スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ツイッターが、おもしろい!

 今さらだけど、ツイッターの楽しさが、ちょっとだけわかってきたので、ちょっとまとめてみたいと思う。俺がツイッターに入会したのは去年の10月。それから、ツイッターを楽しもうと思って、解説本を読んだり、我慢してタイムラインを見ていたりと、自分なりには血のにじむような努力をしてきたのだが、一向におもしろさが伝わってこない。昔、フェイスブックの面白さもわからなくて、1年ほど放置したあと、急にフェイスブックの面白さに開眼したから、おそらくツイッターもいつか面白くなるんだろうと思いながら、月に一回ぐらい思い出したようにつぶやくということを繰り返していた。ただ、面白くなかった。なんか宇宙の中心で愛を叫んでいる感じなんだよね。誰も聞いてねーよみたいな。まあ、俺のフォロワーは、入会したときにツイッターに俺を紹介されて、そのまま放置している、やる気のない、見知らぬアメ人二人だけだったしね。まあ、そういうことで、俺の呟きを見る人は一人もいなかったわけだ。
 
 そんな状態から、いかにフォロワーを増やすかというのもわからないし、だから、ツイッターが面白いなんていっている人は、入会したことをブログで告知したとたんに、1万人とか10万人とかのフォロワーが一日で入ってくるような有名人に限られるのだろうと思っていた。俺なんかとは住む世界が違うんだ。みたいな。

 そう思っていたんだけど、先週、状況が急展開した。先週、朝生を見ていたときに、同じ番組を見ている人をツイッター上で探し、一緒につっこみいれたりしたら結構楽しかったのだ。いい気になって、その次の日、ユーストリームを見ながら、ツイッターでコメント書いてみた。で、ニコニコ生放送もツイッターと連動しているから、ニコ生見ながら、ツイッターに投稿したりもしてみた。そういうことをしてみたら、急にフォロワーが増えはじめた。そしたら、少し楽しくなった。

 それでも、俺の日常をつぶやくだけだと、俺的にはあまり、おもしろくない。俺が「今から豚骨ラーメン」とかつぶやいたところで、俺自身、何を期待しているのかわからないし、返事されてもちょっと困る。それに、俺は、「~なう」というツイッター特有の言い方が好きではない。大学生とか20代の若者が言っている分にはいいのだけど、いい歳こいたオヤジが「マックなう」とか言っても、はー?って感じだろう。そういうこともあって、ツイッターをあまり楽しめなかったのだが、俺が最近、気がついたのは、ツイッターには他の楽しみ方もあるということだ。それがハッシュタグだ。

 シャープ記号を書いてそのあとにキーワードを書いたものがハッシュタグと呼ばれているものだ。これで何が出来るかというと、検索が出来る。つまり、何かのテーマを話すときに、ツイッターではハッシュタグを文章のどこかにつけておく。そうすると、検索をかけたときに、同じテーマのコメントを一覧表示できるのだ。これを使うと、自分の興味のあるテーマの話に参加して、そこにコメントを書ける。ここで重要なことは、そのコメントを書いている人たちは、フォローし合っている人たちではないということだ。ただ同じハッシュタグをつけたというつながりなのだ。しかし、気分的には、フォロワーよりも親近感が増す。そして、相手も自分のコメントに反応してくれる。つまり自分の興味のあるテーマについて、見知らぬ人たちと話すことができる。それがツイッターのすごいとこのような気がしてきた。

 俺が勘違いしていたのは、ツイッターとはフォロワーとのゆるい関係を楽しむということなのだと思っていたことだ。そういう楽しみ方ももちろんあるのだろうが、実はそれだけではない。あるテーマについて見知らぬ人たちとコメントしあうという場をすぐに作り出すことができ、そこに誰でも容易に参加できるということがツイッターのもう一つの魅力のようだ。そのような場は議論をするようなお堅い場だけではない。テレビ番組やユーストリームなどの動画サイトを一緒に楽しむということでもいいし趣味の話でもいい。とにかく、何かに興味を持った見知らぬ人たちが場を形成することが出来るということが重要なのだ。同じ興味を持った人たちが勝手に集まってきて、一時的に場を形成し、その場は時間とともに無くなる。そのような「場」の生成と消滅がツイッターのもう一つの魅力なのではないかと思う。そのことに気がついたら、ツイッターが本当におもしろくなった。iPhoneを使うと、四六時中見ていられるし。

