散乱していようとも、それらを正しく使いこなす知恵を得るためには、ある程度、系統だった教育を受ける必要がある。(そのような教育は特定の教育機関でないといけないというわけではないし、もちろんネット上においても、このような知識体系というものに自覚的でありさえすれば、おそらく習得可能ではあると思う。ただし、少なくとも、断片的な知識を持っているということだけでは十分ではないということは理解してもらえたと思う)

次に2点目の問題点として、データベースのような知識体系からは新しい知の創造が生じないのではないかということが考えられる。これはどういうことかというと、ネット上で得られる知識が相互に関係していないとなると、おそらくブレークスルーという現象が起こりにくいのではないかと思うのである。ブレークスルーとは、直接関係がないと思われる多量の情報を蓄積していった場合、あるときを境に、それが新しい知識体系として関連づけられ、今まで考えていなかったようなアイデアが生じるというものだと、私は勝手に理解している。そして、このようなブレークスルーという現象が生じる理由の一つとして、自己組織化という現象が絡んでいるのではないかと思うのである。

自己組織化とは、複雑系の一分野なのだが、簡単に言えば、グランドプランなどなくても、その中で活動する複数の個体が、全体と部分的(または不完全)に関係しあっていくような場合、その関係性が、ある閾値を越えたときに、突然システムが生じてくるという現象である。興味のある人は、自分で詳しく調べて欲しいのだが、この現象がなぜ興味深いかというと、たとえば、社会や都市といったグランドプランがないのに、美しい組織を形成しているとき、神様とかを想定してしまいがちであるが、実は、自己組織化という現象で説明可能であるということがわかったからである。そして、この自己組織化という現象はおそらく脳にも適用できるのではないかと思うのである。なぜなら、脳もニューロン同士がおたがい部分的につながって、つまり部分的に脳という全体とつながることによって、システムが形成されるからである。まあ、脳科学はまったく理解できてないので、墓穴を掘る前に、ここらへんでやめておくが。今回、自己組織化という現象に言及した理由は、これがブレークスルーと関係があると思うからだ。

ブレークスルーはさっきも言ったように、多量の情報を蓄積していったときに、あるときを境に、それらの情報が関連付けられ、一つの大きなアイデアが生じるということであった。この情報ひとつひとつをエージェントと考え、新しく生じてくるアイデアというものが、新しく生じるシステムと考えると、部分的に関係しているが、全体としてはそこまで体系だっていなかった情報というものを大量にインプットすることで、突然、大きな体系が生じると考えられるのである。そして、ここで重要な事は、「多量な情報が部分的に関係している」という自己組織化の条件である。

つまり、自己組織化が生じるためには、情報が何らかの関連性をもっていなくてはいけない。さっきも言ったように、最初から全体のグランドプランがある必要はない。いや、むしろグランドプランは必要ではない。われわれが何か新しいアイデアを考え出したいとき、グランドプランがないのは当たり前である。グランドプランがあるということは、新しいアイデアがすでにあるということを示しているからだ。ただし、グランドプラン(新しいアイデア)がない状態だから、それぞれの情報は体系だって集められているわけではないのだが、しかし、ある程度関係していなくてはいけない。つまり全体の部分と不完全ではあるが関係していなくてはいけないということになる。そして、ここで、情報の量が増え、関係性が増加すると、ある時、それらの情報がとつぜん自己組織を起こし、一つの体系だった知となり、新しいアイデアが生じるのである。

これは、つまり、このように個々の情報が全体と部分的に関係していない場合には、自己組織化としてのブレークスルーは起こらないのではないかと推測される。そして、この全体と部分的に関係していないケースと言うのはどのようなときか?それは、データベース消費のような、データベースから集められた情報(相互に独立した関係である)のようなときではないだろうかと思われる。従来では、ネット上にあるような断片化された知識というものは、メタレベルで相互に関係していた。しかしメタレベルのない断片化された情報は、相互に独立してしまっているため、そのような独立した情報を大量に処理したとしても、ブレークスルーは起こりえないのではないだろうか。

ネット上では確かに大量の情報が生み出され消費されている。しかし、それらの断片化された情報を生かすためには、メタレベルでの知識体系というものが必須であり、それはまた、膨大な知識を安全に活用する手段としても、そのような知識体系は必要であると思われる。

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私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

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