 まあ、俺はiPhoneの宣伝なんてするつもりはないので、先に言っておくと、アンドロイド買えばよかったかなって、ちょっと後悔している。まあ、だから端末は何でもいいのだけど、とりあえず、スマートフォンでもケータイでもiPadでも、ツイッターをすぐに起動して、いつでもどこでもチェックできるという端末があると、ツイッター中毒になれるだろう。これからの課題としては、ツイッター中毒をどう克服して、廃人になる前に、どのように社会復帰するのか。そのようなツイッター中毒脱出法を見つけ出すのが、これからの俺の最重要課題のような気がする。あ、ちなみに俺のユーザーネームはkemmaarchです。フォロワー大歓迎です。昨日から「コーヴ」関連がマイブームなので、#coveとか#Thecoveとかに出没しています。


応援よろしくおねがいします
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

朝生でツイッター

 ここ数ヶ月ブログ更新を怠けていたから、5月こそ20個はエントリーをアップしたいなと思って、最後の週にスパートをかけたつもりだったのだが、いつの間にか5月が終わってしまっていた。しょうがないから、6月は毎日こつこつとブログをアップしていこうと決意した矢先に、カレンダーの日付は6月2日になっちゃってるし。。。ということなので、とりあえず軽いネタでもアップしておこうと思って、ツイッターの感想をちょこっと書きます。

 この前、朝まで生テレビをやっていたので、コンピューターをさわりながら、ぼーっと見ていた。少し見ていたら、ツイッターのことを思い出して、#asanamaで検索かけてみた。案の定、朝生見ている人がつぶやいていた。おもしろそうだから、俺もつぶやいてみた。俺はテレビとかユーストリームを見ながらつぶやいたことはなかったので(というかツイッター自体あまりしていない)、結構新鮮だった。ただ、うーん。おもしろいって言えばおもしろいけど、感激するほどのものでもなかった。おそらく俺がニコニコ動画を知らない外国人だったら、テレビを見ながらつぶやけるというだけで大喜びしていたんだろうけど、ニコニコ動画の使い勝手のよさを知ってしまっている日本人としては、ちょっと微妙じゃないかな。それでも日本人も生放送見ながらツイッターというのが流行っているようなので、ツイッターの方がいいという人もいるのかもしれない。そういうことで、今回は俺の独断と偏見に満ちた感想です。

 なんで、俺がニコニコ動画を優れていると思うかというと、まあ、ぶっちゃけツイッターの方をあまり理解できていないということもあるんだけど、もう一つの理由としては、つぶやきが見れるまでに若干のタイムラグがあるということだろう。俺の使っているツイッターのソフトは、つぶやきが30秒か1分おきに更新されるようなので、その間に書き込まれたメッセージが一気に表示される。つまり、なめらかではないのだ。普通のツイッターの時は別に問題はないが、生放送などを見ているときは、10秒20秒のタイムラグは致命的だろう。ニコ動の方が、コメントが流れるように表示されてくる。ついでに、どの場面でのコメントなのかもわかりやすい。興奮状態に入って、コメントが大量に流れていくのは圧巻だしね。総合的に見て、ニコ動の方がわかりやすいし、優れていると思う。ツイッターの方も、コメント数が増えたとかいうのは分かるんだけど、どの程度増えたのか、分かりづらいし、ニコ動のように、祭り状態を肌で感じられるわけではないと思う。

 2番目としては、放送に集中できないということもあげられる。ニコニコ動画も議論に集中できるわけではないのだが、テレビを見ながらツイッターをするというのは、まだ慣れていない俺みたいな人間には大変だ。ツイッターに書き込もうとすれば、テレビに集中できない。しかも他の人の書き込みもスクロールして見ていかなければいけないのも骨がおれる。ニコ動では、動画の上に表示されるから、動画から目を話さずに、コメントにどんなことが書き込まれているのかということを把握する程度だったら容易にできると思う。

 最後の点としては、テレビやユーストリームとツイッターのコンビネーションと、ニコ動の大きな違いはニコ動が同期ではなく、擬似同期であるということだ。これは濱野智史という人が『アーキテクチャの生態系』という本(←ちなみに、この本はとてつもなく、おもしろいです)で言っていることなのだが、ようするにニコニコ動画というのは、動画を再生する時間は異なっているはずなのに、前に視聴した人の書き残したコメントを見ながら動画を見ていると、あたかも視聴者全員で同じ時間を共有しているような感覚を覚えてしまうということだ。それが擬似同期という新しい形態の情報の消費の仕方なのだという。もちろんニコニコ動画もニコニコ生放送のほうは、同じ時間に生放送を見てコメントを残していくわけだが、ニコニコ生放送はその後、ニコ動の方に移されて、生中継で見れなかった視聴者もコメントを書き足せるのだ。つまり、その人にとっては、それが生中継のときと同じ雰囲気を味わえる。ツイッターでは、もちろんそのようなことは今のところできないし、ユーストリームと連動していたツイッターも無理なんじゃないだろうか。おそらく。簡単に言えば、ツイッターやユーストリームは生放送が終わってしまうと、どことなくしらけムードになってしまう。ユーストリームは動画自体は見れるけど、生放送を強調するあまり、なんとなく生中継で見損ねたら楽しみが終わっているというような雰囲気が漂っているような気がする。ニコ生はそのようなことはないと思うし、ニコ動で十分にいつでもライブの雰囲気を味わえるような気がするのだ。

 ところで、ツイッターの話に戻るが(というかニコ動でも同じなのだが、特につぶやきを読むのが大変なツイッターに話を絞りたい)、最近はテレビ局がツイッターと連動させる番組とか新しい番組を模索しはじめているようだ。最近、よく耳にするのは、「視聴者参加型」とか「双方向性」といった単語だろう。主体的な視聴者が送ってくる情報をリアルタイムに番組に反映させようという試みだと思うのだが、果たして視聴者参加型というのは、そんなに番組に貢献できるもんなのだろうか?そもそも、視聴者が参加するとはどういうことを意味しているのだろうか?朝生の場合は、議論の内容を理解するのが大変なので、ツイッターのつぶやきを読みながら、議論をすべて理解していき、なおかつ気の利いたつぶやきをするというのは、おそらく困難だと思う。しかし、そのような内容を抜かしたとしても、バラエティ番組なども含めて、テレビ番組に参加するということには、いろいろな違いがあるのではないかと思うのだ。

 番組に参加するという意味の一つ目は、実際に参加することを指していると思う。例えば有名人になって、朝生の議論に参加することが、この番組に参加するという一つのあり方だろう。他の番組だったら、例えば、クイズ番組の解答者として参加するとか、風雲たけし城で「がんばるぞー!」とガッツポーズをしながら、試練に立ち向かうとか、空耳アワーの曲をハガキに書いて送るとか、まあ、そういう感じの参加の仕方だ。その延長線上にツイッターの自分のつぶやきがテレビで読み上げられたとか、テレビ画面に映し出されたとか、質問や感想などが番組に反映されたとか、ようするに、番組に直接影響を及ぼすような参加の仕方である。

 二つ目の参加の仕方は、朝生の議論をスタジオで見ている人たちのような感じだ。つまり、もうすこし消極的な参加の仕方である。「笑っていいとも」のスタジオを見にきている人とかも同じだろう。とりあえず議論を聞きたいとか、番組のスタジオの雰囲気を味わいたいとか、テレビに映りたいとかの理由で、番組のスタジオ内で、番組を横から見ているという参加の仕方だ。ただし、彼らが番組に直接影響を及ぼしているわけではない。

 三つめは、テレビやネットの番組に参加しているというよりも、その番組を見ているグループに参加しているという参加の仕方だ。昔の街灯テレビで見知らぬ人たちと盛り上がるといったような感じに近い。最近では有名選手の母校に地元の人が集まって応援するといったこともこれに含まれると思う。スポーツの世界ではこのような参加の仕方が昔から一般的だったのではないかと思うが、最近になってニコニコ動画やユーストリームなどで、映画や普通の日常の映像、それに国会中継まで、ほとんどなんでも盛り上がるネタになってきたようだ。

 まあ、番組の内容によって異なるだろうから、一概には言えないのかもしれないが、番組に参加するといった場合、この3つのケースがあると思う。問題は、この「参加」の仕方をごっちゃにしている人がいることだろう。そして参加の仕方を間違えて、とりあえず視聴者になんでもお伺いをたてればいいというような勘違いした番組もでてきたのではないかと思うのだ。もちろん視聴者の方を見ることはいい。ひとりよがりの番組を作られても困るときもある。ただ、どうも最近の風潮で大衆に迎合することがいいことだみたいな雰囲気がメディアや政治などで見られるような気がする。はたして、それでいいのだろうか?

 メディアの世界も政治の世界も、担い手はもっと自分たちの信念を貫くべきだろう。視聴者が参加して楽しんでいるのは、むしろ三つ目の参加の仕方が圧倒的に多いのであって、自分たちで番組を作りだそうとしている人は少ない。もちろんネット上では、YouTubeなどでアマチュアの発信する映像も多くなってきた。だから総表現時代などと言われるのであるし、情報がフラット化したネット上では、アマチュアとプロフェッショナルな人の意見や作品が同列に扱われるということも指摘されている。しかし、だからこそ、プロの主張や作品というものを、われわれは求めているのではないかと思うのだ。テレビがすべてホームビデオになってしまったり、小説がケータイ小説のような投稿小説だけになってしまったりしてしまっては、物足りないだろう。そのようなアマチュアの作品や主張はネット上で見られるわけで、それとはちがうプロの世界ももちろん見ていたいのだ。
 
 最近、ユーストリームを使って世界の映像を楽しむという「革命TV」という番組が始まったのだが、第一回目は大失敗に終わった。まあ、ソフトバンクが唯一のスポンサーでユーストリームとツイッターを紹介・普及することだけが目的の番組だから仕方のない部分もあるわけだが、まったくおもしろくなかった。その理由の一つはユーストリームとツイッターを使えば双方向の視聴者参加型番組になって、すべてがうまくいくだろうというような、安易な気持ちで番組が始まったからのような気がする。つまりプロ意識が欠けていたのではないかと思うのだ。

 一方、さっきTBSラジオのDIGという番組がユーストリームで流れていたので、見ていたのだが、非常におもしろかった。こちらはラジオ番組なのだが、ラジオのスタジオ内の映像をユーストリームで流していて、視聴者はその様子を見ることができる。途中、CMや交通情報などが流れているときの、スタジオ内での私語などもユーストリームでは見ていることができるのが、とても新鮮で楽しい。それに、番組終了後の反省会なども延々と見ていられる。どことなく『ラジオの時間』という映画に似た雰囲気があって、プロ意識が垣間見れるのだ。もちろん、番組のスタッフもツイッターのコメントはチェックしているようだし、それによって番組作りをいろいろ変更させていくんだろうと思う。しかし、視聴者に迎合しているわけではなくて、番組自体は、自分たちの意見を表明し、それをツイッター上で、視聴者がああでもないこうでもないとやりとりしている感じだ。ちなみに今日のテーマは「抑止力とはなにか」みたいな話だったので、なおさらおもしろかったのだと思う。もちろんTBS系(左寄り)の番組なので全部が全部同意できるというわけでもなかったのだが、番組作りに関してはおもしろかったし、ラジオ局のスタジオの中をユーストリームで流すというアイデアもおもしろかったし、正直テレビ番組を見ているよりも数段おもしろかった。ラジオ番組の放送中の様子というのは、たまに街中のガラス張りのスタジオとかで見ることもできるが、それよりももっと身近に感じられた。こういう新しい試みが積み重なってラジオのイメージが上がれば、ラジオが見直されていくんじゃないだろうか。それに、このラジオ番組はアイポッドでも配信されているしね。

 まあ、そういうことで、今回言いたかったのは、視聴者を単に参加させればいいというような安易な番組よりも、プロ意識を持って番組をつくって欲しいなと思ったのだ。そればメディアが生き残れる唯一の道なんじゃないかな。フラット化する情報化社会において、アマチュアに迎合するんじゃなくて、どのようにしたらアマチュアとの差異化をはかれるかが求められているような気がする。



応援よろしくおねがいします
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

ツイッターが「つぶやき広告」禁止

今日、J-Castニュースにツイッターがつぶやき広告を禁止にしたという記事が載っていた。

ツイッターが「つぶやき広告」禁止 日本の広告代理店も困惑
http://www.j-cast.com/2010/05/25067281.html

 この記事の中でJ-CASTは「広告ツイートが連発されてタイムラインが広告で埋まることを懸念している様子だが、「自社サービスを守ることが目的なのでは」といったうがった見方も出そうだ。」と、ツイッター社の横暴というような論調で記事を書いているように見える。しかし、本当にそうだろうか?確かに、ツイッター上で口コミ広告の新ビジネスを展開しようとしていた人たちには気の毒なことだが、仕方がないことだったような気がする。というか、ツイッターのユーザーとしては、つぶやきや口コミ情報まで広告にされては、たまったものではない。そもそも、企業側が、なんでもビジネスにしてしまおうという、その商売根性が、そもそもの間違いだったのだと思う。いうなれば、この広告禁止というのは、ネット上での無料で情報を共有しようというフリーの精神とネット上で金儲けをしようとする精神の対決だったのではないだろうか。

 ネット上で金儲けをしてはいけないと言っているのではない。グーグルの広告にしたって、それで金儲けしているというのは確かなのだし、ネット上には他にもいろいろビジネスチャンスがあるだろう。しかし、最初から金儲けをしようとするとダメになる確率が高いのではないかと思う。ネット上には、金儲けを目的にしている勢力と、結果的に金儲けできたという二つの勢力が存在しているような気がする。その違いはブログにも見られる。とにかくアクセス数を増やして広告費を稼ごうとする人たちのブログと、自分の好きなことを紹介するだけのブログや、それにアドセンスをちょこっとつけて小遣い程度を稼ごうとするものだ。どちらがいいというのではない。ただネットではフリーで情報を共有しようというのが基本であるということから考えると、とにかく金儲けしようというようなサイトはあまり人気がでないのではないかとは思う。目立つだけのバナー広告よりも、グーグルの控えめな広告の方が好まれるのも、そのような金儲けを嫌うような精神が主流だったからではないだろうか。まあターゲットを絞って効率的に広告を出せるようになったということも、グーグルが成功した要因ではあるのだが。。。

 ツイッターの口コミ広告を止めさせたのは、ツイッターやネット情報全体の価値の低下を抑えたと思う。極論を言わせてもらえば、口コミ広告などというものは、店の前で客をよそおって商品を絶賛しまくるサクラと同じであって、いわばやくざ稼業に似ていたのではないだろうか。そのような口コミ情報が氾濫したら、何が信頼できる情報だかわからなくなる。つまり90年代のネット状況のように、いかがわしい情報が氾濫することになりかねなかった。

 ツイッターの口コミ情報は、おそらくアマゾンレビューをモデルにするのが一番いいと思う。アマゾンレビューがあれほど信頼されているのは、サクラがいないからだ。いや、いるのかもしれないが、少なくとも、サクラがレビューを書いたとしても、大多数の意見によってかき消される。だから、サクラの存在を心配する必要がないのだ。これが、もしも出版社から頼まれたレビュアーがレビューを書くだけの世界になっていたら、アマゾンが依頼したレビュアーの数が増えただけということと同じになる。もちろん、そのような出版社側やアマゾンが依頼したレビューというものも必要ではあるのだが、そのようなレビューが普通のレビューと同じくらい出回ってしまうと、アマゾンレビュー全体の価値はどんどん低くなっていっただろう。幸いにも、そのようなサクラレビューが健全なレビューを駆逐しなかったことがアマゾンレビューの信頼性を高め、今のアマゾンの成功につながっているのだと思う。そして、その背後には無数のレビュアーの無償の貢献があったからに他ならない。

 ツイッターも同様であろう。ただアマゾンレビューよりもツイッターの方がサクラが広まる危険性は高かった。なぜならアマゾンでは、ある商品のレビューが一ヶ所にリストアップされるため、すべてのレビューを容易に比較することができる。だから、その商品を過大評価しているレビューを容易に判別できる。しかし、ツイッターの口コミでは、検索などで商品の口コミを比較することはできるが、同時に大量の口コミ広告が出回ってしまうと、ある一定期間はその情報が真実に見えてしまうだろう。またツイッターはリアルタイム性を重視しているため、過去の口コミ情報に遡って検証するということが困難だ。だからサクラの発信する情報と普通のつぶやきを判別するのが困難になるだろう。その結果、ツイッターの情報全体の信頼性が落ちていくことになる。そして、最終的には、口コミ情報を聞かされても、誰も反応しなくなり、普通の人のつぶやき情報すら信頼されなくなってしまう。ようするに、つぶやき広告というものは、最終的には、ツイッター自体の価値を低下させてしまう。もちろん企業が情報を発信することはかまわない。企業のアカウントで新商品のプロモーションを行うことは、店先で企業がキャンペーンをしていることと同じだからだ。問題なのは、一般人をよそおって広告を出すことなのだ。このように考えてくると、J-CASTニュースのツイッター社の判断を疑問視するような論調よりも、俺はツイッター社の判断の方が妥当だったと思う。



応援よろしくおねがいします
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

ウェブ版新聞と紙面版

 今日の産経新聞におもしろいコラムが掲載されていた。副編集長の小塩さんという方が書いたコラムなのだが、「ネットと紙面の日替わり」という題名でウェブ版の新聞と紙面の違いみたいなことを書いている。小塩さんはネット記事の編集にたずさわる一方、月の半分は紙面の編集もされているようだ。そこでネットの記事と紙面の記事の違いについて次のように述べている。

 ニュースに追いまくられ、新聞の紙面作りが本格的に始まる夕刻。気がつくと、サイトにはその日起きた経済ニュースがほとんど掲載され、人々の目に触れている。”既報”となったニュースを明日の新聞に載せることになるというわけだ。

 もちろん、すべての人がネットからニュースを入手しているわけではない。ただ、経済ニュースは、株をはじめ、市場に影響を与えるという意味でも鮮度が命だ。その情報を本当に必要とする人に、翌日の紙面のニュースには、もはや価値はない。

 「新聞なんて必要ない」と自己否定しても何も始まらない。明日の仕事は紙面の編集だ。

 紙面編集の仕事は、ある意味でサイトとは正反対。ニュースをどんどん捨てていくことから始まる。サイトにはスペースの制限がないが、紙面にはすべてのニュースを載せられない。どのニュースを一面に売り込み、経済面のトップ記事は何にするのか。ニュースに優先順位をつけていく。

 「速さ」と「量」がサイトの命とすれば、何を伝えるべきか、「選択」することが価値を生む。情報が持つ意味は?どんな影響がある?裏側に潜む狙いは?ニュースに付加価値をつけていく。編集者と現場記者の腕の見せどころだ。

「ネットと紙面の日替わり」 5月20日付 産経新聞紙面



 確かにネットではスピードと量が勝負になってくるのだろう。一方、紙面では情報に格付けすることが重要になる。オレはアメリカにいたこともあって、実は長いことネット新聞に依存していた。だから、一つ一つの記事を読むという事に関しては、ネットの方が読みやすくなってしまっていた。まあ、慣れだとは思うが、文字の大きさを大きくしたり、両手が使えたりと、個人的にはネットで新聞記事を読むほうが楽だと思う。

 しかし、ネット新聞にはいろいろな問題点もある。まず、情報がフラットになりすぎているということだ。どの情報が重要でどの情報は重要でないのかがわからない。人気記事ランキングなどもあるにはあるが、それは重要度とはまったく異なる基準で選ばれている。例えばセンセーショナルな事件や芸能人・有名人の犯罪などワイドショー程度の情報が一番人気のある記事になってしまうからだ。

 ウェブ版のもう一つの問題点として、重要な情報を受け取れない危険性が常にあるということが挙げられる。新しい情報が大量に書き込まれていく新聞社のウェブページでは、そのウェブ版に常駐してチェックできる特別な人たちは別にして、一日に何度かチェックする程度の人では、数時間の間に重要な記事が書き込まれ、その後にたわいもない記事が書き込まれることによって、重要な記事を見逃してしまうということが生じるだろう。RSSなどによってチェックが出来ると考える人もいるだろうが、RSSに依存してしまうと、RSSに登録していない(もともとは興味のなかった分野)の情報にはいつまでたってもアクセスできないという不都合が生じてしまう。つまり重要な情報を逃してしまう危険性が高いということだ。

 このような問題点の解決策としては二つの方向性が考えられる。一つは「あらたにす」のように、その日の紙面の一面や社会面・社説などに何が書かれているのかということをまとめて紹介するという方法だ。「あらたにす」はさらに日本経済新聞・読売新聞・朝日新聞という3紙をいっぺんに表示することで、3紙を比較することができるという試みを行っている。その比較も重要なのだが、ここでは、この紙面の記事を載せているという事実に注目しておきたい。これによって一日のうちのどの時点で「あらたにす」を開いても、その日の(正しくは前日の)重要な記事を見逃さずに知ることができる。それは朝みても、夜見ても同じである。新しいが重要度の低い記事にかき消されることはない。その点で、ウェブ版よりも優れているだろう。

 しかし産経新聞の紙面配信はそれよりも優れているとオレは思う。もちろん産経新聞の紙面版は他紙と比較するというような事ができないため、「あらたにす」と産経新聞紙面版を単純に比較することはできない。ただ「あらたにす」では重要な記事だけがピックアップされているだけなので、例えば一面に書かれている三つの記事は等価に映ってしまいがちだが、紙面版では一面の中でも大きさや配置で重要度が容易に分かる。

 さっきも言ったようにオレは長いことウェブ版に慣れきってしまっていたのだが、最近、産経新聞の紙面をiPhoneで読むようになって気付いたことは、やはり紙面は読みやすいし、読むのが楽しいということだった。紙面版の構成などは、ある意味芸術に近いのではないかと思ってしまう。素人が見ているだけなので、偉そうなことは言えないが、それでも、いろいろ考えられているなと思うときがある。このような紙面版を読んでいると、やはりネットでは表現できないものがあるのだろうという気になってくる。

 最近の論調では将来新聞業界は情報収集だけが仕事になり、情報の考察や批評といったことはフリーのジャーナリストやブロガー、研究者などの独壇場になるのではないかと言われてきた。確かに新聞業界の偏向報道などを見ていると、そういう可能性も否定できない。しかし、紙面版を見ていると、新聞社の重要性は、情報収集だけでなく、情報を厳選し、それらの情報をいかに表現していくかということにも、専門的な知識が必要になっていることがわかる。ネット空間でのフラットな情報発信だけでは決してカバーできない部分があって、それは新聞社などの専門家にしか出来ないことなのかもしれない。

 さらに同じようなことは、他の情報においても言えるのではないだろうか?ネット上では、ほとんどの情報がフラット化してしまっている。検索機能を使えばアクセス可能だからフラット化していても問題ないという考えも理解できるのだが、ある程度の道標はやはり必要だろう。特に検索することすらできない初心者にとっては、専門家による情報の整理が必要になってくる。そのような整理によって、始めて効率的な情報伝達が可能になる。さらに紙面版のように情報発信にも工夫が必要になってくるのではないだろうか。新しいエントリーを積み重ねるように保存していくブログのような情報発信の手法は、すべての情報をフラットに発信するウェブ版の新聞と同じように見える。紙面版のように空間的配置や構成などに工夫を凝らすことで、もしかしたら新しい情報発信の形が生み出されるかもしれない。もしそうならば、ブログではなく、昔のホームページのような空間的な自由度が必要になってくるだろうし、そうなって初めて、情報価値の順位付けが伝わるのではないかと思うのだ。そのあたり、これからのネットの発展と関連させて、いろいろ考える余地があるように思う。



応援おねがいします
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

これからのテレビCM

 別寅かまぼこというのを知っているだろうか?もしもニコニコ動画をよく見る人だったら、見たことがあるかもしれない。有名なかまぼこみたいなので、もともと知っている人も多いのかもしれない。俺は、恥ずかしながら、このかまぼこのことは、まったく知らなかった。しかし今月に入って、このかまぼこの宣伝をよく見かけるようになった。それはニュースアンカーという番組をニコニコ動画で見ようとすると、なぜか冒頭に、このかまぼこの宣伝が入っているからだ。



 で、動画を見てもらえればわかるように、このかまぼこの宣伝に合わせてコメントが書き込まれている。そのコメントの数が結構すごい。まあ、一人でたくさんのコメントを書いているのか、これだけの数の人がコメントを書いているのかはわからないが、おそらく相当な数の人がこのCMを見ていると思う。ニュースアンカーを見ようと思った人のほとんどは早送りせずにこのCMを見ているだろう。もしあと2、3個CMが続いていたら、CMをスキップして番組の最初の部分にとんじゃう人もいるだろうけど、CMは一個だけなのでスキップされずに見てもらえてるんだと思う。普通のテレビCM以上に多くの人に見られているような気がするので、このかまぼこ屋さんにしてみたら、ラッキーだったろう。そして、俺が注目しているのは、このCMをネタにしてしまっている点だ。ネタにされることによって、このCMは好意的に受け入れられるし、しかも記憶に残る。今すぐにかまぼこを買ってくれる客層ではないかもしれないが、多くの人の記憶には残っていると思うし、それだけでテレビCMとしては大成功だろう。

 さて、今日気がついたのは、CMをネタにするというのは、会社側からしても結構効果的な宣伝になるのではないかということだ。もちろんCMをネタにすること自体を企業が狙っていたとしたら、おそらく結果はしらけるだけだと思う。むしろ今回のように何かの番組を見るために来たら、たまたまCMが流れていて、軽い気持ちでネタにした、というぐらいが一番いいのだろうと思う。そのような軽い気持ちで、遊び感覚を交えながらネタにされるCMはこれから増えていくのではないだろうか。というか、CMを二次創作してもらい、それで遊んでもらうという宣伝の仕方もあるのではないか。それが新しいCM戦略なのである!というようなことを考えていたら、眠くて死にそうになってきたので、もう寝ます。


スポンサードリンク
最新記事
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
プロフィール

kemmaarch

Author:kemmaarch
右よりの内容ですが、もう一つブログを書いています。右よりの話でも大丈夫な人や日本が好きな人はいちど覗いてみてください。
保守主義のすすめ

私は、保守主義のコミュニタリアンです。文化相対主義を追求するなら、すべての文化を尊重する保守主義しかないと信じています。ただリベラルと保守はある程度両立する概念だと思っているので、基本的にはリベラルでもあります。なので、自分としては中道右派ぐらいのつもりです。日本が好きです。時々右よりの発言をします。でも危ない人間ではありません。構造主義が好きなのですが、ポストモダンも好きです。あとマルクスも好きです。

専門は考古学です。地理情報システム(GIS)や統計学、空間分析、文化人類学(特に宗教人類学と経済人類学)、社会思想、進化考古学、景観考古学、人文地理学、数理生物、行動生態学などを勉強してきました。CRMや少数民族の文化復興運動についてもいろいろと考えています。最近はサブカルチャー特にオタク文化に興味があります。経済学は大の苦手です。

本や映画の感想はアマゾン・レビューにも書いています。ぜひ遊びに来てください。
アマゾン・レビュー
はてなブックマーク

ツイッター(Kemmaarch)
検索フォーム
ブログ・ランキング
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
フリーエリア
リンク
RSSリンクの表示
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QRコード
スポンサードリンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。